22-10 : 暴力

「……ひはっ……ひははっ……」



 ゴーダのその言葉を聞いて、ニールヴェルトは数秒間沈黙していたが、やがて肩を震わせて含みわらいを漏らし始める。



「……ひはははっ! あぁ……“よかったぁ”。なら、いいんだよぉ、そぉいうことならよぉ……」



 ニールヴェルトの口角がり上がり、その顔に悪魔のようなわらい顔が戻る。暗黒騎士の見えない残像に取り囲まれ、いつどこに深手を負うかも分からない状況の中で、狂騎士が躊躇ちゅうちょのない1歩を踏み出した。



「俺ぁよぉ……てっきりあんたに、無視されてんのかと思ってたぜぇ……」



 更に1歩、ニールヴェルトが前に進む。そうした瞬間、二の腕の甲冑かっちゅうがざくりと裂け、そこから真っ赤な血が流れ出た。


 しかし狂騎士は、わらい顔を浮かべたまま、空中に立つゴーダをじっと見上げたまま、どんどん前へと進んでいった。



「四大主の中でも最強ってわれてるあんたにとってぇ、俺ぁ眼中にさえ入らねぇのかってよぉ……寂しくてたまらなかったぜぇ……」



 1歩進むごとに、ニールヴェルトは傷を負っていった。そのどれもが致命傷にはならない傷だったが、それは決して狂騎士がゴーダの見えない残像をすんでの所でかわしているからではない。


 それはただただ、数多あまたの戦場で生き残ってきた“烈血れっけつのニールヴェルト”の強運と、それを引き寄せる動物的な勘と、狂おしい覚悟がなせるわざだった。



「俺の相手をするのが不快だってぇ? ひはははははっ!! 最高じゃねぇかぁ……あの“魔剣のゴーダ”様がよぉ! この俺のことをさぁ! そぉいう目で見てくれるなんてよぉ!! ひは、ひははははっ! あんたの殺意を感じるぜぇ! イイねぇ……! 生きてるって感じがしてくるなぁ!! “死”が隣で俺のこと握りつかんで、しごき回してんのが分かるぜぇ! たまんねぇよなぁ! この感じがよぉ!! ひはははははあぁっ!!!」



 自分の血にまみれた両手を顔にやり、ニールヴェルトが目をぐるりと上に回して恍惚こうこつとした表情を浮かべた。



「あぁ、気ン持ちイィなぁ……もぉ、死んでもイイやぁ……」



 そして天を仰ぎ見た狂騎士が、その口を裂けるほどに大きく広げ――。



「――ひはハはははハはははハあぁぁぁアぁぁァァっ!!!」



 およそ理性のある者とは思えない声で、ニールヴェルトが忘我のわらい声を上げた。



「闘争の狂気の中でしか生きられんか……あわれだな……」



 その様子を空中から見ていたゴーダが、ぽつりと一言、そう漏らした。



「あァ、何とでも言ってくれぇ……それはこの俺が、1番よぉく知ってることだからよぉ……」



 たかぶった感情がその絶頂を通り越え、一転して冷静な声で話し始めたニールヴェルトが、ポタポタと鮮血の流れ落ちる指先でゴーダをぴたりと指さした。



「改めて、礼を言わせてくれぇ。誉れ高き東の四大主、“魔剣のゴーダ”と相見あいまみえたこの身の幸運とぉ、あんたのくれるその侮蔑にぃ、心の底から、感謝を……全力で、挑ませてもらうぜぇ、暗黒騎士ぃ……」



 それを頭上から見下ろすゴーダの目には、ただ争いの中にしか生きる目的を見出せない、1人の人間の姿だけが映っていた。



「……もう1度、名を聞いておこうか」



 ゴーダが冷たい眼差まなざしのまま、その者の名をいた。



「ニールヴェルト……“烈血れっけつのニールヴェルト”だぁ……」



「そうか……“烈血れっけつのニールヴェルト”。よろしい……その深く黒いごうもって、この“魔剣のゴーダ”に挑むがいい……」



 ……。


 “烈血れっけつのニールヴェルト”は、ただ己の衝動のままに剣を取る。


 ……。


 “魔剣のゴーダ”は、騎士とは認めぬその人間を、ただ己の力でもって迎え撃つ。


 ……。


 そこには誇りも信念も大義もなく、ただただ、強大な暴力の予感だけ横たわっていた。


 ……。


 ……。


 ……。



「……――“風陣”……」



 ……。



「……――“雷刃”……」



 ニールヴェルトの両腕にめられた魔導の腕輪が同時に光を放ち、風が逆巻き、雷光が踊り出す。



「ひははっ……よぉ、死んじまってから『得物がなかったせいだ』なんて言い訳は無しだぜぇ? ゴーダぁ……」



「案ずるな……愛刀を持ち合わせない程度のことで名折れになるほど、“魔剣”の二つ名は伊達だてではない」



 ……。


 ……。


 ……。


 両者の間に青い稲妻が走り、パチリと空気が揺れた。


 ニールヴェルトを核として旋風が吹き乱れ、負圧となったその中心に向かって強風が流れ込む。枝葉、拳大の岩、ゴーダの作り出した見えない残像たち……あらゆるものが風の断層に引きずり込まれ、無数の真空の亀裂によって粉微塵に刻まれていく。そしてそこにほとばしる稲妻にかれ、そのことごとくが消し炭となり砕け散っていく。



「――“風雷燼ふうらいじん禍嵐まがつあらし”」



 巻き上がる灰燼かいじんを貪り喰らうように、禍々まがまがしい嵐は際限なく膨れ上がっていく。異形の魔物のように黒くうねる暴力の塊が、空中にたたずむ“魔剣のゴーダ”に向かって鎌首をもたげた。



「技も読みも、これでは意味を成さんな……」



 ゴーダが素早く腕を振り、ニールヴェルトから奪い取った1本のダガーを投げた。その刃は荒れ狂う嵐の一瞬の間隙、刹那にいだその綻びを抜け、真っぐに狂騎士に向かって飛んでいく。



「ひはははぁっ!!」



 その切っ先がニールヴェルトの脳天に突き立とうとした正にその瞬間、風の流れがぐるりとねじれ、はじかれたダガーは飛翔ひしょうする方向を変え、その勢いのまま地面に突き刺さった。



「すンげぇ芸当だなぁ、ゴーダぁあ! だが効かねぇよぉ!! ひははっ! まさかこれで終わりじゃねぇよなぁ! 次の手出さねぇとぉ! このまま粉々になっちまうぜぇえ!!! ひははははぁあっ!!!!」



 ニールヴェルトの狂喜の声が嵐に乗って、いびつに反響したわらい声が周囲一帯に災厄のように響き渡った。



「……いや……狙い通りだ……」



 嵐と雷の奔流ほんりゅうまれる寸前、“魔剣のゴーダ”の発した声は、湖面のように静まり返っていた。



「――“魔剣四式:虚渡うつろわたり・さん”」



 “魔剣のゴーダ”、第四の魔剣。その手から離れた武器を再び己の元へと呼び戻す、限定された転位術式。刀身をさやの中へと正確に転位納刀させるために1点に絞り込まれていた術式の収束が、暗黒騎士の手によって意図的に拡散される。


 転位の精度が散漫となり、呼び戻されたダガーは空中に立つゴーダの手元からはほど遠い虚空へと出現し、それは再び地面へと落下していった。



「剣には剣を……技には技を……そして……暴力には暴力を、だ……」



 拡散された転位の術式が、その影響範囲をダガーから周囲にひろげ、支配下に置いた空間もろとも全てを巻き込んで、それらをゴーダの元へと引き寄せる。


 転位の精密性を捨てることでゴーダの得た物――次元魔法によってえぐり取られた巨大な地殻の塊が、曇天よりも暗い影をニールヴェルトの頭上に落としていた。



「……ひははは! ひはアひははヒはっ!! すごいの……っ、すごいの来たぁああぁぁああぁ!! あぁははははははははぁああぁっ!!!!」



 空中に出現した膨大な質量が、重力に引きずられ落下を始める。その巨大さの余り、まるでゆっくりと落ちていくように見えるその光景は、ひどく不穏なものだった。


 ニールヴェルトの巻き上げた全てを砕く嵐と、ゴーダの落とした地殻の塊とが空中で衝突し、ズドンという重く低い爆発音がとどろいて、腹の底を揺らした。

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