22-9 : 邪道の剣

「――“魔剣五式:朧重おぼろがさね”」



 ……。


 ダンッ。と、さやの先端が地面に打ち付けられると同時に、大地に降り注いだ周囲一帯の雨粒が巨大な水の幕となって一斉に跳ね上がり、それに合わせてまくれ上がった泥の山が壁のようにそそり立った。



目眩めくらましだぁ? 前戯にしたってそれはつまんねぇだろよぉ!」



 ニールヴェルトが身体にまとったたける風で猛進し、水の幕と泥の壁に容易たやすく穴がく。視界を遮るその垂れ幕を突き抜けた先には、巻き上がった泥に甲冑かっちゅうを汚した“魔剣のゴーダ”の立ち姿があった。


 狂騎士がその身に宿した雷撃を解き放ち、雷鳴が鳴り響き、雷の鎚が暗黒騎士を脳天から爪先にかけて一直線に貫いた。


 泥の焦げ付いた異臭が立ちのぼり、暗黒騎士は全身を硬直させたまま受け身も取らずにドサリと泥の上に倒れた。



「ひははははっ! ひははははははっ!!」



 闘争の興奮の中に身を置いて、狂喜のわらい声を叫びながら、ニールヴェルトが倒れた暗黒騎士の頭部を押さえつけて追い打ちをかける。


 全身泥まみれになった黒い甲冑かっちゅうの隙間を狙い澄まして、“カースのショートソード”が突き込まれた。切っ先がうなじの肉を裂く感触と、首の骨を断つゴリっという手応えが手元に伝わる。



「ひはははっ! 魔族ってのはさぁ、首の骨が叩っ斬られても死なねぇのかなぁ! どぉなんだよぉ、“魔剣のゴーダ”様ぁ! ひははははっ!!」



 原生林の生い茂る枝葉を抜けて、雨粒が狂騎士と倒れた暗黒騎士を打つ。甲冑かっちゅうの上を水滴が滑り、飛び散った泥を洗い流していく。



「ひははははっ! ひははははっ!!」



 暗黒騎士の甲冑かっちゅう全体を汚していた泥が、流れ落ちて――。



「ひははは――……は?」



 泥が溶け落ちた後、“カースのショートソード”で貫いた肉と骨の感触だけを残して、“そこには何もなかった”。



「さすがに、急所を断ち斬られては、生きてはいないだろうな……」



 声のした方へとニールヴェルトが顔を向けると、そこには狂騎士の周囲を回るようにゆっくりとした足取りで歩く“魔剣のゴーダ”の無傷の姿があった。



「私の息の根を止めた感触はどうかね?」



「……はっ。なぁに言ってやがんだよぉ……ピンピンしてんじゃねぇか、あんたぁ……」



 ゴーダの言葉を鼻で笑い飛ばしながら、ニールヴェルトがのそりと立ち上がった。



「そうだな。まだこの首はつながっているよ。ただ、貴様が今その手に感じた、肉と骨を斬った手応え……それはまぎれもなく、私を殺した感触だ……」



 ピチャリピチャリと雨水をはじき上げる足音を立て、ゴーダが一定の歩調で周囲をぐるぐると円形に歩きながら言った。



「何ワケの分からねぇこと言ってんだぁ……? 戦いながら寝ぼけてんのかよぉ、ひははっ」



 風と雷をその身に再びまといながら、ニールヴェルトがニヤリとわらってみせる。しかし狂騎士は内心、何が起こったのか分からず困惑している自分がいることを自覚していた。


 その手に残っている、剣の刃先が甲冑かっちゅうの隙間を縫う硬い抵抗感。筋肉を引き裂く独特の手応え。骨を切断したときの手元を伝う振動。それらはまぎれもなく本物だった。にもかかわらず、暗黒騎士を雷でき、押さえ込んだと思っていた場所には、何も残ってはいないのだ。


 に落ちなかった。状況を理解できないことが頭の中でしこりとなり、それが何とも腹立たしく、気味が悪かった。



「どうした? 何が起きているか分からないという顔をしているな」



 ニールヴェルトの動きが鈍くなっているのを見て、ゴーダが挑発するように言った。



「さぁ……どうだかなぁ。――“雷刃”」



 狂騎士の右腕から稲妻がはしり、暗黒騎士に直撃する。全身の筋肉が雷撃によって硬直し、ゴーダの動きが完全に止まったのがはっきりと見えた。



「――“風陣:裂風れっぷう”」



 極限まで圧縮された空気の刃が金属質の音を立てて直進し、暗黒騎士の甲冑かっちゅうが裂け、肉が破裂し、やぶの中にドサリと倒れ込む音が確実に聞こえた。



「ははっ……間違いねぇ。次こそは間違いねぇなぁ」



 暗黒騎士の倒れ込んだやぶに向かって早足で歩いていきながら、ニールヴェルトは自分に言い聞かせるように言った。幻覚などではなく、確実に手応えがあったはずだと、自分を納得させ続けた。


 しかし――。



「……」



 まばたきもせず、暗黒騎士を仕留めたやぶから片時も目を離さずに近寄ったニールヴェルトが枝葉をき分けてその奥をのぞき込むと、そこには死体はおろか、血の1滴も残ってはいなかった。



「……ンだよこりゃぁ……」



 頬を引きらせたニールヴェルトの目は血走っていて、口許くちもとでは強くみ合わされた歯がギシギシと音を立てていた。



「……はぁ?! どうなってやがる……何で何も残ってねぇんだよ、あぁ!?」



わめき散らすな…… 一騎打ちの相手をしてやっているのだ。“明星のシェルミア”は、もっとずっと礼儀正しかったぞ」



 ピチャリ、ピチャリと水音の混ざる足音を立てて、ゴーダが先ほどと変わらない歩調で周囲を歩き回りながらゆっくりとつぶやいた。



「こりゃあ、どぉいうことだぁ……? “魔剣のゴーダ”様よぉ……」



 そう漏らすニールヴェルトのこめかみには、青筋が浮かび上がっていた。



「言っただろう……“少しだけ本気を見せてやる”と。それとも、我が“魔剣”はお気に召さなかったかな?」



「こ――」



「おっと、その位置から真っぐ先へは進まない方がいい。ワケも分からないまま死にたいのなら、止めはしないがね」



 ゴーダの言葉に、踏み出しかけた足をピタリと止めたニールヴェルトは、頬にべたりとした不快感を覚えた。そこに手を伸ばしてみると、指先に頬の切り傷から流れ出た血がこびりついて、細雨に薄められたそれが地面にポタポタと滴り落ちた。



「……は?」



 そんな傷は、今の今までついてなどいなかった。それはゴーダが忠告を発した瞬間、何者かによって、何かによってつけられたものだった。


 “魔剣のゴーダ”は武器を構える仕草も見せず、ニールヴェルトの方へ向くこともせず、左手にさやを逆手に持ち、右手にダガーを握ったまま、ただぐるぐると歩き続けているだけである。


 全く、意味が分からなかった。


 原生林を風が吹き抜け、枝を離れた葉がひらひらと舞いながら落ちていく。その中の1枚が、「そこから先へは進まない方がいい」とゴーダの忠告した領域へと舞い込んだ途端……葉は中心からすぱりと真っ二つに割れて、そのまま水溜まりに落ちてゆらゆらと流れていった。



「この“五式”は、わばだまし撃ちに特化させた魔剣……はっきり言って、邪道な手だ。およそ騎士同士の一騎打ちには相応ふさわしくはない。開発した私自身が言うのも何だが、私はこの技が好きではなくてね、普段は使わないことにしている……」



 歩きながらニールヴェルトに横目をやるゴーダの目つきは、兜越しにも分かるほど、氷のように冷め切っていた。



「騎士であれば、その手に持った剣一振りで戦ってこそよ……なぶり殺しなど、私の趣味ではないからな。ただ――」



 ……。



「ただ……“騎士ではないやから”を相手にするなら、これが相応ふさわしかろうよ……」



「……」



 ニールヴェルトが、ゆっくりと歩いて遠ざかっていくゴーダを追いかけようと歩を横に運ぶ。



「……うっ?!」



 元いた位置から何歩か早足に移動した瞬間、ニールヴェルトは左脚に鋭い痛みを感じた。


 痛みのする方へと、さっと目線を落としてみる。その先には、ざくりと切り傷のついたふくはぎから血が流れ出ている光景があった。



「何だっつぅんだ……何だっつぅんだよぉ! さっきからよぉ!!?」



 自分の置かれている状況が理解できず、頭の中でそれがぐるぐると回って調子を乱され、激昂げっこうしたニールヴェルトが怒鳴り散らした。激情に任せて、ゴーダに向かってダガーを数本投げつける。


 投げ放たれたダガーは、ゴーダに届くよりはるか手前の空間でグサリと何かを貫く音を立て、“空中でピタリと静止した”。



「おい……おいぃ……暗黒騎士様よぉ……てめぇ、何してやがる……!」



 ダガーを投げた後、怒りに震え固く握り締められたニールヴェルトの手のひらからは、新たにできた原因不明の切り傷から血がボタボタと流れていた。



「何でそんなところほっつき歩いてやがんだよぉ……ふざっけんな……俺の相手をしろよ……俺と! お前で! 殺し合わせろよっ!! こんなふざけた真似まねぇ、許さねぇぞ、ゴーダぁぁああぁぁ……っ!!」



 まるで自滅していくように独りでに手傷を負っていくこの状況では、何も満たされない。渇いていくばかりの闘争本能にはらわたをグツグツと煮えたぎらせながら、ニールヴェルトが感情のままにえた。



「なるほど……確かに、この状況はふざけているな。その意見はもっともだ……」



 ニールヴェルトの怒りの声に向けて、ゴーダがゆっくりと同意を示した。そしてそうしながらもいまだ歩き続けている暗黒騎士の右足が、すっと前に踏み出される。


 すと。と、その右足が足下を踏み込む気配があり、“虚空を踏みしめたゴーダが、ふわりと1歩、空中に浮かび上がった”。



「……」



 “烈血れっけつのニールヴェルト”は、その不可思議な光景を前に、思わず声を失った。


 続いて踏み出された左足が更に1歩高い位置の虚空を踏み、そうして“魔剣のゴーダ”は高く空中へと歩き昇っていく。



「我が第五の魔剣――“朧重おぼろがさね”は、次元をゆがめ、質量に相当する空間のねじれを作り出す……」



 ……。



「私が通った後には、それと同じ重みを持つ見えない残像が残り続ける……。甲冑かっちゅうの硬度、肉と骨の感触……そして剣の切れ味、そういった“重さ”だけが、無数にな……」



 ……。



「こうして空中に、“踏み出した直後の私の足の質量”の残像を固定すれば……御覧の通り、それを踏み台に空中散歩も可能というわけだ」



 ……。



「貴様は気づかぬ内に、私が残した“剣先の残像”に取り囲まれているというわけだよ……」



 ……。



「先ほど貴様は、私に“ふざけるな”と言ったな……。ああ、その通りだ。全くもって、その通り……」



 空中を闊歩かっぽし、原生林の枝の高さにまで上昇したゴーダが、見えないダガーの残像に囲まれ身動きの取れなくなったニールヴェルトの頭上に立って、真っぐにそれを見下ろした。



「だが、悪いな……。生憎あいにくと今の私は、貴様のような人間と真っ向勝負してやろうという気に、どうしてもなれなくてね……まぁ、そうだな、端的に言えば――」



 東の四大主の、深く冷たい息遣いが聞こえるようだった。



「――貴様の相手をするのは、不快だ」



 ただ闘争そのものを求める狂騎士に向かってさげすみの感情を隠そうともせず、“魔剣のゴーダ”が見下みくだした声音で言い捨てた。

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