22-6 : かくれんぼ

「……」



 次元魔法による空間のゆがみが解放され、元いた位置へ軸の戻ったゴーダが、兜についた矢傷の筋に指をわせた。



「……やってくれる。獣並みの勘だな……」



 馬上でじっと手綱を握ったまま、ゴーダが目だけを動かして敵対者の気配を探る。黒馬は主のそうした意思をみ取るように、頭を低く下げてじっと息を潜めていた。


 ……。


 周囲には先ほどと変わらず、かすかな思考の残滓ざんしだけが漂うばかりで、“それ”がどこに潜んでいるのかを示す手掛かりはどこにもない。



 ――気配はない……見事なものだ。ということは、つまり――。



 ……。



 ――つまり、“動いていない”、ということ。



 ……。



 ――今の矢……射線は左前方から。それと、わずかに俯角ふかくがついていた。



 ……。



 ――弦のはじける音が聞こえてからこちらをかすめるまでの時間差と、狙いを澄ませるだけの視野を得ようとすれば……。



 敵対者に勘づかれぬよう、石のように不動の姿勢をとったまま、暗黒騎士の目が原生林の一角、宿り木の絡みついた太い横枝を伸ばす樹にぴたりと止まる。



 ――……そこか。



 ……。


 ……。


 ……。


 シャッ。


 太矢の一撃をかわした際、空間のゆがみを利用してひそかに手元に忍ばせていた石飛礫いしつぶてをゴーダが素早く投擲とうてきし、それが空を裂く音が聞こえた。



「ギャッ」



 枝影からパンッと肉の弾ける音がして、短い悲鳴がそれに続く。そしてドサリと、横枝の上に昏倒こんとうする気配があった。


 数秒の間を開けて、樹上からポタリポタリと滴り落ち始めた血は――紫色をした、魔物の血だった。



「むっ……!」



「(ざぁんねんでしたぁ……そっちは外れなんだよなぁ、ひははっ……)」



 暗黒騎士が的を外す様を瞬きもせず見届けて、狂騎士が口許くちもとをニィっとり上げた。



「(――“風陣:穿風うがちかぜ”)」



 ドヒュッ。


 ――ガシッ。


 最初とは違い、目の前の戦闘に意識を集中していたゴーダにとって、その射線を見切って太矢をつかみ止めることは難しい芸当ではなかった。


 しかし――。



「(きひっ、よぉく見てたなぁ。てっきり“そっち”には意識が向いてないと思ったんだけどなぁ……ひははっ、読み負けちまったぜぇ)」



 しかし、放たれた2射目の矢が“右側面”から飛んできたことに、ゴーダは強い不可解さを覚えていた。


 ……。



 ――……何をした?



 ……。



 ――1射目は左前方から飛んできた……何故なぜ2射目が右から飛んでくる……。



 つかみ止めた太矢をボキリとへし折りながら、ゴーダがゆっくりと息を吐き出した。


 敵対者が複数存在すると考えることが最も合理的だったが、どういうわけかゴーダはまず真っ先にその可能性を排除していた。


 敵対者は1人。それを証明する根拠は何もなかったが、どんな状況証拠よりもはっきりと、暗黒騎士の“勘”がそうだと告げていた。



 ――どんな細工をしたのか知らんが……気配も位置も悟らせず攻撃してくるか。なるほど、厄介だな。



 ……。


 ……。


 ……。



「(“厄介だな”って思ってるかぁ? 2回も不意打ち食らって、全然すきを見せねぇあんたも相当厄介だけどなぁ……。さぁて、根比べといこぉぜぇ、“魔剣のゴーダ”様ぁ……)」



 ……。


 ……。


 ……。



 ――射線に法則性はあるのか? 同じ位置からの再射撃は可能なのか? 予備動作は必要なのか? 単発ずつしか射れないのか、それとも連射できるのか?



 ……。


 ……。


 ……。



「(2発も喰らえば、いろいろ考えてるよなぁ。だけどぉ、2発じゃまだ分かんねぇだろ? 法則ってのはぁ、3回目でようやく分かるもんだぁ)」



 ……。


 ……。


 ……。



 ――2射では何ができて何ができないのか、情報不足……次だ、次で恐らく、何かつかめる。



 ……。


 ……。


 ……。



「(次の1発でよぉ、あんた、動くつもりだよなぁ? さぁて、どうしようかなぁ……前かぁ? 後ろかぁ? 右かぁ? 左かぁ? どっから来るかねぇ? ひははっ……)」



 ……。


 ……。


 ……。



「(――“風陣:穿風うがちかぜ”)」



 ドヒュッ。


 3射目の太矢が、ゴーダの右後方から放たれた。


 風を切って飛来するその矢の軌道を見切ったゴーダが、手にしたさやを振り下ろしてたたき落とす動作に入る。


 その瞬間だった。



「(だぁれが、“次が3射目”だなんて言ったぁ? ひはははっ)」



 ゴーダが迎撃動作に入ったその瞬間、更に3本の矢が同時に、暗黒騎士の前方・左側面・真後ろから放たれていた。



「(ひははっ、当た――)」



「――今、“当たった”、と思ったか?」



 3射目の太矢がたたき落とされる、パキリという音がして――。



「――“魔剣二式:霞流かすみながし・ひるがえ”」



 ゴーダが回避特化の魔剣として編み出したその次元魔法は、飛来する太矢を“かわさなかった”。周囲の空間がゆがみ反転したのは、暗黒騎士の軸ではなく、それめがけて飛んできた矢の射軸だった。


 空間のゆがみにみ込まれた3本の矢が、進行方向を真反対に向け、それを撃ち出した位置へ向かって飛び去っていく。


 ドスリ。と、反転した射線の突き立つ音。その先には、絡みついた風の塊で大きくしなり、天然の弓のように反り返った若木の枝があった。



「……なるほど、無人の射撃台のようなものか。合点がいった。随分と器用な真似まねをする」



 太矢をたたき落として馬上にゆらりと座り直したゴーダが、納得したようにつぶやいた。


 そして――。



「つまらん小細工に、時間を使わせるな……多忙なのだよ、私は……」



 低い声でそう言い放った暗黒騎士の兜の奥で、鋭く研ぎ上がった眼光がギラリと光った。



「……ゴフッ」



 ゴーダの後方から、血に溺れた者の立てる特徴的なせきの音が聞こえた。



「どうやら当たりを引いたな。本体がわざわざ手を出したということは……今の分で、仕込んでいた矢は全てだったようだな」



 4本同時に放たれた矢の内、1本はゴーダがたたき落とし、残りの3本は魔剣によって跳ね返った。そしてその内の1本が“本体”を射貫いたことを、後方でき込んでいる声は示していた。


 黒馬から降りた暗黒騎士が、その声の方向へゆっくりと歩み寄っていく。



「ゴボッ……ゼェ゛……ゼェ゛……」



 ひどく苦しげな、濁った呼吸音が原生林の中から聞こえる。雑音の混じりようから、肺に穴がいているのが分かった。



 ――死なれては困る……貴重な情報源だ。



 その呼吸音からして、敵対者が戦闘不能に陥っていることは明らかだった。“明けの国”の侵攻状況をつかために、命を落とさせるわけにはいかない――ゴーダの思考は、既に状況が“戦闘”から“交渉”へ移り変わったと認識していた。


 密に生い茂った枝々をガサリとき分け、暗黒騎士と敵対者とが対峙たいじする。


 そこは人間が1人うつぶせになって身を隠せるよう草木が踏みならされていて、遠距離戦用の大弓と、中距離戦用の斧槍が転がっていた。


 そしてその横に仰向あおむけで倒れ、ゼェゼェと濁った呼吸音を立てていたのは――大型の熊に似た瀕死ひんしの魔物だった。



「(俺に死なれたらぁ、あんた困るだろぉ? “騎士団”にどこまで攻め込まれてるか、分からなくなるもんなぁ……)」



 ……。



「(ひははっ……そりゃぁ、こんな今にも死にそうな音立ててりゃ、ちぃっとは、焦ってくれるよなぁ……?)」



 ……。



「(でもぉ、まぁた残念でしたぁ……それも外れだよぉ、きひひっ)」



 またも出し抜かれたと理解して、ゴーダは兜の内側で頬がひくりと引きるのを感じた。


 ガサッ。


 直上から物音がしたのは、正にそんなときだった。



「ちぃっ……!」



 ショートソードのぎらりとした鉄のきらめきが目に映り、そしてその切っ先とゴーダの振り上げたさやとかかち合う甲高い音が響いた。


 ニールヴェルトがかつて“南の四大主”を殺害し、その亡骸なきがらから奪い取った剣、“カースのショートソード”……それを“くわえて”頭上から落下してきたのは、身体中をズタズタに引き裂かれたおおかみに似た魔物の死体だった。



 ――こいつ……!



「またまた残念んんん! そいつも外れなんだよなぁぁあぁっ!!!」



 瀕死ひんしの熊に似た魔物が突如、背を向けていたゴーダの後ろでむくりと起き上がり、その切り開いた腹の中に身を潜めていたニールヴェルトが素早く斧槍をつかみ、振り上げ、紫血に塗れた顔をぐにゃりとわらわせながら凶刃を振り下ろした。


 さやの斬り返しが間に合わず、ゴーダは右手を振り出して、斧槍の柄を二の腕で受けしのぐ。あと一瞬でも遅れていれば、目の前でピタリと止まった斧の刃に兜をかち割られる位置だった。



「……初めましてぇ……東の四大主ぅ……」



 それが、“魔剣のゴーダ”と“烈血れっけつのニールヴェルト”とが顔を合わせた、初めての瞬間だった。

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