22-4 : 最低の再会、そして

 ……。


 ……。


 ……。


 それはニールヴェルトのダガーが、エレンローズの身体に深々と突き立った音だった。胸当ての剥がされた腹部に冷たい刃が喰い込み、女騎士の口許くちもとが血でれる。


 致命傷であることは、明らかだった。


 ドサリと虚底うろぞこに倒れたエレンローズの周囲の地面が、あっという間にその血で真っ赤に染まっていく。



「……最期まで……つまんねぇ女だったなぁ、お前ぇ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「騎士びょうまつられる資格もねぇ……なまくらの墓標が、お前にはお似合いだぁ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「そのまま孤独に、ここで死ね……」



 ……。


 ……。


 ……。



「あばよぉ、騎士崩れぇ……」



 薄れていく意識の中で、エレンローズは横倒しになった視界の中に、歩き去っていくニールヴェルトの後ろ姿を見ていた。


 女騎士の腕の中には、“運命剣リーム”の確かな重みが残っていた。


 ……。


 ……。


 ……。



「――くそがあぁぁあぁぁあっ!!!」



 意識が溶け落ちる瞬間、女騎士の耳に、やり場のない怒りに叫ぶ狂騎士の動揺した声が聞こえていた。


 灰色の世界で、雨が大地をらす音だけがいつまでも続いていた。



 ***





「くそが……くそが……! くそがよぉ……っ!」



 降りしきる雨が大地を洗い流し、獣道についたエレンローズの足跡を跡形もなく消し去っていく。その上を、怒りに任せて水しぶきをばしゃばしゃと跳ね飛ばし、ニールヴェルトが新たな足跡を刻み込みながら歩いていた。


 心の折れた女騎士との先ほどまでのやりとりが、まるで夢の中での出来事のように思えた。


 剣を抜くことさえできなくなったエレンローズの、一振りの剣をまもり抜こうと無様にもがき苦しむ姿が、脳裏にまだ真新しく残っていた。


 空っぽになった女騎士の中に唯一残っていたその意地にまれ、衝動的にダガーを突き立てとどめを刺した自身の行為に、ニールヴェルトは強いわだかまりを感じていた。



「……あぁあ! あのクソアマ、調子狂わせてくれるぜぇ……。全然すっきりしねぇ……最低の気分だぁ……。収まんねぇよ……こんな後味悪ぃままで、収まるわけねぇだろぉがよぉ……あぁああぁあっ!!」



 ニールヴェルトが頭の片隅に残り続けているしこりのような感情に苛立いらだって、斧槍を所構わず振り回す。その斬撃に巻き込まれて木々の破片が飛び散り、若木が何本か獣道に倒れ込んだ。


 雨の静かな音と、苛立いらだちの収まらない狂騎士の荒い鼻息が静寂を斬り裂く。



「……殿下の野郎んとこに戻ったらぁ、魔族の砦の1つ2つ潰さねぇと気が済まねぇ……」



 エレンローズのあの姿に完全に調子を狂わされたニールヴェルトが、その記憶を吹き飛ばそうとでもするかのように雨にれた頭を鬱陶しそうに振るった。そして狂騎士が、腰につるしていた術式巻物スクロールに手を伸ばす。その転位の術式巻物には、ここに至るまでの転位陣のり代として使い潰したくれないの騎士たちの血が染み着いていて、全体が血糊ちのりでドロドロになっていた。


 エレンローズをダガーで刺し貫いた感触はひどく不快なものとして残り続けていて、それを洗い流すための新たな死と闘争をニールヴェルトは必要としていた。



「お預け喰らったせいで我慢できなくなりそぉだぁ……狩りでもなんでもいぃ、変な癖がついちまう前に元に戻さねぇとなぁ……」



 そして求める争いの渦中へ舞い戻らんと、術式巻物の封へと指をかけたとき――ニールヴェルトは、降りしきる雨の向こうにひづめの音を聞いた。


 1頭の馬の、一切のよどみも乱れもない静かなひづめの音。獣道の左右に鬱蒼うっそうと茂る草木の彼方かなたから聞こえるその音は、尋常ならざる気配をまとってニールヴェルトの耳にまで届いてきた。


 無秩序に伸びた枝葉によって視界が利かず、雨を吸い込んだ地面は足下をすくおうとする。周囲には魔物たちが息を潜めてこちらをうかがっている気配があり、自分のすぐ隣に弱肉強食の営みがあることがはっきりと分かる――ひづめの音を聞いて立ち止まったニールヴェルトのいる場所は、そうやって互いに息を殺し、相手の気配を探り合う生存競争の坩堝るつぼ只中ただなかだった。


 そんな世界の中にあって、逃げも隠れもせずただ道を行くその堂々としたひづめの音は、明らかに異質な存在だった。


 ひづめが大地を蹴る軽快な音に混じって、騎馬とその主の自信と気迫と気高さが、水面に立つ波紋のように周囲に伝播でんぱしていくのが目に見えるようだった。


 その存在が何者であるかを知るには、それだけのことで十分だった。


 まるで刃のように研ぎ澄まされたその気配を感じて、狂騎士は我が身に降りかかった巡り合わせに思わず天を仰ぎ見た。



「……。俺ぁ、神なんてもんは信じちゃいねぇ……。どこの誰かも分からねぇ奴らの趣味を焦げ付かせて、名前と形をつけたもんなんて、当てにしねぇ」



 ……。



「信じられるのはぁ、自分だけだぁ」



 ……。



「だけどぉ、だけどなぁ……」



 ……。



「神官どもが熱心に祈ってやがる神様の野郎によぉ、今だけは祈ってやってもいい気分だぜぇ……」



 ……。



「最っ低の再会とぉ、最っ高の出会いをぉ、ありがとぉよぉ、神様のくそったれぇ……」



 ……。



「ひははっ……ひははははっ」



 ……。



「ああ……こんなところで、えるなんてなぁ……“魔剣のゴーダ”様ぁ……」


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