21-10 : どら息子

 ……。


 ……。


 ……。


 道具の作り手・使い手の強い念が、物に宿ることがあるという。


 それは様々な伝承の形となって各地で語り継がれる、お伽噺とぎばなしのようなものである。


 農民・商人たちは言う――それは日々食い稼ぐために、物を大事にしろという教訓なのだと。


 戦士たちは言う――不測の事態を招かぬよう、“相棒”は常に手入れし大切にしてやらなければならないと。


 魔法使いたちは言う――魔法の理論など一切ない、そんなものはただの迷信でしかないと。


 ――。


 ――。


 ――。


 ――“宵の国”、北部。国境線沿い。


 東の四大主“魔剣のゴーダ”はそのとき、どういうわけか抜き身の愛刀を眺めていた。手入れをするわけでもなく、何かを斬るというわけでもなく、さやからそれを抜き、ただじっと見つめていた。


 何故なぜそんなことをしようと思い立ったのか、不思議とそれを疑問に思うことすらなかった。



「……“吸い込まれるような”、とはこれのことだな」



 ゴーダが“蒼鬼あおおに”の刃紋を見やりながら、ぽつりとつぶやく。その深い蒼は、深海に続く水面のような静謐せいひつたたえて、それをのぞき込む者に時の流れを忘れさせる。



「ガランという刀鍛冶がいなかったら……我が子を産むの同然に、いやそれ以上のおもいをめて鉄を打つ者がいなかったら……私とお前が出会うことは、決してなかったな」



 その言葉に声を返すものは、当然いない。



「ふむ……久し振りに独りになったせいか……。刀に話しかけるなんぞ、変人扱いされても文句は言えんな……ガランではあるまいし」



 ……。



「しかし……何なのだ? これは……?」



 ゴーダが、蒼鬼あおおにの柄を握っている左手に目をやる。“イヅの城塞”を部下たちに預け、北方にってからというもの、ゴーダは左手の奇妙な震えに悩まされていた。



「気が張っているとはいえ、余りに妙だな……」



 ゴーダが不思議そうに左手を見つめ、手のひらを何度か握っては開いてみる。



「……?」



 どういうわけか、左手の震えはぴたりと止まっていた。


 そして、代わりに今度は、右手が震える感触があった。



「……」



 震え始めた右手に目をやると、目についたのはその手に持ち替えたばかりの蒼鬼あおおにの刀身だった。



「……」



 蒼鬼あおおにの柄を、両手に握る。しびれに似た小刻みな震えを、両手に感じた。



「……」



 もう1度左手に蒼鬼あおおにを持ち替えると、右手の震えはぴたりと止まり、今度は左手が再び震えだした。



「……震えているのは……私の手ではない……?」



 ゴーダが眉をひそめて、蒼鬼あおおにをじっと見つめた。



蒼鬼あおおに自体が震えているのか……? 何だ? どうなって――」



 暗黒騎士が首をかしげ、ゆっくりとその切っ先に指を伸ばしたとき――。



「……っ」



 震える蒼鬼あおおにの刀身に触れるやいなや、ゴーダの指先にすっと切り傷がつき、一拍遅れて鋭い痛みが走った。


 ……。


 このとき、何故なぜそんな些細ささいな切り傷がついた拍子に、体内の魔力の流れが一瞬狂い、次元魔法が暴発したのか……後日そのことを何度振り返ってみても、ゴーダには全く理由が分からなかった。


 ――。


 ――。


 ――。


 物に宿るという、念にまつわる寓話ぐうわ


 日々生きるため、命を落とさぬため、探究心のため……そのいずれもが、人間が人間のために、魔族が魔族のため口伝くちづたえてきた、訓戒の物語である。


 ならば――。


 ならば、例えば、人間のためでも魔族のためでもなく、ただ純粋に己が作り上げた“物”のためおもい続けた女鍛冶師がいたとすると、果たしてその物語は、どのような形をとるのだろうか。


 ……。


 ……。


 ……。



 ***



 ……。


 ……。


 ……。



 ――ああ……何じゃ……ワシは、まだ、生きとるんか……。



 ……。



 ――……ガハハ……我ながら、頑丈すぎる身体じゃわい……。



 ……。



 ――痛いのう……苦しいのう……目を開けるのも、億劫おっくうじゃ……。



 ……。



 ―― 一世一代の、大喧嘩おおげんか……どうやら、ワシの……負けじゃのう……。



 ……。



 ――ここは……何処どこじゃ……?



 ……



 ――ああ……この、炭の臭い……ここは、ワシの、工房か……。



 ……。



 ――まぁ……我を通しすぎて、疎まれ続きじゃったワシには……上等過ぎる、死に場所かもしれんのう……。



 ……。



 ――“我が家”で死ねるなら、わるうは、ないわい……。



 ……。



 ――……ガハハ……。



 ……。



 ――ああ……。



 ……。



 ――えらく……疲れてしもうたのう……。



 ……。



 ――……そろそろ……眠ると……するかのう……。



 ……。



 ――……おやすみ……ワシのことは、もう……起こしてくれんでも……ええからの……。



 ……。


 ……。


 ……。


 ……ザンッ。


 ……。


 ……。


 ……。



 ――……?



 ……。



 ――……何じゃ……?



 ……。



 ――もう……ワシは、ヘトヘトなんじゃよ……起こして、くれるな……。



 ……。



『――――』



 ……。



 ――ええい……うるさいのう……誰じゃ、ワシの目を覚まさせるの――。



「――は……」



 ……。


 ……。


 ……。


 瓦礫がれきに埋もれたガランが重いまぶたをゆっくりと開くと、そこには、一振りの刀が突き立っていた。



「……っ……」



 喉が詰まったのは、喉元を上がってきた血のせいではない。



「……たわけが……っ」



 胸が苦しくなったのは、傷が痛んだからではない。



「……馬鹿もん……大馬鹿も゛ん゛……っ゛」



 声が震えたのは、瓦礫がれきの下敷きになっていたからではない。



「……ゴーダを……あるじを置いて……戻ってくる奴が……おるかぁ……っ!」



 視界がぼやけるのは、意識が朦朧もうろうとしているせいなどではない。



「……可愛かわいげの、ない奴じゃ……ぐすっ……ほんに……ほんに゛ッ……とんでもない、どら息子じゃ……っ」



 ……。



「……ひぐっ……う゛あ……うわあ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん……っ゛!」



 ただ静かに工房の土床に突き立っている銘刀“蒼鬼あおおに”の前で、血と泥とほこりで汚れた顔をくしゃくしゃにして、止まらない大粒の涙をボロボロと流して、女鍛冶師“火の粉のガラン”が、大声で泣いた。


 ……。


 ……。


 ……。



「……ずびーっ……。ぐすんっ……。……ガハハ……全く……お前のようなクソ餓鬼には、こってりと説教をしてやらんとな……」



 痛みを通り越して、何も感じなくなっている身体を瓦礫がれきの中からむくりと起き上がらせ、“火の粉のガラン”がニカッと気丈に笑った。



「ほんに……手間のかかる子じゃ……おちおち、死んでもおれんわい……!」


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