21-11 : 鬼が2匹

 ズンッ、ズンッと平野を踏みしめながら、蒼石鋼あおいしはがねの亡霊――“真紅のデミロフ”が、“イヅの城塞”の崩れた壁面に歩き進んでいた。



「ウヴァアァァ……」



 人間の屍血から錬成されたその存在に生前の記憶などなく、幾百幾千もの“材料”が混ざり込んだそれに個別の人格が宿っているはずもなかった。



「ヴゥガァァ……」



 しかし、“真紅のデミロフ”の執拗しつようなまでのガランへの、“イヅの城塞”への力の行使には、何か霊的なものを感じないわけにはいかなかった。



「グヴァァァ……」



 言葉も自由意志も失った蒼石鋼あおいしはがねの亡霊が、何を思ってそれほどの妄執に取りかれているのか。それは誰にも分からない。


 それは単に、純粋な破壊衝動がさせることなのかもしれない。


 あるいはそれは、蒼石鋼あおいしはがね甲冑かっちゅうに絡みついた怨念のようなものなのかもしれない。


 もしかすると、それは戦士の本懐を遂げようとする、死した騎士たちの願いが折り重なったものなのかもしれない。


 いずれにせよ、“真紅のデミロフ”が“火の粉のガラン”との決闘に確実な決着を望んでいるということだけは明白だった。



「ウヴァァァ!」



 半壊した壁面を殴り崩し、蒼石鋼あおいしはがねの亡霊がガランの工房へと踏み入った。



「ヴゥゥゥッ……」



 辺りは倒れた棚とひっくり返った道具類が積み重なって、視界が悪くなっている。その中をき分けて、“真紅のデミロフ”はうなり声を上げて決闘者の姿を探し回る。


 ――ボリッ。



「……ヴ」



 物音を察知した“真紅のデミロフ”が、ぴたりと動きを止めて耳をそばだてる気配があった。


 ――ボリッ……ボリッ……。


 何かを砕く小さな音が、瓦礫がれきの向こうから聞こえてきていた。首をゆっくりと回してその音の出所を探っていた蒼石鋼あおいしはがねの亡霊が、やがて一箇所にぴたりと視線を止める。



「ヴガァァァッ!!」



 ベキベキ、ミシミシと、木と鉄を引き裂く音を立て、“真紅のデミロフ”はその瓦礫がれきの向こうに、あぐらをいて座り込んでいる“火の粉のガラン”の背中を見出いだした。



「ウヴァアァァア!! グラアァァァ!!」



「……うるさい奴じゃのう……」



 背中を向けたままのガランが、ボリボリと何かをみ砕きながら言った。



「そんなにわめかんでも、ワシは逃げも隠れもせんわい……」



 ボリッ……ボリッ……ゴクリ。と、喉を鳴らし、ガランがふぅとめ息を吐いた。



「さて……そうさな……いい加減、勝ち負けはっきり、つけようかい……」



 あぐらをいたままのガランが、バシンと膝をたたいて景気をつけた。



「……よっこらせ、と……」



 ガランが立ち上がろうと右手を伸ばしたその先には、つえ代わりに地面に突き立つ、あおい刃の刀があった。



「……」



 背を向けたままゆらりと立ち上がった女鍛冶師の、結いひもの解けた短い髪が、崩れた壁から吹き込むそよ風にふわりと揺れた。


 ガランがのそりと、抜き身の刀を肩に担ぐ。



「……宵落つ西の山ん中、荒くれクソ餓鬼無法者……」



 ……。



 ――ちんぴら崩れの女が独り、これしかできぬと鎚を振り――。



 ――気にくわねぇとみついちゃあ、鍛冶場を流れて幾星霜――。



 ――気まぐれ起こして東に流れ、刀を打つこと二百と余年――。



 ――殴った野郎は数えちゃおらず、産んだガキども幾千本――。



 ――無しの可愛かわいい子の中に、言うこと聞かぬクソ餓鬼1本――。



 ――親の喧嘩けんかにかち込みやがりゃあ、可愛かわいくねぇたらありゃしねぇ――。



 ――クソ餓鬼の子はクソ餓鬼と、お天道様てんとさまあきれてらぁ――。



 ――……流れ流れて根無し草、赤いのあおいの、鬼2匹……――。



 ――売った喧嘩けんかに売られた喧嘩けんか、いざ尋常に……勝負、勝負――。



 ……。


 ガランの背中に、火を宿した血管が浮かび上がり、額の角に火柱が立って、パチパチと火の粉がぜる音がした。


 ……。



「さあ……来さらせい、青っちぃの」



 ……。


 ……。


 ……。



「ヴガラァアァァァアァァァァアァアァッ!!!!!」



 ……。


 ……。


 ……。



「一刀両断……」



 肩に担いだ刀を三日月の形にゆらりと振り下ろし、その柄にガランがそっと両手を添えた。



「剛刃一閃……」



 ゴゥと熱波が吹き乱れ、褐色の肌に浮き出る血管と赤い髪の毛が青に染まる。



「グヴラアァァァッァアアアアァァッァァアァァッ!!!!!!!!!!」



「一心同体……」



 そして、カッと周囲にまぶしい光が満ちて、工房の石壁が焼けるジュワっという音が聞こえた。


 ガランの炎にかれ、刀の柄の握りが炭化してボロリと崩れる。その下から現れた地金の部分には、荒々しい文字でこう刻み込まれていた。


 ――“蒼鬼あおおに”。


 ……。


 ……。


 ……。



「――“炎鬼えんき、一断ち”」



 ……。


 ……。


 ……。


 一瞬の交差の後、“真紅のデミロフ”と“火の粉のガラン”が、互いに背中合わせに立っていた。



「……」



「……」



 両者とも、ぴくりともせず、一言も発しなかった。


 ただ沈黙を破るのは、かつて蒼石鋼あおいしはがねを鍛え得た唯一の火種、“紫炎炭しえんたん”を喰らったガランの身に宿る、紫色の炎が燃えるメラメラという音だけだった。


 紫炎に燃える血管から、パチパチと音を立てて火の粉が舞った。


 そして一際大きな火の粉が1つぜたのは、“真紅のデミロフ”の蒼石鋼あおいしはがね甲冑かっちゅうからだった。



「……ヴ……」



 蒼石鋼あおいしはがねの亡霊の身体に一筋の線が斜めに入り、そこを境に甲冑かっちゅうの継ぎ目がずれていた。その境界から紫色の炎が浮かび、ふわりふわりと火の粉が舞っているのだった。



「……ウ……ヴァ……」



 その火の粉1つ1つが、天に昇っていきながらフッと消えていく。それは冒涜ぼうとく者によって一時の目覚めを経た騎士たちの魂が、再び永遠の眠りの中にかえっていこうとしている光景にも見えた。



「……ヴガァァ……」



 今や“真紅のデミロフ”は全身が紫炎の火だるまと化し、ただ直立したままうわごとのように小さな咆哮ほうこうを上げているだけだった。


 ズ……ズズ……ガシャリ……。


 斜めに両断された上半身がずり落ちる音がして、それと同時に蒼石鋼あおいしはがねの亡霊は跡形もなく灰となって消えた。


 “真紅のデミロフ”は、その最後の瞬間まで、膝を地につけることは、決してなかった。


 ガランがブンと“蒼鬼あおおに”を振り、それに合わせて燃え盛る血管が冷え、角から立ち上る火柱が吹き消えた。



「……お主らの国には、騎士の冥土への道を照らす“送り火”という風習があると聞く……本物というわけにはいかんが、それで堪忍せい。なあに、このワシがく火じゃ……それだけ明るければ、迷うこともなかろうよ」



 ……。


 ……。


 ……。


 ――女鍛冶師“火の粉のガラン”、銘刀“蒼鬼あおおに”……“特務騎馬隊”最大戦力“真紅のデミロフ”、滅却。


 ……。



「……ふぅっ……!」



 ペタリと尻餅をついて、大股を開いたガランがさらしをつかみ、胸元が開くのも気にせずパタパタとそれをあおいだ。



「さすがに……くたびれたわい……!」


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