20-13 : 君に、愛と献身を

 ――数時間後。


 魔法院“第6室”は、研究者たちのざわめきで騒然となっていた。


 “第6室長”の個人研究室に広がる惨状の跡。それと関連するかのように消えたボルキノフとサリシス。


 そして、何か巨大な存在によって内側から壊されたとしか思えない、半壊した病室と、無人の病床。


 “明けの国騎士団”によって消えた3人の行方が懸命に捜査されたが、騎士たちはついにその手掛かりをつかむことはできなかった。それと並行して、魔法薬学の専門家たちによってサリシスが個人研究室で何の研究を行っていたのかについても調査されたが、それについても真相が明らかになることはなかった。


 これより1年後、失踪とも死亡とも結論づけられないまま、遺体も何も存在しない3人の形式上の葬儀が執り行われることになる。また時期をほぼ同じくして、「人間の血を原材料とする何かしらの反応実験」ということ以上の実態が不明のまま、サリシスの研究についての調査も打ち切られる。


 それから更に半年後、事件は風化し、魔法院と法務院との権力争いの手札と成り果てた末、“第6室”は解散、惨劇を忌み嫌ったおさたちの判断により、同室は閉鎖されることとなる。


 その間、金貨5千枚という莫大ばくだいな額と引き替えにサリシスに“石の種”を供与した“第2室”の研究者グループが、事実を口にすることはなかった。


 そして事件の記憶は、全ての人間から忘れられ、蓋をされ、闇の中へと消えていく。


 最後に残った“5つ目の石の種”の行方と、その後も“第1室”に勤め続けたそばかすの小男の事件への関与を疑う者は、最後までただの1人も現れることはなかったのである。



「天使だ……ユミーリアさんが、ぼ、ぼくに天の御言葉みことばを届けてくれる……ぼ、ぼくを導いてくれる……」



 事件直後、サリシスの言った“浸食現象”がユミーリアの身体を襲う最中さなか、娘を担いだそばかすの小男は必死の思いで“第6室”の隠し階段を駆け下りた。道中、階段の暗闇に転がるボルキノフとサリシスの死体を踏みつけて転びそうになったが、“天使”の姿を目にした小男は、そんなものには全く動じなかった。


 使命感に打ち震えるに任せて、そばかすの小男は真っ暗闇の階段を駆け下り続け、やがてその先に広い空間を発見する。


 小男がぶつぶつと“天使”、“天の言葉”とこぼしながら早朝の王都市街地を夢遊病者のようにふらつき歩いているのは、その地下空間に“石の種”に侵された娘をかくまった直後のこと、まだ事件が周囲に露見する前のことだった。



「 (天使様……今宵こよい再び参ります……ぼくの懺悔ざんげを、お聞き届け下さい……) 」



「……おっと」



 フードを目深に被って目元を隠し、天啓を授かったと歓喜するそばかすの小男は、物理的にも精神的にも盲目になっていた。



「これは失礼」



 だから小男は、まだ人通りのない露店通りを独り歩いている旅人とぶつかっても、そのことを全く意に介さなかった。



「? もし、そこの人」



 正面からぶつかりながらも、まるでほうけたように何の反応も示さず、何処どこへともなくそのまま歩き去っていくそばかすの小男の背中を、旅人が呼び止めた。



「……?」



 そばかすの小男が立ち止まり、フードで目元を隠した顔をふらりと旅人の方へと向ける。



「血を流しているようだが……? 今ぶつかった拍子に怪我けがをさせてしまっただろうか」



 布切れを取り出した旅人が、そばかすの小男の出血の具合を確かめようと歩き近づいてくる。


 サリシスに殴りつけられた頭の傷から流れ出る血は既に止まりかけ、フードの中では血にまみれた髪が固まっていた。しかし怪我けがの具合がどうこうというのは、今のそばかすの小男にとってはどうでもいいことだった。ユミーリアの神々しい“天使”の姿をまぶたに焼き付け、恍惚こうこつとしていた小男は、今の今まで自分がどこをどう彷徨さまよい歩いてきたのか記憶が全くなかった。


 旅人の存在にもたった今ようやく意識が向いて、そばかすの小男は急にびくびくとおびえた素振りを見せ始める。


 そして旅人が更に1歩近づいてきた瞬間、そばかすの小男は逃げるようにその場から走り去っていった。



「ちょっ……!」



 頭に傷を負った挙動不審な態度の小男に逃げ出され、旅人は呆気あっけにとられてその場に立ち尽くした。



「……何だと言うのだ、全く……」



 頭をぽりぽりときながら、旅人が困惑した表情を浮かべる。



「やれやれ……せっかくはるばる見物に来たというのに、早朝から妙なやからがうろついているのか? 王都という所は……」



 大きなめ息を吐いて、気を取り直した旅人がきびすを返し、やがてにぎわい始めるのであろうまだ無人の露店通りを物珍しそうに見歩き始めた。


 旅人は、右手の人差し指に意匠を凝らした古い指輪をめていた。見た目は取り立てて特徴のないただの流浪人の身なりをしていたが、腰からつるしたさやに収められた細身の剣は緩やかに曲がった形状をしていて、王都のどの武器商店でも見たことのない奇妙な造りをしていた。



「頼むからあいつの機嫌取りになる土産の2つ3つはあってくれよ……“偽装の指輪”を無断拝借した挙げ句、手ぶらで帰ったとなると、ローマリアに何を言われるか分かったものじゃないからな……」



 困ったように頭に手をやりながら、しかし旅人は少しうれしそうに口許くちもとを緩めていた。


 ――。


 ――。


 ――。


 ――20年後。



「ああ、やっと、彼が夢見た地平に届いたよ……」



 中年にさしかかったそばかすの小男が、地下研究室を照らす薄明かりの中で独りごちた。


 “騎士びょう”の地下に作られた秘密の研究室には、“第6室長”サリシスの研究成果の全てがのこされていた。


 “石の種”についての研究は、20年前に事件が起きた時点で8割方完了していた。


 わずか10か月の間に、“石の種”の神秘にサリシスという男がそこまで迫っていたのだということを、そばかすの小男がのこされた手記から読み取り理解するまでに、それだけで5年の歳月がかかった。


 それから10年の歳月を掛けてそばかすの小男はようやくサリシスの背中に追いつき、更に5年を経た20年目にして、小男は“狐目”が追い求めた物を手に入れたのである。



「……ごほっ、ごほっ……!」



 そして小男はサリシスの求めた物を得ると同時に、娘と同じ血の病をその身に宿していた。それは悪い冗談のような、何かの呪いのように数奇な巡り合わせだった。


 吐血で手のひらをらしたそばかすの小男が、地下室の片隅にちらりと目をやる。その目線の先には、白いシーツの敷かれたベッドがあった。


 ベッドの上には、手を組み合わせて穏やかな顔で眠るユミーリアの姿があった。その容姿は、20年前にそばかすの小男がこの地下空間に娘をかくまった当時から全く年老いていなかった。


 そのこと以外に娘に起きた変化といえば、全身の肌が青白く変色したことと、あの事件があって以来一言も言葉を発しなくなり、ほとんど身体が動くこともなくなったことだった。


 ズルリ……ベチャッ。


 娘の眠るベッドの足下に、何かのずり落ちる生々しい音がする。



「……ごほっ……。ああ、ユミーリア……またベッドの周りを散らかして……」



 そばかすの小男がき込みながら近づいていき、娘のベッドの横で腰をかがめる。ぐちゃりと粘つく音を立てて小男がつかんだそれは、成人した男性の腕ほどもある、1本の異形の指先だった。


 “石の種”に浸食され、肌を青く染めて眠り続ける娘の身体からは、時折そうやって異形の部位が生え出てきて、そのたびに腐り落ちて床の上に肉を散乱させるのだった。



「ユミーリア……あの日ぼくが見た、“天使”の姿をした君はとても神々しく、美しかったよ……。もう一度、あの姿が見てみたい……」



 異形の指先をずるずると引きずって、“騎士びょう”の巨大な地下墓地の虚空へ向かってそれを投げてながら、そばかすの小男が懐かしむようにつぶやいた。



「私に啓示を与えてくれた、あの荘厳な姿を二度と見られないままに死ぬなんて、それこそ死より恐ろしい……。それに、私が君より先に死んでしまったら、一体誰が君を埋め尽くそうとする腐肉の山を“騎士びょう”に捨て続けるというんだ……」



 ごほっ、ごほっ、とそばかすの小男が何度もき込み、そのたびに口の端から吐血が滴り落ちた。



「だから、ぼくは……ああ、君といつまでも一緒にいたい、ユミーリア……」



 血の病にむしばまれ、震える手で小男が持ち上げたグラスの中には、薬液に浸った“5つ目の石の種の核”が浮かんでいた。



「君を置いて逝ったりしない……君を異形の肉に埋もれさせたりしない……これから先もずっと、ぼくを君のそばに、いさせてほしい……」



 乾杯の合図をするように、そばかすの小男が娘に向けてグラスを掲げた。



「君に、ぼくの声は届いているだろうか……。愛しているよ、ユミーリア……ぼくの、“天使様”……」



 ゴクリ。と、喉を鳴らして、完全な変質実験を経て抽出された“石の種の核”を小男が飲み下した。

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