20-6 : “彼女”を救う為に

「ふふ……ふふふ……」



 ――10か月後。



「サリシス……」



 ――魔法院。“第6室”。



「ボルキノフ、喜んでくれ……とうとう、反応式を特定したよ……!」



 個人研究室の室内をぐるぐると行ったり来たりしながら、サリシスが興奮した様子で言った。



「“石の種”は、物理的にも術式的にも、極めて、極めて安定な性質を持っている。岩石のような表皮から、大気中の微量な魔力を吸収して、内部の構造体を常に最も安定している状態に維持しようとするんだ。内部組織の損傷は勿論もちろん、異常な生成物をことごとく分解して、元あった状態に修復する能力が極めて優れている。ここまでは古い研究で明らかにされていた」



 糸目をうっすらと開いたサリシスが、その隙間から熱に浮かされたような瞳を向けて、自分に言い聞かせるように何度もうなずきながら力説する。その目元にはひどくまが浮かんでいて、長い髪は以前よりも更に伸び、ぼさぼさに乱れていた。



「その性質を抽出することができれば、それはあらゆる傷と万病を癒やす薬となり得る。僕はそう考えた。そう、“彼女”をむしばむ血の病すら完治させる、万能薬を作り出せるんだ」



 サリシスが自分の額に手を当てて、感動に打ち震えるように頭を左右に振って見せた。自分の辿たどり着いた成果を、自分でも信じられないとでも言いたげに。



「その完全修復能力を抽出するために、僕は“石の種”の外皮を変質させて、内部組織を生きたまま取り出す条件を探した。だが、“石の種”の修復能力は外皮にも及ぶ。生半可な反応薬剤では、変質させる速度よりも修復速度が上回って、何一つ反応を進めることができなかった……。だから僕は、初めの内は非常に分解能力の高い薬剤を調合することに主眼を置いた。しかし、実験を重ねるうち、“石の種”は修復能力の限界速度を超えると、外皮はおろか内部組織もろとも瞬間的に崩壊してしまうことが分かった。それはそれで非常に興味深いデータだったのだけれど……ふふ……それは僕の欲した結果ではなかった……っ」



「サリシス……」



「そうして僕は、たった5個しかない“石の種”を2つも無為に失った……っ。今思い返すと、1回目の実験で見極めをつけておくべきだったと反省しているよ……」



 10か月前の己の失敗を思い起こして、サリシスが大げさな動作でがっくりと肩を落とす仕草をしてみせた。そして突然、不敵に笑い出したかと思うと、両手で自分の髪の毛をくしゃくしゃにき回しながら、高ぶった声で言葉を続けだした。



「そして、そしてあの日……2度目の本実験に失敗したあの日……まだ歩くことのできていたユミーリア君が、僕の下を訪ねてきたあの日……! 僕は偶然に、奇跡的に、発見したんだ……“石の種”を崩壊させることなく変質させることのできる物質を……!」



 髪を鷲掴わしづかみにしていた両手を下ろしたサリシスが、自分の手のひらをじっと見やりながら、口角をり上げた。その表情は、周囲から“狐目”と呼ばれた、相手に自分の感情を読み取らせない飄々ひょうひょうとしたものではなく、数か月に及ぶ身を削るような実験ですり減った、いびつな笑顔だった。


 サリシスが見下ろす自分の両手首には、包帯が痛々しくぐるぐるに巻き付けられていた。



「“石の種”を変質させる物質……それは、“人間の血”だよ、ボルキノフ……! あの日、僕は天啓を受けた思いだった……たまたま薬液で火傷やけどを負った傷口からにじんだ血が“石の種”に付着して、僕はこの極めて重要な要素に辿たどり着いたんだ……!」



「サリシス」



「そこからは早かった。反応に使える血液は特定の型を持っていなければならないこと……純粋な血液よりも、特定の成分を調合した混血液の方が変質反応に優れていること……。ふふっ、実験の過程で、自分の血を随分使ってしまったし、反応式を特定するために3個目の“石の種”を失うことになったけれど……次は必ず成功させる。ふ、ふふふ……この反応式というのが特別美しくて――」



「サリシスっ!」



 個人研究室内の、硬い簡易の寝台に横になっているボルキノフが、語気を強めて饒舌じょうぜつしゃべり続けるサリシスの言葉を遮った。



「その話はもう、何度も聞いた。今夜のために、何度も、何度もだ……」



 寝台に横たわるボルキノフの目はその真剣さの余りに殺気立ち、これまでに何度も聞いた実験過程の話をいつまでも続けるサリシスを強くとがめるようだった。



「あぁ……そういえば、そうだったね……。ふふっ、僕としたことが、つい、興奮してしまって……ふふふっ」



 寝台のボルキノフの顔をのぞき込みながら、サリシスがいたずらっぽく言った。しかしそこにあるのは、かつての何を考えているのか分からない愛嬌あいきょうのある“第6室長”の笑顔ではなく、執念に取りかれた者の青白い顔だった。



「……サリシス、ここ数か月のお前は、無茶むちゃをし過ぎだ…… 一体、いつから眠っていない……?」



「ふふっ……君は知らないだろうけどね、ボルキノフ……人間の身体というのは、薬を使うと眠らなくても疲れを感じなくなるんだよ……」



「そんなもの……ただ自分の身体を誤魔化ごまかしているだけではないか……!」



 ――ドンッ。


 サリシスが寝台を、ボルキノフの顔のすぐ横を、痩せこけた拳で激しく打った。



「……そうさ……薬で誤魔化ごまかして身体が動くなら……その分だけ、研究のための時間を作れるのなら……誤魔化ごまかしが効かなくなるそのときが来るまで、僕の身体なんぞ、薬でだまされ続ければいい……!」



 薬の影響なのか、感情の起伏が激しくなっているサリシスは、大声で怒鳴ったかと思った次の瞬間には、泣き崩れそうな弱々しい声でつぶやくといったことを繰り返していた。



「それさえ……薬で苦しみを紛らわしてあげることさえできない、“彼女”に比べれば……こんなこと、何でもないだろう……!」



「サリシス……お前のその執念は、一体……」



 娘のために、身を滅ぼしかねないほどの過酷な研究を数か月にもわたって続けてきた“第6室長”に、ボルキノフは友人として深く感謝していたし、1人の男として強く尊敬もしていた。


 しかし。


 しかし、どんなに深い感謝の感情と、何者にも勝る尊敬の念をもってしても、サリシスの魂から込み上げてくる執着心の薄ら寒さを拭い去ることは、どうしてもできなかった。



「簡単なことさ、ボルキノフ……全ては……僕の全ては、“彼女”のために……」



 ―― 一体この男は、ユミーリアに――“ユミーリアの影に”、何を見ているというのだろう……。



「サリシス……まさか、お前は……」



 ……。


 ……。


 ……。



「――■■■■のことを、言っているのか……」



 ボルキノフが、今は亡き妻の名を口にした。


 ……。


 ……。


 ……。


 それと同時に、青く冷たい月光が、窓辺に開けられた小さな採光孔を抜けて、個人研究室の床に張り巡らされた魔方陣の中心を照らし出した。



「……時間だよ、ボルキノフ。さあ、始めよう――」



 ボルキノフが口にしたその女性の名前を聞いたからなのか、それとも期が満ちたことを知ったからなのか、サリシスの病的な表情がふっと引き締まって、相手に感情を読ませない“狐目”の顔がそこに現れた。



「――“彼女”を救う、実験を」

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