19-7 : 紫血

 ……。



 ――あぁ……魔族の血とは、実に濃く、力強い……。



 ……。



 ――そうは思わないかい? ユミーリア……。



 ……。



 ――魔族の紫血は、魔力をよく溶かし込む……赤い血よりも、ずっとずっとね……。



 ……。



 ――紫血は、人間の身体には蒸留した酒よりも強く効く……目眩めまいがしてくるよ……実に、強烈だ……。



 ……。



 ――あぁ……。



 ……。



 ――とても、いい香りだね、ユミーリア……。



 ……。



 ――特に鮮度のいい物は、口当たりも滑らかで、芳醇ほうじゅんだ……。



 ……。



 ――やはり、紫血はいい……。



 ……。



 ――“騎士びょう”のほこりかびにやられた、赤い屍血よりも、はるかに……はるかに……。



 ……。



 ――さぁ……。



 ……。



 ――たんとお食べ……ユミーリア……いとしいいとしい、私の娘……。



 ……。



 ――ふふふ……ふふふふ……。



 ……。



 ***



 ――“宵の国”領内。某所。深夜。


 屈強な体つきの魔族の男たちが松明たいまつを片手に持ち、神妙な面持ちで集落の外周部を見張っている。


 そこはとりわけ多くの魔族の民が生活している規模の大きな集落で、幼子から壮年を含めた人口は200人を超えていた。


 普段は家々の窓から明かりが漏れ、煙突からは食事の煙の名残がのぞく時間帯であったが、今宵こよいの様子はそれとは全く異なっていた。


 集落の窓という窓からは光が落とされ、暖炉の火は完全に消されて煙突からは一筋の煙も上っていない。幼子の夜泣きも聞こえなければ、住人たちの談笑のひとつも漏れてはこなかった。


 路地を歩く者はただの1人もおらず、寝床に静かに横たわっている者もいない。


 数里ほど離れた隣の集落から、数人の魔族が助けを求めて駆け込んできたのは数刻前。


 遠い隣国から武器を持った“人間”がやってきたという話を耳にした当初、首長たちはにわかには信じられないという顔を浮かべていた。が、隣里となりざとの住人たちの恐怖に満ちた様子を見ては、事態の深刻さを認識しないわけにはいかなかった。


 首長たちは隣里となりざとからやってきた魔族も含めて、住民たちを集落で最も大きな集会施設へと集め、一夜をそこで過ごすようにと伝え歩いた。


 自警団を組織する男衆たちは手に槍・斧・弓といった本格的な武器を携え、身体には鎧をまとっていた。


 いずれも四大主による国境線の要のまもりの任から引き払われた、一級品の武具である。


 それらの装備で武装を固め、自警団は腕に覚えのある者を筆頭に集落の周囲にぐるりと警戒の網を広げていた。



「どうして“人間”が、“淵王えんおう”様のお治めになるこの地に……」



「“四大主”様方は、どうなされたのでしょう……」



「“明けの国”の民には、燃えるような赤い血が流れていると聞きます……何だか恐ろしい……」



 集会施設の中で身を寄せ合う魔族の女衆たちが、声を潜めて不安を口にする。年端の行かぬ子供たちは、初めて目にする大人たちの顔に浮かぶ不穏な表情をじっと見つめながら、訳も分からず所在なげにその場にじっと立っていた。不思議と声を出す子は1人としておらず、それが不吉な空気に拍車をかけるようだった。


 外に光が漏れ出ないように布をかぶせた蝋燭ろうそく立ての上で、小さなだいだい色の炎がちろちろと揺れている。


 ほのかに足下が照らされる程度の弱い光も届かない建物の片隅で、一際ぶるぶると身体を震わせている魔族の男がいた。男は背後を守るように背中を壁に押しつけて、隠れるように膝を折って身体を丸め、手渡された薄い毛布を頭から被り、雪山の中に置き去りにされたとでもいうように全身を小刻みに痙攣けいれんさせている。



「落ち着いて……さあ、これをお飲みなさい。気を鎮めてくれる香草で入れたお茶ですよ……」



 集会施設に逃げ込んだ住人たちを見て回っていた魔族の女の1人が、男を不憫ふびんに思って香草茶を入れたわんを手渡す。


 男はその差し出されたわんを数秒間ぼおっと眺めた後、くるまっていた毛布の間から恐る恐る片手を伸ばしてそれを受け取ると、再び身を隠すように丸くなって、その中でズルズルと音を立てて香草茶をすすった。


 男の弱りきった様子を見守りながら、周囲の魔族たちがあわれむように小さな声でひそひそと言葉を交わす。



「隣の集落の方だそうです……“人間”に追われて命からがら逃げてこられたのだとか……」



「お可哀想かわいそうに……」



「ここは、安全なのでしょうか……」



「“人間”は魔物よりも身体がもろくできていると聞きました。大型の魔物も相手にできるここの自警団なら、きっと大丈夫……」



「……」



「……」



「……」



 その日は、不安に満ちた、長い長い夜だった。



「……ウウ……」



 全身をすっぽりと覆った毛布の下で、香草茶をすすり続ける魔族の男。その耳元で、ガラス細工の耳飾りが身体の震えに合わせて小刻みに揺れていた。



 ***



 ……。



 ――ん? 今度はどうしたんだい? ユミーリア。



 ……。



 ――ああ、また騒がしくなっているのだね……こんな夜遅くに……。



 ……。



 ――すまないね、ユミーリア。“お外”に出てから、お前の静かな眠りを邪魔するやからばかりだね……。



 ……。



 ――ああ、あの連中には、私から言って聞かせておくよ……。



 ……。



 ――うん?



 ……。



 ――震えているね、ユミーリア。



 ……。



 ――ああ……。



 ……。



 ――すまない……私としたことが……。



 ……。



 ――そうだね……。



 ……。



 ――いつ以来かの“お外”だ……。無理はない……。



 ……。



 ――まだ、まだまだ……まだまだまだ……遊び足りなかったね、ユミーリア……。



 ……。



 ――夜遊びは、余り感心しないが……今回は、特別だよ……。



 ……。



 ――ああ、そうそう。



 ……。



 ――お前がくれた、お前が見つけてきてくれた、あの贈り物のことだが。



 ……。



 ――あの男に、ニールヴェルトに、預けたよ。



 ……。



 ――あの男は、よく働いてくれている。



 ……。



 ――お前の贈り物を預けておくには、相応ふさわしいと思ってね。



 ……。



 ――それに、随分前のことだが、あの男はお前に興味を持っていたよ、ユミーリア。「美人だったら、紹介してほしい」とね。



 ……。



 ――ははは、そんなに恥ずかしがることはないよ、ユミーリア。



 ……。



 ――お前は、とても賢くて、優しくて、美しい……。たとえどこにやったとしても誇らしい、自慢の娘だ……。



 ……。



 ――いとしいお前の花嫁衣装か……想像するだけで、とてもとても美しくて、幸福な気持ちになるよ……。



 ……。



 ――ああ、想像するだけで……。



 ……。



 ――想像、するだけで……。



 ……。


 ……。


 ……。



 ――想像するだけで、お前のことを私から奪っていく下衆どもを、殺してやりたくなってくる……。



 ……。


 ……。


 ……。



 ――ずっと一緒だよ、ユミーリア……ずっと……ずっとずっと……。



 ……。



 ――可愛かわい可愛かわいい、私の娘……。いとしいいとしい、祝福の子……。



 ……。

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