19-6 : “人間”

「……許さん……っ」



 先刻まで魔族の生活の営みがあった集落の跡地。そこにかれた篝火かがりびあかりを、鋭くにらみ付ける目があった。



「……許さん……許さん……!」



 強くみ合わされた歯の擦れ合うギシギシという音に混じって、怨嗟えんさうめきが漏れ聞こえた。沈む寸前の弱いの光が、ぎらついた目に反射する。口の端からのぞく長い犬歯は、激しい怒りで自らの唇をみ切っていて、その口許くちもとには紫色をした血が流れていた。


 魔族の屈強な腕力でもって握り締められた手が、若木の幹にメキリとめり込む。その衝撃で、ガラス玉で作られた耳飾りがゆらりと揺れた。


 まばたきも忘れ、そのまま相手を呪い殺そうとでもするかのように篝火かがりびきらめきをにらみ続ける魔族の青年の胸の内で暴れ回っている感情は、“憎悪”と“怒り”であったが、その2つをたとえ足し合わせたとしても、理性を食い破ってくる“恐怖”の感情の大きさには、遠く及ばなかった。


 住居から剥ぎ取った木材でかれたあかりに照らされ、地面に伸びているその影の形は、一見すると自分たち魔族の姿形と見間違うほどに似通っている。


 話す言葉の端々には多少の聞き慣れないなまりのようなものが含まれてこそいたが、集団の中で交わされる会話の意味は、容易に聞き取り理解することができた。


 大きな鍋に水を張り、それを火にかけ湯を沸かし、干した肉と葉野菜を口にしているその姿も、よく見慣れた自分たちの日々の営みそのままだった。


 つまるところ、魔族の青年が目にしている“人間”というものの有りようは、自分たちの有りようを見ていることとさしたる違いはなかったのである。


 ゆえに、その様にこそ、魔族の青年は“恐怖”した。自分たちの営みを破壊し、手に掛け、その上でわらっている異国の民を――恐らく意思の疎通が可能で、理性も持っているであろう遠い地の騎士たちを。


 “人間”と呼ばれるあの集団は、“思考”の末に“判断”し、自らの“意思”でこれをやったのだ。魔族の青年の生まれ育ったその地をほふったのだ。どんなに凶暴な獣が相手だろうと、どれだけ巨大な魔物を前にしようと、これほど恐ろしいと感じたことはなかった。



「……っ」



 魔族の青年の喉はとうに渇き切り、苦い唾を飲み込むとそれが体内の至る所に引っかかる感覚があった。


 赤い色をした血が流れていると伝え聞いてこそいたが、銀の甲冑かっちゅうで堅く守られた“人間”たちの身体に傷はなく、血は1滴も流れていない。


 今まさに目の前で地面をらしているのは、同胞の紫の血溜まりだけである。



「よくも……よくも……っ!」



 “明けの国騎士団”の襲撃にいち早く気付き、集落の住人数人を辛うじて脱出させることに成功した、自警団にくみする魔族の青年は、そうして物陰の中からニールヴェルトの篝火かがりびに照らし出されたわらい顔を凝視しているのだった。


 そして、言葉にならない激情をわずかな単語の断片に乗せてぶつぶつとつぶやいていた青年の口から、やがて呪いそのものがこぼれ始める。



「……――……――」



 それは、呪文――世界に満ちる“魔力”という概念を束ね、使役する言葉――魔法の詠唱だった。


 魔族の青年が紡ぎ出す魔力の乗った言葉に呼応して、周囲の地面から黒い砂の粒が舞い上がり、渦を巻き、波を打ち始める。砂の一粒一粒が規則的に舞い上がり、自重で落下し、再び舞い上がる。


 そうして砂粒の集合体は1つの意思を持った存在のように空中に集合し、粗密を描き、秩序だった形状を成していった。


 雷撃系統から派生した、磁力を操る術式が砂鉄を押し固め、やがて魔族の青年の周囲に針のようにとがった無数の刃を作り出す。



「――殺してやる……っ」



 魔族の青年の見やる先、人間たちのともした篝火かがりびに憎悪と怒りと恐怖の宿った目が向けられると、それに呼応した無数の砂鉄の刃が宙でくるりと向きを変え、その鋭利な先端を一斉にそろえた。



「殺してやる……殺して……!」



 そして魔族の青年が、砂鉄の刃を放たんと、上げた手を振り下ろそうとしたそのとき――。


 ピチャリ、ピチャリ。と、水の滴る音が聞こえた。


 その音にびくりと思わず背筋を伸ばして、魔族の青年が周囲に警戒の目を向ける。磁力の術式によって空中に形成された砂鉄の刃が、青年のその目の動きに合わせて、刃先を羅針盤のようにくるくると回転させた。


 ピチャリ、ピチャリ。先ほどと同じ水の滴る音が、再び聞こえる。その単調で規則的な音は木々の間で散り散りになり、どの方角のどれほどの距離から聞こえてきているものなのか、判然としなかった。


 ピチャリ、ピチャリ。


 ……。


 ……。


 ……。


 ピチャリ、ピチャリ。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――ジュルッ。



「っ!」



 その水をすすり上げるような不快な音を耳にして、魔族の青年がガバリと背後を振り返った。砂鉄の刃もくるりと半回転して、夕闇の中に向けてその先端をびたりと静止させる。


 ……。


 ……。


 ……。


 ――ビチャッ。ジュルッ。ズゾゾッ。


 やぶの向こうから聞こえてくるその水をすするような音に、魔族の青年はおぞましい予感を覚えた。音の正体を覆い隠す背の低い枝葉が、ガサリガサリと不気味に揺れる。


 魔族の青年が、じりじりと砂地の上に足を滑らせ、音のする方へゆっくりとにじり寄っていく。その間にも、あの不気味な水をすする音が、やぶの向こう側から絶え間なく聞こえてきているのだった。


 ――ズルッ。ジュルッ。


 身体中の水分が汗に変わって噴き出して、砂漠に放り出されでもしたかのように、カラカラに乾いていくようだった。


 ――ジュルルッ。


 音の正体に近づいていくにつれ、魔族の青年の脳裏にはある1つの予感のようなものが激しく渦を巻いていた。


 ――ピチャピチャ。


 そんなはずがない。そんな恐ろしいことが、あるはずがない。そんなことがあってはならない――そう念じるほど、そう願うほど、しかし魔族の青年の頭の中には、その光景が浮かんでくるのだった。


 足をにじり寄せるたび、粘つく唾液を飲み込むたび、ける喉で息をするたび、悪夢のようなその光景が、まぶたの裏に仔細しさいに描き出されていく。


 そして、身の毛のよだつ自らの想像に思考を奪われ、周囲に形成した砂鉄の刃の存在も忘れて、やぶの中をのぞき込んだ魔族の青年の眼前に――。



「……ああ……あ゛あ゛ぁ゛……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……グルルル……」



「……アギィィ……」



 魔族の同胞の血をすする、真紅の鎧をまとった2体の騎士がいた。


 獣のように四つんいになった2体のくれないの騎士たちは、それぞれがあやめた魔族の上に覆いかぶさるようにして、その亡骸なきがらの至る箇所から屍肉しにくの血を絞り出していた。


 首筋の血管がざっくりと切り裂かれ、そこからあふれ出したであろう紫の血は、くれないの騎士たちによってとうに飲み尽くされていた。


 既に鼓動を止めて久しい心臓は剣で串刺しにされ、その剣先は噴き出した返り血で紫色に染まっていた。


 それでもいまだにその血を欲している2体のくれないの騎士たちは、魔族の亡骸なきがらの肉を引きちぎり、そこからにじみ出るわずかな量の流血を、貪るように吸っていた。


 それが、あの不気味な水をすするような音の正体だった。



「……きさまらあぁぁあぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛っ!!」



 怒り狂った魔族の青年が声を震わせ、砂鉄の刃を撃ちだそうとした刹那、ガサリとやぶの枝葉を揺らして、“3体目のくれないの騎士”が獲物を見つけた猛獣のように飛びかかってくるのが見えた。


 ……。


 ……。


 ……。



「おーぉー……きのいい“餌”がまた1匹、手に入ったかぁ……しっかりえよぉ……ひははっ……」



 魔族の青年の叫び声と、くれないの騎士の上げる獣のような咆哮ほうこう。それらの音を背中に聞いて、“烈血のニールヴェルト”は篝火かがりびあかりをその目にいびつに映し込み、振り返ることもせず、愉快そうににんまりとわらうばかりだった。


 ガサリガサリと揺れるやぶの中で、魔族の青年を仕留めた“3体目のくれないの騎士”が、そのまだ生暖かい血をすする水音が聞こえる。


 の暮れた集落の跡地は、そうして“特務騎馬隊”の真紅の甲冑かっちゅうまとった何者かたちの、魔族の紫血を貪りうごめく気配に満たされていった。



「さぁて……まだ夜は浅いぜぇ……食事を終えたら、次の“狩り場”を探しに行こうかぁ……ひははっ……ひはははっ……」

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