18-11 : 渇き

 ――戦況整理。


 “明けの国騎士団”、宵の国北方国境線“ネクロサスの墓所”へ、此度こたびの大規模攻勢計画における最大戦力、騎士10師団を投入――戦力規模、10万。


 対する宵の国北方のまもり、北の四大主“渇きの教皇リンゲルト”、時間と記録をつかさどる上位術式“遡行召喚”の使役でこれに対抗。


 第1波、遡行時系列“黎明れいめい歴”、“石器の骸骨兵団”を召喚――規模2万。10万の人間兵を前に、壊滅。人間側の損害、ごく軽微。


 次ぐ第2波、遡行時系列“平定歴”、“青銅器の骸骨兵団”を召喚――規模5万。物量・兵装ともに勝る人間兵により、再び壊滅。人間側の損害、1万5千。


 そして、第3波、遡行時系列“帝国歴”、“鉄器の骸骨兵団”を召喚――規模、50万。圧倒的物量により、一気に魔族側が形成を逆転。“明けの国騎士団”参謀部、残存兵力の一部、3万を率いて撤退を開始。5万5千の騎士、“墓所”中心部への侵攻戦から前線の死守防衛戦へ移行。


 前線戦闘員へは「王都からの増援」の“誤情報”が伝達されたが、参謀本陣と3万の兵が撤退を開始した“事実”を知る者は、いなかった。


 ……。


 ……。


 ……。


 無数のありが群れるように、“鉄器の骸骨兵団”が銀にきらめく“明けの国騎士団”を囲う光景が彼方かなたに見えた。


 5万の人間兵の塊が、氷菓子をめるように、徐々に徐々に小さくなっていく。雪崩込む“鉄器の骸骨兵団”を前に前線を維持できていたのは会敵後のわずか数分間のみであり、そこからの展開は“無惨”の一言だった。


 前線を易々やすやすと突破された“明けの国騎士団”は両翼を包囲され、更には後方への鉄器骸骨の進入を許し、四方からの同時挟撃によって士気と退路を完全に失ったのだった。


 生者の悲鳴がびた鉄器の擦れる音にき消され、断末魔は骸骨兵たちの地鳴りと共鳴する。そして際限なく飛び散る流血が、亡者たちの乾いた骨に染み込んでいった。



「カカカカカッ、カカカカカッ」



 魔獣の骸骨にかれる移動砦の頂上、その皇座に座したまま、“渇きの教皇リンゲルト”が笑う。その暗く渇いた口は、地獄の釜が開いたかのように底知れぬうつろに満ちていた。



「カカカカカカカカッ……! 足りぬ……足りぬ、足りぬ! 全くもって、もの足りぬっ!!! その足掻あがきも! その恐怖も!! その断末魔も!!! その鮮血も!!!! 偉大なる祖国“ネクロサス”の臣民たる我らの渇きを満たすには! 到底! 足りぬっ!」



 狂喜するリンゲルトが、包み込むように両手を宙に伸ばす。その皇座から見下ろす戦場で、“明けの国騎士団”の銀の鎧の輝きは、教皇の左右の手の中に収まるほどに小さくしぼんでいた。



「ああ、人間よ……生者よ……この程度で死に絶えてくれるでないぞ……。この闘争の日々を、わしがどれだけ待ちわびたことか。渇いておるのだ……飢えておるのだ……満たされぬのだ……この老骨が、欲しておるのだ! 死を! おお、死を! 大地を埋め尽くす、大いなる死を!」



 渇いた土地に巻き上がる砂埃が、生者の生き血を吸い込み空気を赤黒く染め上げる。


 一切の慈悲なく人間たちを踏み潰していく骸骨兵たちは、決して癒えることのない渇きを満たそうと、その鮮血と肉と臓物を貪り続ける。


 それは、イナゴの大群のようなものだった。死と渇望とで底の抜けた亡者たちが、かつて“ネクロサス”と呼ばれていた亡国の歴史の残滓ざんしが、すべての生の営みを破滅の中へと引きずり込んでゆく。


 それらが通った後に残るのは、茫漠ぼうばくとした渇き、ただそれのみだった。



「カカカカカカッ! カカカカカカカッ!」



 “渇きの教皇リンゲルト”が、一際愉快そうに、地獄のただ中から直接響いてくるような声で笑った。


 北の四大主が、すべての生を渇望し握り潰す渇いた者が、なぎ倒されていく“鉄器の骸骨兵団”の一角に向けて手のひらを伸ばす。


 その手の届かぬ場所にあるものを捕まえようとでもするかのように、骨だけの拳が、ぐっと宙で堅く握られた。


 バチバチッ、と雷光がほとばしり、“右座の剣エレンローズ”と新米騎士、そしてたてがみの赤騎士と“特務騎馬隊”の子細な姿が、リンゲルトの眼窩がんかに焼き付いた。



「そうじゃ……来るがよい、小娘ども……あらがうことこそ、生者に与えられた祝福よ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「――ならばこそ……わしこそが、その祝福の全てを、否定する者である……」



 ……。


 ……。


 ……。



「カカカカカッ……カカカカカカッ!」





 ***





「あとどれくらい保つの!?」



 “墓所”の大地を踏み砕きながらゆっくりと前進を続ける移動砦に向け、刻一刻と騎馬を走らせながら、エレンローズが背後を追走する新米騎士に尋ねた。



「もう、ほとんど消えかけてます! あと3行!」



 戦場を全力で駆け抜ける騎馬から振り落とされまいと、その首元にしがみつきながら、新米騎士が片手に広げた術式巻物スクロールの書面を見て言った。


 と、新米騎士が術式巻物から目を話して前方を見やると、目と鼻の先に大きな図体ずうたいをした鉄器骸骨が道を塞ぐように立ち尽くしているのが見えた。



「う、うわあぁぁぁ!!」



 正面衝突を予感し肝を冷やした新米騎士が、思わず目をつむって頭を下げた。


 ……。


 しかしいつまでっても、鉄器骸骨と衝突した衝撃もなければ、それを踏み砕いた振動も伝わってこなかった。



「しっかりしなさい! きみがかけた術式でしょ!?」



 エレンローズが騎馬の上で振り返り、新米騎士を鼓舞するように言った。



「す、すみません!」



 動転していた気を取り戻して、新米騎士がくらの上に起き上がる。



「“隠密おんみつ者のしるべ”は、これが最後の一巻きです。これの効果が切れたら、強行軍に使える術式巻物はもう、ありません……! そうなったら……っ」



 無数の鉄器骸骨たちが、強行軍でその中を突き進む騎士たちとは“全くの別の方向を向いて”前進していく中、新米騎士が深刻な声を漏らす。


 再び、騎士たちの眼前にその道を塞ぐ骸骨兵の集団が姿を見せた。



「今はそんなことは考えなくていいわ! とにかく進むのよ! それだけに集中しなさい! あの移動砦に1歩でも近く! 最短距離で!」



 エレンローズと新米騎士、そして“特務騎馬隊”が、一切速度を落とすことなく、骸骨兵の塊へ突っ込んでいく。


 ……。


 そして銀とくれないの騎馬たちは、“道を塞ぐ骸骨兵たちをすり抜けて”、北の四大主の構える移動砦へとただ真っぐに進路を取り続けた。


 術式“隠密おんみつ者のしるべ”――それは被術者の身体を認識不能な霊体で包み込み、物理的な干渉を受けることも与えることもかなわなくさせる隠密おんみつ術式であった。その有効時間は長くはなく、術式巻物に記された術式が消え去ると同時に効果は失われてしまう。



「残り時間、あと2行です! エレンローズさん!」



「もっと……もっとよ! もっとはやく走って!」



 “隠密おんみつ者のしるべ”の効果が残り僅かであることを承知で、エレンローズが両手で堅く手綱を握り、騎馬の腹を強く蹴った。騎馬たちは一切の障害物をすり抜けて、ただただ、愚かしいほど真っぐに前へ前へと駆け抜ける。


 騎馬たちもこの快進撃が長くは続かないと本能的に察知しているのか、今にも心臓が破裂してしまいそうなほどに、その脚が潰れるのもいとわぬというように、力を振り絞り続けていた。



「ごめんね……! 苦しいだろうけど、お願い……私たちの無茶むちゃに、つき合って!」



 全身で荒い呼吸を繰り返している愛馬の首に手をやって、エレンローズが喉から絞り出すようにつぶやいた。



「……あと1行……! 術式の効果……切れます!」



 背後で、新米騎士がそう告げる声が聞こえた。

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