18-9 : 相応しい者

「カッカッカッ……カッカッカッ! カーッカッカッカッ!!」



 移動砦の頂上、皇座に座した“渇きの教皇リンゲルト”が、骨が砕けてしまいそうなほどに大きく口を開け、声高に笑っていた。



「なるほど……そういうことであったか。知っておる……わしは知っておるぞ……“運命剣リーム”! はるか昔、純粋な魔法の研究にではなく、魔導器の製法そのものを探求し続けた国があった……。“運命剣リーム”は、今はもう名ものこっておらぬの国が辿たどり着き得た、魔導器の神髄よ……。カカカッ! 全く、人間にしては、えらく古ぼけた代物を持ち出してきたのもじゃて」



 天を仰ぎ見たリンゲルトが、ひどく愉快げに笑い続ける。



「カカカカッ! カッカッカッカッ! ……カカカっ……」



 ……。


 ……。


 ……。


 そして、笑い声をピタリと止めた北の四大主が、戦場を駆ける女騎士を、死より空虚なその眼窩がんかもって見下ろした。



「……。……。……小娘……その剣が背負うものは、貴様には重すぎる……。己の身の丈を、知るがよい……」



 リンゲルトが吐き出す息は、黄泉よみの世界に吹く風のように冷たく、死神の呪詛じゅそのように不吉だった。



「そしてその身をもって、思い知るがよい……貴様の選び取る“未来”と、我らの積み上げたる“歴史”……“運命”をひらくに相応ふさわしいものが、どちらであるかをな……」





 ***





「――“運命剣”!」



 もう何度目になるかも忘れた光景が、視界いっぱいに広がった。未来の可能性を投影する、無限に拡散する万華鏡。いにしえの技術が成した、魔導器による究極の到達点。その眼前に、エレンローズは立っていた。


 時間という概念が排除された、刹那よりも短い揺らぎのような、永遠に引き延ばされた静寂のような、例えようのない世界の中に、エレンローズの意識が漂う。


 それは、人間が創造し得る中で、神の見ている世界の姿に最も近いものといえた。


 “鉄器の骸骨兵団”が一斉に押し寄せ、エレンローズと“特務騎馬隊”を押し潰す――。



 ――いいえ……それは私の望む未来なんかじゃない。



 一際高い壁となって流れ込む骸骨兵たちを騎馬の跳躍で飛び越えた先で、そこに構える無数の槍兵の長槍に串刺しにされる――。



 ――違う……私が欲しいのは、そんな未来なんかじゃない。



 ……。


 ……。


 ……。



 ――落ち着いて……ここは“運命剣リーム”が作り出した、時間の存在しない箱庭……。選ぶのよ、エレンローズ……私の望む未来を……最善の一手を……。



 ……。


 ……。


 ……。


 そして――。


 ……。


 ……。


 ……。



 ――あった……。



 ……。


 ……。


 ……。


 神の目に等しい無限の万華鏡が閉じ、未来が、たったひとつに収束する。


 ……。


 ……。


 ……。


 見渡す限り“鉄器の骸骨兵団”に埋め尽くされた戦場を、そうしてエレンローズたちはほぼ無傷で駆け抜け続けていた。



「大丈夫……“運命剣リーム”が、私たちを導いてくれる……!」



 それは、わずか数十騎で駆けるエレンローズたちが北の四大主に挑むための、“渇きの教皇リンゲルト”に対抗し得るための、唯一にして絶対の武器だった。


 いかな手駒を無数に持ち、盤戯にけた差し手を相手にしようと、その手の内をすべて見透かし、常に最適解を選び取ることさえできれば、物量差も力の差も、意味をなさない。


 その内部機構も術式回路も、一切が解析不能・複製不可能な点を除いて、“運命剣リーム”に欠点はなかった。


 その一振りの古剣を持つ者には、未来が約束される。勝利の限りが。繁栄の極地が。あらゆる“絶対”が。


 それを持つエレンローズの手が、震える。


 その古剣の鼓動は、余りに畏れ多かった。


 それは、かつてその古剣を手にした者たち全てが感じてきた感覚だった。


 世界を、未来を、運命を支配する剣――どんな王の権力よりも、どんな神官の法よりも尊く、比類ない、神そのものの力。


 そんな剣を顔色ひとつ変えず、おごることなく携えていたシェルミアという人物は、正に王たる器の人――“運命剣リーム”の力を解き放つたび、エレンローズは“明星”のまぶしさを思い知らされた。



 ――この剣は、私なんかが持ってちゃいけない……。



 ……。



 ――きっと、ばちが当たるわ……。



 ……。



 ――でも……お願いです……どうか、お願いします……神様……。



 ……。



 ――せめて今だけ、私の罪を、許してください……。



 彼方かなたに座す“渇きの教皇リンゲルト”の小さな姿が、先ほどよりもわずかに大きく見える。


 それは盤戯にたとえるならば、盤上を自在に駆ける“神官”の駒でもなく、敵を縦横に飛び越える“騎馬”の駒でもない。エレンローズたちのその姿は、ただただ前にのみ進み続けるだけの駒だった。あらがう気力と不釣り合いに鈍重な足取りで、引き返すこともかなわず、ただ前だけを見ているそれは、“歩兵”の駒、そのもののように見えた。


 見渡す限りにひしめく、数十万の“鉄器の骸骨兵団”に囲まれ続けるわずか数十騎の“明けの国”の騎士たち。エレンローズが振り向いても、数万の同胞の銀のきらめきはどこにも見えなかった。見えるのはただ、大地を埋め尽くすびた鉄と変色した骨のすすけた色だけだった。


 絶望と恐怖を、感じないはずがなかった。心から熱を消し去り、たとえ味方を踏み越えてでも前に進むと自身に誓って王都をったエレンローズだったが、その鉄の決意がぐらりと揺らぐほどの悪夢が、眼前に果てしなく広がっていた。


 ああ、先刻目にした、あの雛鳥ひなどりのような若い騎士たち。あれは、私の後輩たちだったではないか。


 鋭い氷のように研ぎ澄ませていたはずの意志の一部がずるりと溶けて、それを押さえ込む手のひらの隙間から少しずつこぼれ落ちていく。



 ――助けられなかった……。



 ――ひどいこと、言っちゃった……。



 ズキリと、胸が小さく痛んだ。



 ――最低だ、私……。



 ……。



 ――いいえ……いいえ……!



 “雷刃:火雷ほのいかずち”――稲妻によって赤熱させた刀身を戦乙女のように振るいながら、無数の敵をなぎ倒しながら、エレンローズが自らを硬く律する。



 ――罰なら、幾らでも受ける……!



 エレンローズの双剣が敵の鉄器鎧をばっさりと溶かし斬り、骸骨兵の背骨を焦がす。



 ――愚か者と罵られても、構わない……!



 “右座の剣”の二つ名に恥じぬ剣閃が、たてがみの赤騎士の突き立てた投擲とうてき槍もろとも、進路上の敵を両断していく。



 ――だからこの一瞬一瞬のためだけに……私の、全身全霊を……!



 宝石のように硬い覚悟と、刃のように研ぎ澄まされた集中力が、“右座の剣エレンローズ”を猛将もうしょうへと変貌させる。


 自分が次に何をすべきかが、はっきりと知覚できた。敵の呼吸が、手に取るように分かった。かわすべき一矢と、受けるべき一太刀の、すべてが明確に理解された。


 そしてその無我の中で、女騎士は内なる場所に己の声を聞く。“今よ”と。



「――“運命剣”」



 無意識が、それを使わねばならぬ瞬間を見定めて、その声を聞き漏らすことなく、エレンローズが“運命剣リーム”を鼓動させる。


 古剣が、神の目のごとき無限の可能性をはらんだ万華鏡の世界へと、エレンローズを再び導く。



 ――……。



 そして、その中のたった一欠片に向かって、エレンローズが手を伸ばしていった。



 ――これよ……これが、最善の一手……私が選ぶ、次の1歩のための未来……。



 その欠片かけらに映る像が目の前いっぱいに広がり、可能性が収束し、時間という概念がまわり始めていく瞬間――。



 ――え……。



 エレンローズはその未来の形の数奇さに、目を見開いた。

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