18-6 : その意思の選択を

 新米騎士が何を言っているのか理解できず、新人騎士はぽかんと口を開けた。



「……は? どういう意味だ、それ?」



「もう1度、前線に出るってことだ、それ以外のどういう意味に聞こえるんだよ」



 その言葉を聞いた新人騎士が、新米騎士に詰め寄ってその肩を力一杯につかんだ。



「お前……! この状況でそんなふざけたことを……! 戦場で拾った命を、あいつの犠牲を、無駄にする気か……!」



「ふざけてなんかねぇよ」



 そう言いながら肩に置かれた新人騎士の手をどかす新米騎士の表情は、真剣そのものだった。



「俺はふざけてなんかないし、自棄やけになってる訳でもねぇよ。俺はただ、戦場に立つ意味が分かっただけだ」



 新米騎士の脳裏に、“石器の骸骨兵”に包囲された記憶が生々しくよみがえる。



「戦場じゃあ、王都でこなしてた訓練みたいに、誰も手加減なんてしてくれないし、助けてももらえない」



 骸骨兵の群れにまれて息耐えた、新顔騎士の姿が目に映る。



「戦場じゃあ、自分の選択が全てだ。選択したこと、選択しなかったこと、その全ての結果は、自分自身に返ってくるんだ」



 そしてエレンローズの冷たい眼差まなざしと、早馬に乗って駆け抜けていく銀色の髪の輝きを、忘れることができなかった。



「自分の意志で選択することを……自分で選択した未来を……俺自身が信じてやれなくて、何で今ここに生きてるなんて言えるんだ。俺は選択するぞ……あいつの意志で拾ったこの命で、俺は俺の意志で選択する――」



 前線の方向へと歩を運びながら、新米騎士が自分自身に宣誓するように言った。



「――俺はエレンローズ教官を追うぞ……足手まといになろうが、役に立たなかろうが、関係ない。ここで立ち止まったら、俺はもうこの先、何処どこに行くことも、何者になることもできない気がする」



「馬鹿か、お前……俺は……俺には……」



 前に進んでいく新米騎士の背中に向かって言いながら、新人騎士は根を張ったように1歩も動かない自分の足をのろった。



「……俺には……無理だ、そんなこと……怖くて、足が前に、出ないんだよ……っ」



 自分自身への激しい苛立いらだちで、新人騎士が思わず自分の脚を拳で殴りつけた。


 その殴打音を耳にして、肩越しに振り返った新米騎士が、ゆっくりと口を開く。



「お前はついてこなくてもいい。ただ、ここに残ることを選択したお前の意志を、お前自身が裏切ったりするなよ」



「何言ってんのか分かんねぇよ……もうちょっとうまくしゃべれ、馬鹿野郎……」



「……だよなぁ。戦場の空気で、どうにかなっちまったのかなぁ、俺。でもなぁ、今すっごく、頭の中がすっきりしてるんだよなぁ」



 ……。


 ……。


 ……。



「じゃあな……戦友」



 新米騎士が、振り返りもせず、その場を離れていく。


 ……。


 ……。


 ……。



「……待て」



 その背中を、新人騎士がもう1度だけ、呼び止めた。



「これ、持って行け……これと、これもだ」



 新人騎士が、革帯にくくりつけていたそれを宙に放り投げる。それは放物線を描いて、新米騎士の手に渡った。



「……何だ、これ?」



 新米騎士が、手渡されたそれを見つめて、首をかしげた。



「俺の家系はな、代々魔法院に進む人間が多くてよ……そういう知識と技術は豊富なんだ。まぁ、そのお陰で、家柄にもなく騎士になんてなった俺は、腫れ物扱いだけどな」



 新人騎士が投げ渡したそれは、数巻きの術式巻物スクロールだった。



「結局、俺には1回きりの術式巻物の使いどころなんて、見極められなかった……あのとき使っていればなんて、そんなことばっかり考えちまう……だから、それはお前が、持って行ってくれ」



 その術式巻物にめれる限りの祈りと願いをめるように、新人騎士が喉を詰まらせながら言った――無茶むちゃするあの馬鹿を、まもってやってくれ……。



「……でも俺、術式巻物の使い方、分からないぞ?」



「ちゃっちゃと教えてやるよ……今から俺の言うこと、頭にたたき込んどけ。全く……教本ぐらい、読んどけよ、馬ぁ鹿……」





 ***



 ――“ネクロサスの墓所”、神殿遺跡。


 その丘の上から戦場を見下ろす“渇きの教皇リンゲルト”の視界の中で、5万の“青銅器の骸骨兵団”の最後の1隊が、人間兵に蹂躙じゅうりんされていった。


 武装力、兵力の両面にいて、またしても人間側優位の展開のまま進んだ第2の戦線は、“青銅器の骸骨兵団”全滅、“明けの国騎士団”の損失1万5千という結末を迎えていた。


 残り8万強の“明けの国”の大軍勢が、再び陣形を行軍に適した長方形陣に変形させ、“ネクロサスの墓所”中心部へ進撃していく。



「……」



 その光景をじっと見下ろすリンゲルトの骨の拳は、宝玉を頂くつえを固く握り締め、わなわなと震えていた。



「……おのれ……」



 持ち上げられたつえが、朽ちた石床をガツンと突く。



「おのれ……人間ども……!」



 辛抱たまらなくなった教皇が、風化した皇座からのそりと立ち上がる。


 そのうつろな眼窩がんかに宿る感情は――。



「……ククク」



 ――しかし、“屈辱”でも“憤怒ふんぬ”でもなく――。



「ククク……カカカッ……カカカカカッ!」



 金糸の刺繍ししゅうが縫い込まれた赤い法衣ほういを風になびかせ、“渇きの教皇リンゲルト”が両腕を左右に広げ、天を仰ぎ見、顎の骨を打ち鳴らした。



「カカカカカッ! 実に……実に、“愉快”! よくぞ我が“平定歴”を乗り越えた、人間どもよ!」



 風に広がる法衣ほういが、バサバサとはためく音を立てる。



「この身が肉を宿しておれば、心の臓が高らかに脈打っていたじゃろう。この目に瞳が埋まっておれば、高揚に涙を流していたじゃろう。わしに“死”が宿っておれば、今まさにこのとき、“生”のよろこびを知っていたじゃろう。カカカッ、カカカカッ」



 ……。


 ……。


 ……。


 そして、愉快愉快と笑う教皇の声で満ちていた神殿遺跡に、しんと沈黙が降りた。


 ……。


 ……。


 ……。



「……じゃが、わしはそのいずれをも、持ち合わせぬ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……この身にあるは、“渇き”のみ……生きとし生けるものたちへの、“渇望”だけじゃ……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……口惜しや……」



 ……。


 ……。


 ……。



「その戦場に満ち満ちる“生と死”の、すべてが欲しい……」



 ……。


 ……。


 ……。



「……いざ、参ろうぞ……」



 ……。


 ……。


 ……。


 教皇の眼窩がんかに不気味な光が宿り、灰を巻き上げながら一際強い風が渦巻いた。



「――“遡行召喚:帝国歴”」



 ……。


 ……。


 ……。


 濃い灰の舞う旋風つむじかぜの中に、“渇きの教皇リンゲルト”の眼光が、亡霊のようにぼおっと浮かび上がった。



「……そういえば……あの銀の髪の小娘、何やら面白い物を持っておるようじゃ……カカカッ……」





 ***



 周囲には、8万強となった“明けの国騎士団”が大地を踏み鳴らす地鳴りと振動が満ちていた。


 “ネクロサスの墓所”の中心部となる小高い丘がはっきりと視界に映り、その上に建つ巨大な神殿遺跡の影も見て取れる。人間の軍勢が、それだけ“墓所”の深部にまで侵攻した証拠だった。


 盤戯にたとえるならば、それは相手の陣地の3分の2以上の位置にまで持ち駒を運んだ状態である。


 攻守の駆け引きは、既に用を成さない――ここからは、一方的な詰み手読み。本陣の参謀官たちの頭は、その意識に切り替わっていた――神殿遺跡に巻き上がった、旋風つむじかぜの一報が本陣に知らされるまでは。


 始め、それは甲冑かっちゅうの下で汗ばんだ肌をでる涼やかなそよ風だった。


 風は次第に強くなり、騎馬のたてがみがはらはらと揺れ始める。


 巻き上がる強風に、槍兵の構える長槍がふらふらと押された。


 舞い暴れる乾いた砂に視界を遮られ、先ほどまで見えていた丘の上の神殿遺跡の影がかすんだ。


 嵐のように渦を巻く旋風つむじかぜが、“ネクロサスの墓所”の丘陵地でごうごうと風切り音を立てた。


 たまらず指揮官が行軍の足を緩める指示を出す頃には、間近に見上げる丘の頂に、巨大な竜巻が灰色の柱となって屹立きつりつしていた。


 灰の竜巻ははるか上空に激しい気流を生み、それによって吸い寄せられた雲が、天に分厚い黒幕を落とした。


 ゴロゴロ、ゴロゴロ。分厚い雲が“ネクロサスの墓所”一帯に暗い影を落とし、灰の竜巻の内部でほとばしる稲光がくっきりと見える。


 ビュウビュウと吹き荒れる風の音と、ゴロゴロという遠雷の音が、辺り一面を埋め尽くす。


 一瞬、灰の竜巻の陰影が髑髏どくろの形に見えたのは、目の錯覚だったのか、あるいは偶然だったのか。


 いずれにしても、地の底から湧いてきたかのような、重く低い亡者の笑い声だけは、まぎれもなく実在するものだった。


 ……。


 ドドドドド、ドドドドド。


 地鳴りが、聞こえた。天地を揺らす、天災の前触れのような、不気味な地鳴りが。


 しかしそれは、嵐が天を裂く音でもなく、稲妻が空気をく音でもなければ、大地の割れる音でもなかった。


 ドドドドド、ドドドドド。


 それは、天の成す災いの音などではなかった。


 ドドドドド、ドドドドド。


 それは、矮小わいしょうな者たちの音。


 ドドドドド、ドドドドド。


 地に繁栄する、無数の意志の音。


 ドドドドド、ドドドドド。


 地の底に眠る、数えることさえ愚かしい、砂山のごとき、遺恨の群れの音。


 ――ゴクリ。と、指揮官が固唾を飲み込んだ。



「本陣に、指示を請う……。伝令を……“神速の伝令者”を……急げ……!」



 ……。


 ……。


 ……。



 ――『全軍、戦闘陣形とられたし。我、会敵せり。我、会敵せり!』



 ……。


 ……。


 ……。


 びてなお、鋭い切っ先の槍。欠けてなお、研ぎ澄まされた大剣。朽ちてなお、堅さを忘れぬ鎧。死してなお、地を駆ける騎馬と、それにかれる戦車たち。



「人間どもよ……貴様らはもう、覚えてはおるまい……かつてこの地上の半分は、我ら魔族の領土であったことを……。“宵の国”と呼ばれる以前の時代、我ら魔族の故郷の名を……」



 何十頭もの巨大な魔獣の骸骨にかれた移動砦の上で、北の四大主“渇きの教皇リンゲルト”が皇座に腰を下ろしたまま、地の底のように低い声でつぶやいた。



「――“ネクロサス”という、国の名を」



 ――“墓所”の地下深くに眠る、“亡国ネクロサス”。そこに眠る無数の歴史の断片が、リンゲルトの召喚魔法によってひも解かれていく。


 ほどなくして、“鉄器の骸骨兵団”50万が、灰の竜巻を突き破り、北の大地を埋め尽くしていった。

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