18-7 : 非情な盤戯

「はあぁぁっ!」



 ――最前線より、更に前方。



「止まるな! 立ち止まったら、死ぬわよ!」



 本隊をはるか後方に置き去りにして、真紅の“特務騎馬隊”を率いた“右座の剣エレンローズ”が、丘を真っ黒に埋め尽くして雪崩込んでくる50万の“鉄器の骸骨兵団”に向けて、全力で騎馬を駆っていた。



「雑兵に構うな! 狙う首はただ1つ……北の四大主のみ!」



 交戦まで、500メートル。


 エレンローズが両脚を踏ん張り、くらの上に身体をがっちりと固定した。


 交戦まで、400メートル。


 左手を背中に伸ばし、エレンローズが愛用の長剣を引き抜く。


 交戦まで、300メートル。


 更に手綱から手を放し、右手も背中に伸びていく。そこには左手に持つ剣とは異なる意匠の、古めかしい剣とさやつるされていた。


 交戦まで、200メートル。



「神様……ロランを、まもってあげてください……」



 引き抜いた古剣を額の前に掲げ持ち、エレンローズが遠く離れた戦場に赴いた弟へ、祈りを送る。



「私たちを、導いてください……シェルミア様……」



 目頭が、急に熱くなった。口許くちもとが引きって、息ができなくなった。


 アランゲイルの指先が肌に触れた感触が、フラッシュバックする。甲冑かっちゅうの上から爪を立て、皮膚ごとその記憶を引き剥がしてしまいたい衝動に駆られた。


 目の前の数え切れない“鉄器の骸骨兵団”の波に、目眩めまいを感じた。



 ――……怖い。



 ――……気持ち悪い。



 誰かに、強く抱き締めてほしかった。大丈夫だよと、頭をでてほしかった。



 ――……でも……!



 兜をまとっていないエレンローズが、今にも泣き崩れてしまいそうな表情の上から、弱い自分をみ潰すように、ギリリと強く歯噛みした。


 交戦まで、100メートル。



 ――……ここで、泣いちゃダメ……! ここで、逃げちゃダメ……!



 何度も何度も自分に言い聞かせ、努めて冷たい表情を作り、その下に感情を押し込めたエレンローズが、古剣を高らかに天に突き上げた。



「――続けぇぇ!」



 交戦まで、50メートル。


 ズドンっ。


 たてがみの赤騎士が、投擲とうてき槍を鋭く投げた。槍は大地を隙間なく埋める“鉄器の骸骨兵団”の一角に突き刺さり、周囲の敵を衝撃で吹き飛ばした。


 そのわずかに開いた間隙に向かって、“右座の剣エレンローズ”が切り込んでいく。


 右腕の魔導器、“雷刃の腕輪”の魔方陣を光らせながら。



「――“雷刃:火雷ほのいかずち”!」



 古剣の魔導器、“運命剣リーム”を振りかざしながら。


 ……。


 ……。


 ……。



「――どけえぇぇぇぇっ!!」



 50万対、8万。詰み手を選んでいた側が、一転して詰められる側へと変わり果てる。


 ……。


 ……。


 ……。


 絶望的な戦局が、押し寄せる。



 ***



 ――“明けの国”陣営、本陣。



「……有り得んっ!」



 口ひげを生やした参謀官が、大机をたたき割らん勢いで拳を振り下ろした。



「……50万?! 50万だと?! ふざけるな! ただでさえ数の少ない魔族の連中に……“宵の国”の一方面に、何故なぜそれほどの兵力があるのだ!?」



 口ひげの参謀が息を荒らげるたび、口の端に加えた煙草の火がジリジリと赤くなる。怒り狂った参謀が机の脚を蹴り上げると、その衝撃で長くなった煙草の灰がポロポロと地図の上に降り注いだ。



「取り乱すのは止めていただきたい、見苦しいですぞ! これではまとまる考えもまとまりませぬ!」



 細身の参謀官が、口ひげの参謀をにらみつけながら語気を強めた。それはそう発言した本人自身も、自制が取れなくなっている証拠であった。



「ふんっ! まとまるような妙案を持っているのなら、幾らでも黙ってやる!」



 口ひげの参謀が、どかっと椅子に座り込んで、度数のきつい酒をぐいっとあおり、アルコールに焼ける喉を震わせて声を張り上げた。



「聞かせてもらおうではないか! 御教示願おうではないか! さぁ、この盤面、次にどのような手を打つのかね!?」



 口ひげの参謀が、駒の並んだ地図を指さしながら怒鳴った。地図の上に配置されている“明けの国”の白い駒は、8基。対して“宵の国”の黒い駒は、20基――50万という“鉄器の骸骨兵団”の圧倒的物量を前に、盤上の駒ですら、数が足りないのだった。



「それは……っ」



 細身の参謀が、ぐっと口を閉ざす――次の妙手だと? 序盤から大半の兵力を投入した我々に対して、北の四大主は己の手駒をこの局面まで温存していたのだ……いや、“温存”などではない……我々は、“渇きの教皇リンゲルト”に、つたない駒運びを鼻でわらわれていたのだ……いとも容易たやすく劣勢を返してきた相手に、更にそれを覆す神の一手など、あるはずが……!


 ひど苛立いらだち酒をあおっている口ひげの参謀官をにらみつけながら、細身の参謀はその傍若無人ぷりを、いっそ羨ましいとさえ思った。感情に任せて自らの責務を半ば投げ出しているような、そんな恥知らずな態度をとれる胆力が憎たらしかった。



 ――酒をあおりたいのは、こちらの方だ……!



「……“伝令者”を用意せい」



 それまでじっと沈黙していた初老の参謀官が、口許くちもとで組んでいた両手を解いて、ゆっくりと口を開いた。



「第1から第3師団へ、一斉伝達……第4から第10師団の前進に合わせ、後方へ展開。そのまま本陣まで後退せよ」



「後退、でありますか……?」



 参謀官の発言を書き取りながら、情報官が恐る恐る確かめるように言った。



「左様……第4から第10師団へは、次のように伝達せい……」



 初老の参謀が深く呼吸し、一拍の間を置いて、絞り出すように言った。



「第4から第10師団は、敵勢力を迎撃。“王都からの増援が間もなく到着する。それまで前線を死守せよ”、と」



 それを聞いた口ひげの参謀が、片目をり上げて怪訝けげんそうな顔を浮かべた。



「王都から増援……? そのような話、聞いてはおらぬが」



 その横で、細身の参謀が額に冷や汗を浮かべて、両目を驚きに見開いて初老の参謀を見やる。



「……貴公……まさか……!」



「……王都から、彼奴らを押し返す増援が来る。それまで、押し上げた前線は死守せねばならん……第1から第3師団は疲弊が激しく、後退する必要がある……“そういうことじゃ”」



 細身の参謀より一拍遅れて、初老の参謀の言っていることの意味を理解した口ひげの参謀が、酒で赤く染めた顔を青ざめさせた。



「“そういうことに、なっておる”……“よいな?”」



 ……。


 ……。


 ……。


 分厚いほろが下ろされた本陣の中に、異論をとなえる者はいなかった。


 ……。


 ……。


 ……。


 来るはずのない、“王都からの増援”の情報が、“神速の伝令者”によって、各師団へと伝達されていった。


 ……。


 ……。


 ……。


 空虚で凄惨な前線死守と、それを犠牲にした敗走が、始まった。

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