18-5 : 駆ける者と、追う者

「カッカッカッ……実に豪快な眺めよなぁ」



 朽ちた神殿遺跡から広大な戦場を見下ろして、“渇きの教皇リンゲルト”が愉快げに笑った。


 永く永く存在し続けたその老骨は、あらゆる見識と経験を経て、深い聡明そうめいさと物事への固執を積み上げて、自己というものを普遍の存在へと練り上げている。


 “老獪ろうかい”という言葉をそのまま具現させたかのようなリンゲルトであったが、そんな存在にもあらがいきれないものがあった――。



「この骨の芯に響く地鳴り………関節に舞い込む砂埃……乾いた骨の砕ける音……そして肉を断つ感触と、吹き出す血潮……カカッ、カカカッ」



 ――そのひとつが、“戦場の息遣い”である。



「おぉ、おぉ……この感覚だけは、何度味わっても新鮮じゃ……。わしのこの渇き、貴様らの血でわずかでも潤してみせよ……カカカカッ、カカッ」



 そう言って興奮に声を震わせるリンゲルトの肉と表情を失った頭骨には、しかし明らかにおぞましい笑みが浮かび上がっていた。



 ***



 ――“ネクロサスの墓所”、衝突線。


 兵力10万の“明けの国騎士団”と、兵力5万の“青銅器の骸骨兵団”。大規模に展開する両軍の先鋒せんぽうがかち合ってから、既に数分の時間が経過していた。


 “石器の骸骨兵団”総勢2万を殲滅せんめつし、阻む者のいなくなった丘陵地帯を猛進していた騎士団の前に、その“青銅器の骸骨兵団”は突然現れた。


 背の低い草木がまばらに自生する、乾いた土地の広がる“ネクロサスの墓所”に、砂嵐のような旋風つむじかぜが吹いたかに見えた矢先、その中から5万の骸骨どもが前兆もなく襲来したのである。


 風化と酸化によって青緑色に変色した青銅器の鎧と長剣と槍を携えた骸骨兵たちが、古風な陣形を形作って“明けの国騎士団”の懐に飛び込む。


 対する“明けの国騎士団”は、本陣からの“神速の伝令者”による統制の下、“青銅器の骸骨兵団”と会敵するまでのわずかの間に、縦に長い長方形の布陣から横に広い扇形の陣形に素早く隊列を変形させた。


 前線、つまりは戦闘行動の可能な騎士の人数が増大する扇形陣形の最前列で、人間と骸骨兵両者の槍兵と騎馬兵が衝突する。


 “石器の骸骨兵団”の持ち合わせていなかった金属の兵装で身を固め、複数の兵科を有し、陣形を構築し、更には5万体という規模にまで数を増した“青銅器の骸骨兵団”の戦闘力は、誰の目に見ても明らかに、始めの2万の軍勢のものより強大になっていた。


 しかし、幾ら強大になったとはいえ、あくまでそれは2万の“石器の骸骨兵団”と比較してのことである。


 び付いた青銅器は、打撃力においても防御力においても、人間兵たちの鋼鉄の装備に劣る。大規模な集団戦によって数千人の犠牲を払いながらも、“明けの国騎士団”は“青銅器の骸骨兵団”の青銅長剣をへし折り、びた鎧を斬り伏せ、骨だけの騎馬を粉々に踏み砕いていった。


 武装面で人間側圧倒的有利、なおかつ兵力差は10万対5万。


 “石器の骸骨兵団”の倍以上の規模での敵襲に“明けの国騎士団”司令部がひるんだのも、会敵の報を受けたそのときだけであった。人間側圧倒的有利の状況は、依然として変わることはなかったのである。


 そんな中、交戦地帯を走り抜け、“ネクロサスの墓所”中心へ向けて行軍していく集団があった。


 真紅の甲冑かっちゅうに身を包む“特務騎馬隊”。そしてその真紅の部隊に混じって先頭を駆ける、“右座の剣エレンローズ”である。



「どけえぇぇぇっ!」



 エレンローズの駆る早馬が、足下の骸骨兵たちを青銅鎧もろとも踏み潰す。伸びてくる青銅の長槍は女騎士の巧みな双剣裁きの前に容易たやすく断ち切られ、前方を阻む骸骨騎馬の集団はたてがみの赤騎士の鋭い投擲とうてき槍の前に粉砕された。


 しかし、いかに破竹の勢いに乗った騎士たちといえど、周囲から無数に突き出される青銅槍と、飛来する数え切れない青銅矢を無傷でくぐることなど、できようはずもない。


 青銅器のび付いた刃が、エレンローズと“特務騎馬隊”にあらゆる方向から同時に襲いかかる。


 ……。


 ……。


 ……。


 それを無傷でくぐることなど、できるはずがない――“ふつうの人間の軍隊であれば ”。


 ……。


 ……。


 ……。



「――“運命剣”」



 ……。


 ……。


 ……。


 戦場において、未来を観測し、その無数の可能性を選択・収束させる魔導器“運命剣リーム”を携えたその集団は、ふつうの軍隊などではなかった。



「北の四大主……お前を殺す以外の未来なんて、私には有り得ない……!」



 “無傷で包囲を突破する”という未来の可能性を確定させたエレンローズが、“特務騎馬隊”を率いて、誰よりも先に“青銅器の骸骨兵団”の後方へと抜けた。



 ***



 ――交戦地帯、後方。



「5万……?! 伏兵なんて規模じゃない……! こっちが本隊で、さっきまでのやつらは陽動か何かだったのか……」



 前線の状況を伝え聞いた新人騎士が、驚愕きょうがくと不安の混ざる表情を浮かべながらつぶやいた。


 それと同時にその若い騎士は、自分の今いる状況に少なからず安堵あんど感を覚えていることも自覚せざるを得なかった。


 ここは扇陣形の後方列。会敵の可能性のない位置だった。


 それは戦場にいて、味方に守られている位置である。


 それは、戦場にいて数少ない、安全な場所である。


 脳裏に、“石器の骸骨兵団”に囲まれた向こう側で、真新しい剣を掲げ持った新顔騎士の最期の姿が浮かび上がった。その光景が、記憶に焼き付いて離れなかった。


 己の無力と自己嫌悪に、胃の上の辺りがぐにゃりとねじくれたように痛んだ。



 ――仕方なかったんだ。



 ――あの状況じゃあ、ああするしかなかったんだ。



 ――誰かがやつらを引きつけなかったら、3人とも死んでいた。



 ――いや、それはきっと、言い訳だ。



 ――何故なぜ、俺はあいつを行かせたのか?



 ――何故なぜ俺は、あいつを行かせてしまったのか?



 ――あいつが逝ってしまうと分かっていて、何故なぜ俺は……。



 ……。



 ――何故なぜ俺は、安全な場所に辿たどり着いてようやく、あいつの最期を思い出して、後悔と自己嫌悪に浸っているのか。



 ……。



 ――ああ、自分の無力さに、はらわたが煮えくり返る……。



 ……。



「ふんっ、ふんっ」



 様々な負の感情が頭の中に渦巻いて、目眩めまいを感じてきていた新人騎士の横で、新米騎士が上半身を大きく振り回して柔軟動作をとっていた。



「……何やってんだよ……お前……?」



 新人騎士が、魂の抜け出ていくようなめ息をついて、傷心した目を向ける。



「何って、決まってるだろ――」



 つい先ほどまで戦場で叫び声を上げていたのがうそのように、新米騎士がけろりとした表情で当たり前のように口を開いた。



「――エレンローズ教官を追うぞ、俺は」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る