17-14 : 模造の“魔剣”

「……! 射ろ、射ろぉぉぉ!」



 指揮官が騎士たちに、矢の一斉射を命令する。


 一斉に放たれた矢は、これまでとは比べものにならない密度でローマリアに迫っていく。



「ふふっ……嗚呼ああ、屈強な騎士の方々……よおく、狙いをお定めになって? そんな矢では、何千本、何万本放とうが、わたくしを射止めることなど、できなくてよ……」



 数え切れない矢の雨が、ローマリアの身体をすり抜けていく。すり抜けた矢は螺旋らせん階段上の書架に突き立ち、そこに並べられた魔法書を貫いた。



「あぁ……! 魔法書が……魔法書が……!」



 魔法使いたちが、ズタズタになっていく魔法書の山を見ながら、嘆きの声を漏らした。



「構うな! 外れてもいい! 避けられてもいい! とにかく射続けろ! たった1本でいい、魔女に目にもの見せてやれ!」



 魔法使いたちを後ろに追いやって、指揮官自らも矢を射続ける。



「あらあら、ふふっ、確かにこれだけの矢を射続ければ、あるいはその内のどれか1本が、的に当たるということもあるかもしれませんわね……」



 無数の矢の1本が、つぶやきを漏らすローマリアの右目めがけて真っぐに飛び、研ぎ澄まされた先端がその眼球に触れようとした瞬間――。


 ドスッ。


 矢が肉を穿うがつ、鈍い音がした。



「むぐっ……?!」



 片膝をついたのは、指揮官だった。



「な、に……?」



 脚に激しい痛みが突如として走り、何が起きたかも分からずそこに目をやった指揮官は、自分の脚に矢が突き立っているのを見た。頑強な鎧をまとっているにも関わらず、矢が脚を貫通していたのだ――そしてその矢は抜こうにも、“鎧と同化してびくともしなかった”。



「ほぉら、当たりましたわ……ふふっ」



 ローマリアが、クスクスといたずらっぽく笑った。



「転位……させたのか……? ……!! 弓を下げろ! 下げろぉ!」



 事態のまずさに気づいた指揮官が、声を張り上げたが――。



「ふふっ……もう、手遅れですわ……」



 ローマリアに向けて飛んでいく矢は、余りに多すぎた。



「ぎゃっ」



「ぐわっ」



「うぐっ」



 周囲から、ドスリドスリという、肉が貫かれる音が何度も聞こえ、そのたびに騎士たちの苦悶くもんの声が続いた。


 ローマリアに向かって放たれた矢が、魔女の身体をすり抜ける瞬間に転位し、矢を放った人間たちの下へと戻ってきたのだった。


 兜越しに矢が転位して、その装甲と頭蓋骨と一体化した矢に脳をかき混ぜられた騎士が、目を見開いたまま昏倒こんとうした。目の前に突如現れた矢の雨をかわす猶予もなく、数百本の矢が突き立ちハリネズミのような姿になって、何人かの魔法使いが絶命した。とりわけ頑丈な鎧で身を固めたロランの部隊の重装歩兵は、体内に転位した矢に心臓を串刺しにされ、一切の外傷を負わずに即死した。



嗚呼ああ、自らの矢で全滅などなさらないでくださいませ? まだわたくし、この場から1歩も歩いてさえおりませんのよ? うふふっ……」



 そう言うと、ローマリアはゆっくりとした足取りで、螺旋らせん階段を1段ずつ下り始めた。


 カツン、カツンと、ローマリアの足が階段を踏み鳴らす音が不気味に響く。



「く……くそぉぉぉぉ!」



 自軍の矢によって数百人の人間が致命傷・負傷を負う惨状の中、絶叫に似た声を上げて、1人の騎士がローマリアに剣を突き出した。が、刺突を放ったその空間には、既に魔女の姿はなかった。



「……うふふ」



 騎士の耳元に、妖艶な女の声と、こそばゆい吐息がかかった。



「……わたくし、以前から騎士の方々が振るう“剣”というものに、興味がありましたの……。鉄を研ぎ澄ませた武器、それはとても重くはないのですか? 嗚呼ああ、やはりそうなのですね。とてもたくましい身体をされておいでなのが、甲冑かっちゅう越しでも分かります……」



 魔女の指先が、騎士の甲冑かっちゅうの首筋をでた。ひんやりと冷たく、繊細でか細いローマリアの指先の感触が肌に伝わってくるようで、騎士は思わず鳥肌が立った。



「あら……あらあら」



 再び目の前に瞬間転位した魔女の細い手の中には、騎士が先ほどまで握っていたはずの剣があった。



「どうしましょう、本当に、とても重い物なのですね……わたくしには、到底振り回すことなんて、できませんわ」



 瞬間転位によって奪い取った剣の重さに耐えかねて、ローマリアが手を離す。カランカランと乾いた音がして、剣が螺旋らせん階段の上に転がり落ちた。


 騎士の全身に、冷たい汗が噴き出した。



「……嗚呼ああ、これなら、わたくしにも扱えますわ」



 騎士がふとローマリアの右手に目をやると、そこには騎士の持ち物であるはずのナイフが握られていた。



「わたくし、武芸に心得はありませんけれど、お相手していただけますかしら? ふふっ」



 ローマリアがナイフを持った手を上げて、クスクスと笑う。


 騎士はもう何が起こっているのか分からず、頭の中がグルグルと渦を巻く不快な感覚を覚えた。



「何なんだ……どうなってるんだよぉぉぉ!」



 パニックを起こした騎士が、前に飛び出し、ローマリアに殴りかかった。



「そういえば……ゴーダの“魔剣”に、こういうものがありましたわね」



 ローマリアが、慣れない手つきでナイフを横に振るった。


 シャッ。


 全身甲冑かっちゅう姿の騎士の兜の継ぎ目から、勢いよく赤い血潮が吹き出した。



「鎧をすり抜け、肉と骨だけを断つ……確か、“冑通かぶとどおし”、でしたかしら? ふふっ……存外、簡単ではありませんか」



 ローマリアが、卒倒する騎士を振り返ることもせず、指揮棒を振るうように、手に持ったナイフをクルクルと回した。



「おぉぉぉ! よくもぉぉぉ!」



 別の騎士が、長槍を鋭く突き出す。



「……ふぅ……」



 それを見て、ローマリアが細いめ息をついた。


 ズガシャッ、と金属の割れる音がして、長槍の刺突が“背後の騎士たちを貫いた”。


 ローマリアの方を向いていたはずの騎士の身体が、180度反転して、階下の味方の方を向き、自軍に向けて槍を突き出したのだった。



「……数や腕力で、わたくしをどうにかできるなどと思わないでくださいまし。人間の騎士の皆様、いい加減学習なさい……わたくし、覚えの悪い殿方は好みではありませんことよ……」



 魔女の転位魔法によって位置をずらされ、味方を串刺しにした騎士の首めがけて、ローマリアが不慣れな手つきでナイフを振るう。ゴーダの魔剣“一式”に酷似したそれは、騎士の甲冑かっちゅうをすり抜けて、けい動脈をき切った。そしてまた1人、騎士がばたりとその場にたおれる。



「どけい、騎士たちよ!」



 その声は騎士たちに守られた背後から聞こえ、次の瞬間、周囲がカッと光に満ちた。空中に突如として人間1人を飲み込むほどの大きさの火球が出現して、それがローマリアめがけて一直線に飛んだ。


 火球は周囲の書架と魔法書もろともローマリアを飲み込んで、ごうごうと激しく燃え盛る。



「……うふふっ」



 火球の熱が空気を震わせ、熱波が頬をでたと思った次の瞬間、それはぶるりと身体を凍えさせる冷気へと急変した。



「ふふふっ……うふふっ……えぇ、そうですわ……魔法に対抗できるのは、魔法だけです……」



 熱波を押しのけて、極寒の冷気がビュウと吹いた。火球の炎は一瞬でかき消え、炎にめられていた周囲が、パキパキと音を立てて凍結していく。


 手元に転位させた氷結魔法の魔法書をボロボロと朽ち果てさせながら、無傷のローマリアがクスクスと愉快げに笑っていた。

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