17-13 : わたくしが欲しいもの

「な……っ!」



 息をするより容易たやすいとでもいうように、ローマリアはその瞬間転位をやってのけた。詠唱も、印も、予備動作も、何も必要とせず一瞬で転位魔法を行使し、そして目の前の書架に手を伸ばす。目当ての魔法書が、その手の届く範囲にあるということ――つまりは、この大螺旋らせんを描く足場の中で、前後・左右・上下の座標を完璧に制御して転位したということだった。


 ロランのそばに立つ魔法使いのおさが、驚愕きょうがくに目を見開いていることから、それがどれだけ常軌を逸した業なのか、魔法の知識を持たない騎士にもうかがい知れた。



「この……っ!」



 騎士たちが、近距離から魔女に向かって矢を放った。



「……ふふっ」



 しかしその矢は、至近距離であるにも関わらず、ことごとくが魔女を外れて、その背後の螺旋らせん階段と書架に突き立った――正確には、矢は外れたのではなく、“魔女の身体をすり抜けた”。



嗚呼ああ……乱暴はおよしになって……」



 ローマリアが、クスクスと優雅に笑いながら、騎士と魔法使いたちの目の前で、ゆっくりとした動作で書架に手を伸ばしていく。



「こっのぉぉぉぉ!」



 大剣を持った1人の戦士が突進し、ローマリアに切りかかった。



「ふふっ、いけませんわ、こんなところでそんなに駆けては……」



 ブンッ。


 魔女の脳天めがけて一直線に振り下ろされた大剣は、魔女をすり抜けて――すり抜けたと思わせるほど、斬撃が重なる刹那の間だけ別の場所に転位し、元いた場所と全く同じ位置に再転位して――戦士の身体は、虚空の中に飛び出した。



「……ここは、足場が悪いですから……そんなに走り回ったら、足を滑らせてしまいますわ……ふふっ」



 背後の戦士に向かって、魔女がクスリと忠告した。



「うわあぁぁぁぁぁ……っ……!」



 突進の勢いのまま空中に身を投げ出した戦士が、螺旋らせん階段から飛び降りて、そのままはるか下層へと落下していき…… 一瞬の静寂の後、肉の弾けるベシャリという小さな音が聞こえた。



「……魔女……!」



 一切の攻撃を無効にするローマリアを前に、騎士と魔法使いたちが身構えた。螺旋らせん階段上には、そこを駆け上がってきた人間たちのべ数百人が押し寄せていたが、たった1人の手負いの魔女を前に、その集団はまもりの体勢を取りつつあった。



「うふふ……そんなにかさないでくださいまし。すぐ、済みますので……」



 ローマリアがにこにこと微笑ほほえみ、右手を伸ばし、書架から魔法書を取り出す。


 ……ボッ。


 空気のはじけるような音がして、ローマリアの手にした魔法書に火がいた。



「……?」



 先ほど見た、魔女の手にした魔法書が朽ちて砂埃すなぼこりに変わっていったのとは異なる現象に、ロランは何か引っかかるものを感じた。



嗚呼ああ……いやですわ……この書架の前に来ると、あの人のことを……あの人と過ごした日々のことを、思い出してしまいます……」



 ローマリアが何かを思い出すような、切なげな吐息を漏らした。



「治癒の魔法書で傷を負うなんて、笑い話にもなりませんわ……」



 そしてローマリアが身をかがめて、左手を――骨折していたはずの左手を伸ばして、別の魔法書を手に取った。


 ……ボォッ。


 その魔法書は更に激しい勢いで燃え、あっというまに灰になって消滅した。



「まぁ、いいですわ……少し熱かったですけれど、これで問題はありません……」



「……ば、かな……!」



 事態がそこまで進展して、魔法使いのおさ狼狽ろうばいした声を上げた。目の前で何が起きているのか、魔女が何をしていたのか、ようやく理解したという声だった。



「あ、あ……魔女、め……! 貴様……き、貴様……! 魔法の至宝たる魔法書を、術式巻物スクロール代わりに使いおったな……!」



 断罪するように魔女を指さし、怒りに身を震わせて、魔法使いのおさが怒りの声を上げた。



「先人たちの叡智えいちを……! 積み上げられてきた研究を……! 魔法の歴史を……! ただ1度きりの行使のために、使い捨てるのかぁ……!」



「……だとしたら、何だというのです?」



 ローマリアが、涼しい声で言った。



生憎あいにくわたくし、権威であるとか業績であるとか、そういったものに興味がありませんの。わたくしが欲しいものは、たったひとつ……」



 叡智えいちの結晶たる魔法書を使い捨て、乱された魔力の流れと骨折、そして内蔵の損傷を完治させたローマリアが、満面の嘲笑を浮かべて言った。



「わたくしは、ただ、力が欲しいだけですわ……何人なんぴとよりも前をき、止まることなく進み続ける力……誰も追いつくことのできない、大きな、大きな力……ふふっ」



 ローマリアが、包み込むように両腕を前に広げ、透き通った左目と、曇りきった右目で人間たちを見つめながら、クスクスと笑い、“その時”を告げる。



嗚呼ああ、大変失礼いたしました、人間の皆々様……わたくし、貴方あなたがたを少々見くびっておりましたわ。ふふっ……御無礼をお許しくださいまし……。このローマリア、持てる魔法のすいもって、改めて、明けの国の挑戦をお受けいたしますわ。……さぁ――」



 魔女が、悪魔のように醜く笑った。



「――殺し合いを、始めましょう……」



 人形を失ったローマリアが、たった1人で、“星海の物見台”に踏み入った騎士と魔法使いの混成部隊に向けて、宣戦を布告した。

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