17-11 : “巨人の魔力”

「……っ! 嗚呼ああっ……!」



 500人の魔法使いたちが束ねた“巨人の魔力”が、人形に突き立った“魔法使いの短刀”に達した。膨大な魔力が、“狩人かりうどの人形”を伝って、その使役者であるローマリアに流れ込み、魔女の体内によどみなくかよっていた魔力の流れをき乱した。



「……こ、れは……嗚呼ああっ……! 押しつぶ、されますわ……! わたくしの、わたくしの……! あ、嗚呼ああ……!」



 大聖堂のはりの上で、ローマリアが苦しそうに身悶もだえした。両手を心臓の上に重ねて、喉元からヒューヒューと過呼吸音が漏れる。翡翠ひすい色の左目は驚愕きょうがくに大きく見開かれ、額には玉の汗が噴き出していた。脚に力が入らず、ローマリアの華奢きゃしゃな身体がヘタリとその場に倒れ込む。呼吸がうまくできない上、寒気も感じているのか、全身がふるふると震えてもいた。


 大聖堂の内部には依然として強い魔力の発光が満ちていて、ほとんど目を開けていられない状況だった。


 そんな中、閉じたまぶたをほんのわずかに開いたロランが、足場の悪いはりの上で、ぼやけた視界の中にもがき苦しむローマリアの姿を捉えて、盾に風をまとった。



「“風陣:雁渡かりわたし”」



 ロランの大盾の内側に風の塊が発生し、それを持つロランの身体もろとも、重い盾をたこでも飛ばすかのように軽々と浮き上がらせた。ロランの身体がはりから離れ、風を受けて宙を舞い、ローマリアが倒れているはりに向かってふわふわと流れていく。



「……っ!」



 宙を漂いこちらに向かってくるロランの姿を捉えて、ローマリアが顔を引きらせた。距離をとろうと試みるも、“巨人の魔力”の逆流が直撃した魔女の身体は全身の感覚がおかしくなっているのか、その場で非力に手足をき動かすことしかできなかった。


 ヒューヒューと息を漏らしながら、無防備に身体を横たえているローマリアに向かって、ロランが空中で身体をひねり、シールドバッシュの構えをとる。



「ここで死んでよ、西の四大主……お前が死ねば、あいつはシェルミア様をろうから出すって言ったんだ……!」



 大盾の内側で渦を巻く風が突風に変わり、突進の推進力となる。



「シェルミア様が……“シェルミア”が釈放されたら……! もう、姉様があんな悲しい顔を、しなくても済むんだ……!」



 ――だから、僕はお前を殺さなくちゃいけないんだ……アランゲイルのためじゃない……シェルミアのためなんかでもない……他の誰のためでもない……。姉様の……エレンだけのために……!



 突風をまとったロラン渾身こんしんのシールドバッシュが、はりを砕く音がした。


 しかしその破砕音の中には、肉の潰れる音も、骨が粉砕される音も、混ざってはいなかった。



「……うぐっ!」



 ロランの足下で、ローマリアのうめき声が聞こえた。


 大聖堂内にほとばしる魔力の光が弱まっていく中、ロランが天井のはりから下を見下ろすと、ローマリアが壁に身体を打ち付けながら地上に落下していく姿があった。


 ロランが見ている先で、落ちていく魔女の姿が消失し、少し離れた位置の壁面に出現する。消失と出現の過程で、下方向への落下の勢いが横方向に入れ替わっているらしく、ローマリアのか細い身体が大聖堂の壁にたたきつけられた。



「ぐっ……!」



 そして再びローマリアは落下していき、またわずかな距離だけ転位して、壁に身体を打ち付ける。どうやら魔女は、制御の効かなくなった転位魔法を虫の息で使用し、落下の勢いを殺しながら、脱出を試みたようだった。


 そうして何度も何度も、ローマリアの身体が壁にたたきつけられる鈍い音が続き、最後にドサリと一際大きな音がして、ぐったりとした魔女の姿が白亜の石床の上に出現した。


 それと同時に、大聖堂全体が、波立つ水面に映る虚像のようにフラフラと揺れだした。荘厳なステンドグラスがあめ細工のようにグニャグニャとゆがみ、頑強な石柱が溶けたろうのように原型を失っていく。


 しかしそれは、ステンドグラス自体が、石柱自体がゆがんでいる訳ではなかった。いびつにゆがんでいるのは、“空間そのもの”だった。


 大聖堂をそこに据える空間自体がグニャリとねじれ、形を失い、そして本来の姿に復元されていく――。


 荘厳な作りの大聖堂は見る影もなく消滅し、騎士たちの目の前に、途方もなく高く渦巻く巨大な螺旋らせん階段が姿を現した。


 ローマリアの魔法によって、内部の空間そのものが置換されていた“星海の物見台”が、人間たちの前に初めて、本来の姿を見せたのだった。


 ロランは先ほどまで、大聖堂の天上を支えるはりの上に立っていたが、今その足下には螺旋らせん階段の踊り場があった。塔のはるか頭上に明かり取りのための巨大な窓があるらしく、ロランの立つ踊り場には暖かな陽光がスポットライトのように差し込んでいる。


 大聖堂の石床の上に落下したはずのローマリアの姿は、空間置換が解除された今は、ロランよりも数巻き分階下となる螺旋らせん階段の上に横たわっていた。


 隻眼の騎士たちの姿は、それよりも更に下方、螺旋らせん階段を支える大支柱の埋まる広間に見えた。それまで自分たちのいた大聖堂が、瞬く間に書庫の立ち並ぶ螺旋らせん形状をした塔に姿を変えたことに、騎士たちは驚き戸惑っているようだった。


 ――ピクリ。


 螺旋らせん階段の広大な踊り場から階下を見下ろしているロランの視界の中で、魔女の身体がわずかに動いた。500人分の“巨人の魔力”で体内の魔力の流れを乱され、何度も全身を強打しながら落下したローマリアは、息をするのもやっとといった様子だった。


 最下層部に立つ隻眼の騎士たちも、螺旋らせん階段の中腹に横たわっているローマリアの姿を捉えたらしく、螺旋らせん階段を駆け上がってくるのが見えた。


 それと同時に、それまで静寂に包まれていた周囲が騒然となった。“先陣部隊”が突入の道を開いたことを知り、進撃を開始した本隊が“星海の物見台”の正門に押し寄せた音だった。



「おぉ……! す、すばらしい……! これが、“星海の物見台”……この膨大な書庫に納められた、すべてが魔法書……! 魔族の叡智えいちと、魔法の真髄が記録される塔……! まさに、この世の至宝だ……」



 魔法使いたちの、歓喜に震える声も聞こえる。


 ローマリアの頭上にロランが陣取り、階下からは隻眼の騎士たちが追撃をかけ、後方からは本隊が雪崩込む――それは、魔女にとどめをさす、千載一遇のチャンスだった。


 ――ピクリ。


 再び、ローマリアの身体がわずかに動き、いうことを効かなくなった自身の肉体を引きずって、螺旋らせん階段を1段だけいずり上がったのが見えた。


 そして――。



「……!」



 ロランが踊り場を後にして、魔女に引導を渡すべく、螺旋らせん階段を駆け下り始める。


 魔女を討ち取るまで、あと一手――弱りきっているローマリアに向かって素早く駆けていくロランの脳裏には、しかし奇妙な焦燥感があった。


 震える手を右目の眼帯に伸ばしていくローマリアの姿に、なぜそれほどの焦りを覚えたのか、ロラン自身にもよく分からなかった。

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