17-9 : 怖い顔

「あらあら……ふふっ、思っていたよりもよい勝負になっていますわね」



 先陣部隊と“狩人かりうどの人形たち”が乱戦を繰り広げている中、その戦場となっている大聖堂に、魔女の声が反響した。



「人間をおちょくってばかりいると、痛い目見るぜ、魔女さんよぉ!」



 大槍を持った“狩人かりうどの人形たち”と交戦している部隊の隊長、隻眼の騎士が、“三つ瞳の魔女ローマリア”の小馬鹿にするような声に向かって怒鳴り散らした。


 ローマリアの姿は見あたらず、ただその声だけが、大聖堂内の巨大な空間に響き渡っている。



「あんた、相当性格ねじくれてんな! 自分は隠れて、おもちゃの兵隊で“戦争ごっこ”なんてなぁ、これが魔族の、四大主のすることかよ!」



 ゆうに30人を超える部下の犠牲を払いながら、隻眼の騎士が叱責するように言った。白亜の石床の上には、“狩人かりうどの人形”の大槍に貫かれ命を落とした騎士たちの亡骸なきがらが無惨に転がり、その横にはバラバラに刻まれて活動を停止した人形の残骸が転がっている。


 荒くれ集団である隻眼の騎士たちにも、曲げては通せぬ信念があるようだった。真正面からの小細工無しのぶつかり合いをよしとする戦士たちにとって、ローマリアの立ち振る舞いは許せないものだった。



「あらあら、性格がゆがんでいるだなんて、随分とひどいことをおっしゃいますのね、片目の騎士様? この人形たちは、わたくしが1体1体、心をめて作った子たちですの。幾ら命が宿っていないからと言っても、その子たちがバラバラにされていくのを見るのは、わたくし、とてもつらいのですのよ? ……嗚呼ああ、先ほどからどちらを向いておられますの? こちらです、こちらですわ」



 “狩人かりうどの人形”の大槍を押しのけ、人形の間合いから抜けたすきに魔女の姿を探していた隻眼の騎士が頭上にふと目を向けると、大聖堂の高い天井を支えるはりの一角に、ローマリアが腰掛けているのが見えた。


 ローマリアは浅く腰掛けたはりから両脚を投げ出して、それを空中でぷらぷらとさせていた。そこを見上げる隻眼の騎士の視線に気づいた魔女が、にこりと微笑ほほえんで小さく右手を振ってみせる。



「手駒を動かすばっかりで、自分は高みの見物か……俺が1番嫌いなタイプだぜ、あんた!」



「ふふっ、人間とはいえ、出会ったばかりの殿方に嫌われてしまいましたわ……ふふっ」



 はるか頭上のはりに腰掛けているローマリアが、空中に投げ出していた脚を引っ込めて、奔放な猫のように膝を抱え込んでクスリと笑った。ローマリアの何でもない仕草のひとつひとつが、異様なほど可憐かれんで、異常に妖艶で、どんなに手を伸ばしても届きがたい異質な隔絶感を放っていた。



嗚呼ああ……孤独とは、あらがい切れない欲求と愉悦に満ちていますわ……貴方あなたの抱くその嫌悪感にさえ、わたくし、うっとりとしてしまいます……はぁ……」



 自身の膝を抱き寄せて、身を縮こまらせた魔女の顔に朱が差しているのを目にした隻眼の騎士は、身体の芯からぞわりとしびれが湧き上がってくるのを感じた。



「ぐあぁぁっ!」



 そうしている間にも、残り少なくなった“狩人かりうどの人形”の凶刃に、戦士たちがたおれていく。


 その断末魔と血に染まった大聖堂を、はるか天井から見下ろすローマリアの口元はグニャリと嘲笑でり上がり、左目はニンマリと半月の形にゆがんでせせら笑っていた。



嗚呼ああ……その悲鳴も、赤い血潮も、憎悪も、殺意も……何て刺激的なのでしょう……さぁ、もっとわたくしを、たのしませてくださいまし……」



 ローマリアの美しい顔立ちが、そこに浮かぶ嘲笑によってグシャグシャになったのを見て、隻眼の騎士は全身が熱くなるのを感じた。


 それは、侵しがたい神秘的なオーラをまとったローマリアに対する畏怖からくるものであり、そしてそれ以上に、魔女の油断を誘うことに成功した高揚感からくるものだった。



「……“風陣:雁渡かりわたし”」



 天井のはりに座したローマリアの背後に、強い殺意をまとった気配があった。



「……あら?」



 背後を振り返った魔女の目の前には、中性的な顔立ちの、切りそろえられた銀の髪をした人間の青年がいた。まだ少年の面影の残る優しげな風貌とは裏腹に、大きく見開かれた灰色の目は冷徹で、そこに込めた殺意を隠そうともしていなかった。


 “左座の盾ロラン”が手に持つ大盾の裏側では、人間1人を十数メートルの高さにまで吹き上げた強風が渦を巻いていた。


 ロランの冷たい灰色のまな差しが、ローマリアの翡翠ひすい色の左目を見据える。



「……ふふっ。嗚呼ああ、その隠そうともしない殺意……貴方あなたはそれをどうなさいますの?」



 ローマリアが、頬に右手を当ててクスクスと笑った。



「……アはっ」



 魔女の顔に一瞬、嘲笑を通り越え、狂気じみた愉悦の表情が浮かんだ。



「“風陣:太刀風たちかぜ”」



 大盾に風を受けて、天井のはりにまで辿たどり着いたロランが、魔女を前にして諸刃もろはの風を吹き渡らせた。


 ――ズバッ、ズバッ。


 真空の斬撃が、大聖堂のはりをところ構わず切り刻む。木片が飛び散り、石材の表面が粉々にり潰され、それらの破片がぱらぱらと白亜の石床の上に降り注いだ。



嗚呼ああ、まだ子供のようなお顔をしていますのに、そんな物騒な魔導器を躊躇ちゅうちょもなく使われますのね。ふふっ」



 ローマリアの背後を取っていたロランの、更にその背後、天井を支える別のはりの上から、魔女のクスクスと漏れる笑い声が聞こえた。



「……。魔法使いたちの言っていた通りだね……今の一瞬で、転位魔法を使うなんて」



 目を見開いているロランが、ズタズタになったはりの上でゆらりと振り返った。



「ふふっ。お褒めいただき、光栄ですわ。風をまとうお方」



 別のはりの上に、膝を抱え込んだ姿勢のまま座っているローマリアが嘲笑を浮かべながら、手のひらを上にした右手を伸ばして、ロランに尋ねるようにささやく。



「さあ……貴方あなたが欲しいものは、なあに?」



「そんなことをいて、どうするんですか?」



 固い意志を宿したロランの目は、ただローマリアの姿だけを捉えている。地上から十数メートルに位置する足場の悪いはりの上に立っているにも関わらず、ロランは足下に全く注意を払わず、魔女から片時も目を離さなかった。


 ロランが足を踏み出すと、諸刃もろはの風によって亀裂の入ったはりがギシリギシリと不吉な音を立てた。



「ふふっ、単純な好奇心ですわ。貴方あなたのように優しい顔をした方に、そんな目をさせる理由は何なのかと、興味が湧きましたの……貴方あなた、とても面白いですわ……ふふっ」



 ギシリ、ギシリ。ロランの足下ではりの不気味な音が、なおも続く。



「僕が欲しいものは……皆と同じ……魔女の、四大主の、命だよ」



「ふふっ……いいえ、そうではありませんでしょう? わたくしの命を奪って、貴方あなたはそれを何にささげるのですか? 嗚呼ああ、違いますわね……“誰のために?”と尋ねるべきでしょうか……ふふっ」



 ……ギシリ。と、はりきしむ音が止まった。ローマリアの言葉を聞いたロランが、冷徹な目で魔女を見据えたまま、迷わず進めていた足を止める。



嗚呼ああ……! やはりそうなのですね……!」



 ローマリアが抱き抱えていた膝を離し、演劇の舞台役者のような手振りと口振りで、はりに両手をついて身を乗り出した。



おもい人のために、魔女の首を探し求める騎士……嗚呼ああ、まるでおとぎ話のよう……。素敵ですわ……感動的ですわ……」



「……黙れ」



「わたくし、これまでにたくさんの……本当にたくさんの書物を読んで参りました。ですけれど、こんなに心揺さぶられる物語は知りませんわ……」



「……黙れ……」



嗚呼ああ、胸が高鳴ります……はぁ……」



 ローマリアが、悩ましげな吐息を漏らして、自分の肩に両腕を回した。頬は紅潮し、翡翠ひすい色の瞳が潤んでいる。



嗚呼ああ……それならもしも……」



 魔女が、身をくねらせながら、満面の嘲笑を浮かべた。



「もしも、貴方あなたおもい人を、わたくしが壊してしまったとしたら、どんな悲劇を見ることができるのでしょう……貴方あなたは、どんな表情でその顔をゆがめるのでしょう……ふふっ……アはっ」



「……黙れ……殺すよ……?」



 ロランの顔から、一切の表情が消えた。口は堅く真横に結ばれ、瞳から感情が欠落する。人間味を失って、ガラス玉のように透き通った目には、相手がどんなに苦しもうが、泣きわめこうが、迷わずその息の根を止めるであろう、冷たい殺人衝動だけが宿っていた。


 それは、エレンローズが“怖い顔”と呼んでいた、ロランに宿っているいびつな陰の顔だった。



嗚呼ああ……何て綺麗きれいな瞳……吸い込まれてしまいそう……」



 恍惚こうこつとした表情を浮かべながら、ローマリアが誘うように指先を踊らせた。



「さあ、いらっしゃい……わたくしを、殺して御覧なさい……?」



「……」



 魔女をあやめんと、ロランが次の1歩を踏み出したとき――はるか地面でまばゆい光がほとばしり、周囲が真っ白になった。

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