16-8 : 驕り
“
“支天の大樹”の近場の枝葉には、もう逃げ場はなかった。“
「くっ……!」
忌々しそうに顔を
最後にカースが地面に降り立って、壊滅状態となった明けの国騎士団“踏査部隊”の野営陣地を見渡した。
野営陣地には、“溶鉄
それはまさに地獄絵図、悪夢の光景、そのものだった。
樹上で激しく燃える炎に照らされた陣地の一角に、カースが目を向ける。その目が見る先は、“支天の大樹”に火を放った狂騎士、“
「“仕え主”様への蛮行……お前の死体だけは、ただでは地に
フィィィー、と、カースが口笛を吹くと、“森の民”たちが
――プクッ。
自らの生まれ故郷でもある“
――プクッ。
そのことは、カース自身が、1番よく知っていた。
――プクプクッ。
カースは、“
――プクプクプクッ。
そしてその、本来言葉を解さぬ種族に宿った知性がもたらした、“
――プクプクプクッ。
理性ある人間が、そんなことをするはずがないという、“
――チャプッ。
自分なら絶対に、そんな馬鹿な
――ザバッ。
カースには、想像もできなかった――“森”に住むカースでさえも嫌悪を感じる腐敗沼のその泥の中に、ニールヴェルトが頭の先までその身を沈めて、じっと機を伺っていようなどとは、全く考えに浮かばなかった。
フィィィー……ィ……。
カースの吹く口笛が、背後から伸びてきた泥まみれの手で塞がれて、途絶えた。
「……っ!」
カースは一瞬何が起きたか理解できず、目を驚きに見開いた。
――ドスッ。
「……ゴホッ……!?」
カースは、横腹の背に鋭い熱を感じた。そして次に、カースは血が喉の中を上ってきて、息が詰まる感覚を覚えた。肺に血が流れ込んだ苦しさに
「……よぉ……かくれんぼは、俺の勝ちだなぁ……カースぅ……」
カースの口元を背後から塞ぎながら、腐敗沼の腐った水と泥を全身に被ったニールヴェルトが、不気味な
「……ぎ……ざ……ま゛……っ」
“カースと呼ばれた女”が、溺れるような声で言葉を発した。カースの口を塞ぐニールヴェルトの手の隙間から、紫色の吐血がボタボタと滴り落ちる。
「……ひははっ……」
ニールヴェルトが
「グブッ!? ア゛……ガ……っ!」
更に多量の紫色の血が、カースの口から噴き出した。
自身の血に溺れて呼吸ができなくなっているカースを、ぐっと引き寄せて、泥まみれの頬が触れるまで顔を近づけて、ニールヴェルトがカースの耳元で
「……俺には、覚悟がある……死ぬまでは、手加減抜きで生きてやるっていう覚悟がなぁ……たとえ溶けた死体の下敷きになろうが……腐りきった沼に頭の先まで潜ろうが、だ……。……言っただろぉ? 『生き残るのは、いつだって、“生き残ろう”とする奴だけだ』ってなぁ……」
ニールヴェルトが、口と目を半月型にニヤァっと
「っ!」
首筋を
肘鉄を食らったニールヴェルトはよろめいて、カースから手を離す。
「むっ……! ……っ! ……はははっ、まぁだまだ、元気あるじゃねぇかぁ、カースよぉ……」
腐敗沼の泥まみれになったニールヴェルトの不気味な
「……っ! ゴホッ……! ぐっ……ガッ……ア゛ハ……っ!」
ニールヴェルトの拘束から逃れたカースは、深手を負いながらも素早い身のこなしで跳躍して、狂騎士と距離を開けた。間合いを取った先で、むせ返りゴボゴボと血を吐き続けながらも、カースの目には獣由来の鋭い眼光が依然として宿っていた。
「ひははっ、ツイてるなぁ、カースぅ。今の拍子で俺がお前に刺したダガーを抜いてたらぁ、お前今頃、血を流しすぎて動けなくなってたぜぇ? “この前”は、こんなことなかったのになぁ。ははっ、やっぱお前が“雌”だからかなぁ? なぁんとなく、手加減しちまったのかもなぁ? 割と俺好みだぜぇ? お前。くくく……ははは……」
「……ハアー……ァ……ハアー……ァ……」
脇腹の背にダガーが突き立ったまま、カースが息の漏れるような音を立て、深くゆっくりとした呼吸を繰り返す。致命傷を負った者特有のその呼吸音を聞いて、ニールヴェルトは“狩る者”の表情で
「……ハアー……ァ……うっ……! ゴボッ……! ……図に、乗るな……人間……ハアー……ァ……もう、
……フィ……ィィー……と、カースが弱々しく口笛を吹いた。その音に導かれた数十体の“森の民”たちが、牙を
それは、南部の町で“古い
かつて、“遺骸の脂”によって“古い
カースは期さずして、かつてと同じ戦法でニールヴェルトを襲い、対するニールヴェルトは、かつてと同じ必勝の手を使えずにいた。
「ひはは……ひはははっ! そぉだぁ! 樹の上からまどろっこしい攻めなんてせずによぉ! そぉやってぇ、正面から束になってかかってこいぃ! もっと俺を、
人間の表情からはかけ離れた、悪魔のような
その両手には、
ニールヴェルトが、
ガシャンと
そして――。
そして、樹上の大火でパチパチと跳ねた火の粉の1つが、ニールヴェルトの肩に触れた。
瞬間、ゴオォォォ、と、空気が膨張する音がして、油に
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