16-6 : 沼に巣くうもの

 §【――我々が“支天の大樹”の幹周りを巡る道程で遭遇した“彼ら”は、容姿こそ魔族に似ているが、人語を解さず、猫背で牙をき出しにして、口の端からよだれを垂らしているような野蛮なものたちだった。刺繍ししゅうの入った服をまとい、道具を使うことはできるようだったが、それらの特徴を除いては、“彼ら”は“森”に住まう他の魔物たちと同じ、野性に従う存在だった……――】



 大樹の樹上と、篝火かがりびいた野営陣地との間で、激しい矢の応酬が繰り広げられていた。


 人間の矢に射られた“森の民”が、どさり、どさりと地面に落下する。落下の衝撃で首の骨を折り、そのまま絶命するものもいれば、まだ息のあるものもいた。


 樹上から落ちてもまだ息のある“森の民”に向かって、弓を持たない銀の騎士たちが襲いかかり、集団でめった刺しにしていく。



「死ね……死ね……! 人間をめるなよ……! こんなところでお前たちの餌になど、なってやるものか……! 死ね……死ね!」



 “暴蝕ぼうしょくの森”で命を狙われ続ける恐怖と、ニールヴェルトの狂気に当てられた銀の騎士たちは、半笑いを浮かべながら“森の民”を執拗しつように刺し続けた。紫の返り血が顔に跳ね飛ぼうと、“森の民”がぴくりとも動かなくなろうとも、刃を突き立てるその手は止まらなかった。



 §【――ただ、“彼ら”の中には、1体だけ我々と意志の疎通が可能な個体が存在した。“彼”は自らの種族を、“森の民”と呼び、自らの個体名を“カース”と名乗った。カースは“森の民”とは異なり、知性の宿った端正な顔つきと表情をしていて、まっすぐに伸びた背筋としなやかな手足は、人間である我々の目から見ても“美しい”と思えるで立ちをしていた。野性に従う野蛮な“森の民”に知性が宿ると、これほどまでに精悍せいかんになるとは、驚きである――】



 “支天の大樹”の枝陰から降り注ぐ“森の民”の矢は、粗悪な作りの木矢だった。得体の知れない粘液が先端に塗られてこそいたが、明けの国騎士団の甲冑かっちゅうと盾の前に、木矢ははじかれるばかりだった。



「そんな木の矢で張り合おうとは笑止! 皆殺しにしてくれる、“獣”ども!」



 恐怖と狂気で高揚している騎士たちが、樹上を見上げ矢の狙いを定めながら、木矢の中を歩いていく。


 そして、樹上を見上げることで死角となっていた足下に、騎士たちはズニュルと何かヌメり気のあるものを踏みつけた感覚を覚えた。


 ビュオンと激しい風切り音を立てて太矢を放ちながら、周囲の気配に変化を読みとったニールヴェルトが、軽く舌打ちをした。



「……チッ。こりゃあ、“毒矢じゃねぇなぁ”。やぁってくれるぜぇ……」



 木矢の先端に塗られた粘液の臭いを嗅ぎ付けて、腐敗沼から人の背丈ほどの体長をしたひるのような軟体生物たちが、野営陣地にいずり上がってきていた。



 §【――我々は、カースと名乗る知性ある個体と交流を試みた。我々の目的が“森”の調査研究であること。“彼ら”を害する意志のないこと。事を荒立てないよう、我々はその意志を何度もカースに訴えた。その場で命を奪われなかっただけ、カースは我々にある程度の理解を示したのだろう。しかし、“彼ら”からすれば、我々人間は未知なる外来種である。我々は“彼ら”に捕らえられ、“溶鉄ひる”の巣である腐敗沼のほとりから、“彼ら”の集落へと連行された――】



「な、何だ、このナメクジ野郎は?!」



 脚周りを巨大なひるに巻き付かれた騎士が、戸惑いながらひるに剣を突き立てる。しかし巨大なひるは粘膜とブヨブヨの表皮で剣をはじき、刃が肉に食い込むのを防いだ。


 ひるに巻き付かれた粘膜の下、鎧の表面から、ジュワっという発泡音が聞こえた。



「こ、こいつ……! まさか……!」



 ひるに巻き付かれた騎士が、渾身の力で脚を振った。すると脚周りの鎧がすっぽ抜ける感覚があり、継ぎ目が溶解して千切れた甲冑もろとも、ひるが数メートル先まで吹き飛んだ。



「こいつら……鉄を喰うのか!?」



 すっぽ抜けた甲冑かっちゅうひるが群がり、ウネウネと蠕動ぜんどうする。その下では甲冑かっちゅうの破片がジュワジュワと音を立てて溶解し、原形を失い、やがて鉄は“溶鉄ひる”に食い尽くされて跡形もなくなった。


 ドスリと、騎士は脚に衝撃を感じた。“溶鉄ひる”に甲冑かっちゅうを喰われて無防備になった脚に、“森の民”の放った木矢が突き立ったのだった。


 脚をやられ身動きがとれなくなった騎士が周囲を見回すと、“溶鉄ひる”の群れが餌となる甲冑かっちゅうと盾と剣を求めて、ズルズルと近づいてくるのが見えた。



 ――。





「ははっ。装備破壊とは、また凝った真似まねをするじゃねぇかよぉ! えぇ?」



 ズルリズルリと群がってくる“溶鉄ひる”たちを蹴り飛ばしながら、ニールヴェルトが不愉快げに言った。“溶鉄ひる”の体表に触れた足甲と手甲の表面は、溶けたろうのようにいびつに変形していた。



「この大弓もぉ、斧槍もぉ、“カース”から分捕った剣もぉ、気に入ってんだからさぁ。溶かされるとか勘弁だぜぇ!」



「――ならばどうする。道具を抱えたまま死ぬか、人間」



 樹上から、“カースと呼ばれた女”が蔑むような調子で言った。声はするが、その姿は枝陰に隠れて見えなかった。



「俺はそんなに愛情深くねぇよぉ! 手に馴染なじんだ道具はぁ、使ってこその道具だろうがよぉ!」



 “溶鉄ひる”にしつこく囲まれる中で、ニールヴェルトは小さなつぼを取り出した。ひもの付いたつぼを太矢の先端にくくりつけ、更に矢尻に布を巻き付けて、太矢を篝火かがりびの中に差し込む。矢尻の布に火が燃え移ったのを確認すると、ニールヴェルトは燃える太矢の狙いを“支天の大樹”の太枝に定めた。



「ここは暗いからなぁ! いっちょ明るくしてやるよぉ!」



 ビュオン!と風切り音を立てて、小さなつぼくくり付けられた太矢が放たれた。


 “支天の大樹”の太枝に燃える太矢が突き刺さると同時につぼが割れ、中に入っていた油に火が燃え移り、樹上に火の玉が出現した。



「っ!」



 樹上の枝陰から、“森の民”たちが驚く気配がした。



「おたくら、肉はちゃぁんと焼いて喰ってるかぁ? 俺は焦げるぐらいにしっかり焼いたやつが好みだぜ、っとぉ!」



 ニールヴェルトが、油壷あぶらつぼをぶら下げた火矢を、3本同時に大弓に添える。横に構えられた大弓から放たれた3本の矢は放射状に3方向に飛んでいき、それぞれが“支天の大樹”の異なる箇所に突き立って、ごうごうと火の手を上げた。


 枝葉に燃え広がる炎で、辺りは明るく照らし出され、枝陰に潜む“森の民”たちの姿を浮かび上がらせた。火の熱さにうろたえる“森の民”たちの中で、赤黒い肌に、不思議な緑色をした髪を腰まで延ばした、端正な顔立ちの“雌”の個体の姿を認めて、ニールヴェルトはニヤリとわらった。



「はっはぁ! “手記”の通りだなぁ! もう代替わりしてやがる。お前が“新しいカース”かぁ!? ははっ、今度のはなかなか美人じゃねぇかぁ! 割と好みだぜぇ!」



 カースが、忌々しげに顔をゆがめて、侮蔑の視線でニールヴェルトをにらみつけた。



「“仕え主”様の寝床に火を放つとは……恐れ多いぞ、人間」



「あーぁー……カースよぉ、お前もあのときぶっ殺した“カース”と同じでぇ、俺のことを“人間”呼ばわりかよぉ。だからぁ、俺には“ニールヴェルト”っつー名前があるって言ってんだろうがぁ! ひははっ!」



 ニールヴェルトが、更にもう1本、油壺あぶらつぼをぶら下げた火矢を放った。その火矢はカースの間近にいた“森の民”に突き刺さり、割れたつぼから油を浴びた“森の民”は全身火だるまになった。矢に射られた時点でその“森の民”は絶命していたが、火だるまになった死体は大樹の枝にひっかかり、そのまま炎が燃え広がり、樹上の火災は更に規模を増していった。

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