14-2 : 夜に這いて

 ――同日。夜間。騎士団宿舎通路。



「……」



 昼間執り行われた国葬の儀で、ニールヴェルトと連れだっていた物言わぬ騎士が、やはりこの場でも無言でじっと立っていた。


 物言わぬ騎士は、もう祭礼用の甲冑かっちゅうは身につけていない。


 騎士が今身につけているのは、装飾が施され実用性を欠いた祭礼用の甲冑かっちゅうでもなく、明けの国騎士団が身につける銀色の甲冑かっちゅうでもなかった。


 その甲冑かっちゅうは、鮮やかなくれない色をしていた。


 “特務騎馬隊”。シェルミアが団長権限を剥奪され、その権限がアランゲイルに移ると同時に、宰相ボルキノフがどこからか手引きしてきた騎士たちの総称である。その規模は数百人。その指揮権は騎士団“総隊長”に着任したニールヴェルトに一任され、独立した部隊として編成されていた。


 特務騎馬隊の騎士たちは総じて口数が少なかったが、そのくれない色の甲冑かっちゅうは、たとえ黙り込んでいても人目を引き、他を威圧する存在感を放っていた。



「……」



 通路に独り、無言のまま立っているくれないの騎士の背後には、意匠を凝らした扉があった。


 扉の向こうはあかりが落とされているらしく、光は全く漏れ出てきていない。分厚い作りの扉は音を完全に遮断していて、扉の向こうに誰かがいるのか、それとも無人なのか、それさえ判然としなかった。



「……」



 その扉の前で、くれないの騎士はただ無言で、何かをまもるように立ち続ける。


 ――パチンッ。


 扉の向こう、あかりのない室内から、分厚い壁をすり抜けて、何かをはたいたような軽い音が、ほんのわずかだけ漏れ聞こえた。



「……」



 その音を聞いても、くれないの騎士は微動だにせず、ただじっと前を見つめているだけである。


 ガチャリ。


 扉が開く音がして、そして人影が1つ、くれないの騎士の立つ通路に飛び出してきた。



「……」



 その段になってようやく、くれないの騎士が人影の方へ首を回した。


 長身のくれないの騎士よりもひと回り背の低い人影が、厳しい目つきで騎士をにらみつけた。


 人影は、激情でギリリとみしめられた歯が口元にのぞき見え、怒りが宿った目には涙が浮かんでいた。



「……っ!」



 人影は自分の感情を抑えられなくなっているようで、くれないの騎士を強引に脇に押しのけると、振り向きもせずにそのまま通路を足早に去っていった。


 通路にわずかに差し込む月明かりに、はだけた服からのぞいた肩の、白い肌が照らされる。



「くくく……ははは……」



 開け放たれたままになっていた扉の中から、アランゲイルの忍び笑いが聞こえた。


 人影の銀色の髪が、月明かりを反射して輝いていた。



***



 ――同日。夜間。


 バシャッ。


 宵闇に隠れて、水のはじける音がする。


 バシャッ。バシャッ。


 何度も何度も、水をみ取る音と、水のはじける音が続く。


 ガシッ、ガシッ、ガシッ。


 水のはじける音に、何かを強く擦る音が混じる。


 長い時間、その2つの音がずっと、夜の闇の中で繰り返されていた。


 ――騎士団宿舎。入浴場。



「……気持ち悪い……気持ち悪い……」



 ガシッ、ガシッ、ガシッ。



「気持ち悪い……気持ち悪い……気持ち悪い……!」



 バシャッ。バシャッ。


 何度も何度も冷たい水を被り、銀色の髪をらして、白い肌が真っ赤になっても布で擦り続けることを止めないエレンローズの独り言が、誰もいない浴場の闇の中に吸い込まれていく。



「落ちてよ……消えてよ……」



 夜の冷気に当てられた冷たい水を、頭から何度も被ったエレンローズの身体は冷え切っていた。しかしエレンローズはそんなことはお構いなしに、何かに取りかれたようにそれを繰り返していた。


 そして、もう何度目かも分からない水をみ上げたとき、冷えて力が入らなくなったエレンローズの手から、水を一杯に満たしたおけが滑り落ちた。


 バシャリと、水が浴場の床に飛び散る音がして、おけがカコンカコンと跳ね返る音を立ててどこかへ転がっていった。



「……何でよ……何で、消えないのよ……」



 自分の腕を抱き寄せて、冷え切った身体を縮こまらせて、エレンローズが喉から声を絞り出すようにつぶやいた。自分の両腕に回された手に力が入り、布で擦りすぎて赤くなった肌に爪が食い込む。れた髪から水滴が肩に滴り落ちて、爪で傷ついた傷口からにじみ出た血を薄め流し、浴場の床に赤い筋を作った。



「……消えてよ……お願い……」



 れた髪で隠れたエレンローズの目元から、涙がぽろぽろと流れ落ちた。



「(……シェルミア様……)」



 涙で喉が潰れたエレンローズは、憧れの人のその名前を、声に出すことができなかった。



***



 ――同日。深夜。双子の寝室。


 ギィィ。と、寝室の扉が静かに開く音がした。



「(……姉様?)」



 ベッドに横になって、目を閉じたまま、まどろんだ意識の中でロランが姉の気配を感じ取った。



 ――こんな時間まで、どこにいたの? 姉様。



 パタン。と、静かに扉が閉められる音がした。



 ――姉様……僕、心配だよ……シェルミア様にあんなことがあってから……。



 ペタリ、ペタリと、エレンローズの力ない足音が近づいてくる。



 ――何だか、姉様が、別人になってしまったような感じがする……。



 ペタリ、ペタリ。エレンローズの引きずるような足音が、ロランの耳に更に大きく聞こえてくる。



 ――姉様……僕、姉様のことが、分からないよ……何だか、怖い……。



 ……ペタリ。ベッドの上で横になっているロランの前方で、エレンローズの足音が止まった。


 なぜかロランは、起きているのに、目を開けることができなかった。


 目を閉じていても、ロランには、姉の視線がこちらを向いているのがはっきりと分かる。



「……ねぇ」



 塞がった喉の隙間から、空気が漏れ出るような声がした。



「……起きてる……? ロラン……?」



 エレンローズのかすれた声が、弟を呼んだ。



「……」



 姉のその弱々しい声を聞いて、ロランは言葉を返すことはおろか、目を開けることさえ戸惑った。


 ……。



「……うん……起きてるよ、姉様」



 どれだけの沈黙が続いたか分からなくなるほどの間を置いて、目をつむったまま、ロランがようやく姉に応えた。


 バフッ。と、エレンローズがベッドに倒れ込む音がした。倒れ込んだ反動で、ロランの身体が揺れた。


 エレンローズが身体を倒したのは、自分のベッドではなく、ロランが横になっているベッドだった。


 ロランが驚いて、びくりと身体をこわばらせた。弟は、どうしても閉じたまぶたを開けることができない。


 ゴソゴソ。と、エレンローズがシーツに潜り込む、きぬ擦れの音がする。ベッドがギシリときしんで、姉がロランの方へすり寄ってくる振動が伝わってきた。


 湿った銀髪がロランの首をで、エレンローズの冷たくなった頬と鼻先が、ロランの胸元に当たった。



「……!」



 姉の冷え切った体温をその身に感じて、ロランは驚きの余り目をぱちりと開いた。



「姉様、どうしたの……!? こんなに冷たくなって……! あ……」



 月の弱い光だけに照らされた薄暗闇の中で、目の前に横たわる姉の姿を目にしたロランは、驚いて言葉を失った。


 エレンローズは、水を浴びてそのまま身体を拭かずに寝間着を着たらしく、全身がびしょれのままだった。銀色の髪には、水滴さえついている始末だった。白い寝間着の二の腕の部分には、両腕に血のにじんだ赤い染みがついていて、よく見るとそれは今もじわじわと面積を広げてきていた。



「姉様……! 早く身体を拭かないと、身体を壊しちゃうよ……! それに、その傷、何があった――」



 エレンローズがれたままの身体をロランに寄せて、弟の言葉を遮った。びしょれの髪と冷たくなった顔を、ロランの胸に埋める。弟の手を、指を絡めて強く握りしめた姉の手は、胸が痛むほど冷え切っていて、弱々しく震えていた。



「……ね、姉様……?」



 困惑したロランが、おそるおそる姉を呼んだ。



「……。……ぎゅってして……」



 ロランの胸に顔を埋めているエレンローズが、か細い声で言った。



「え……?」



「……ぎゅってして、お願い……。……すごく寒いの……ロラン……」



 ロランの胸の中で、エレンローズが消え入りそうな声でつぶやいた。

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