13-3 : 警告

 ――宵の国、中心部。


 の沈んだ暗い空に、何かの羽ばたく影があった。バサッ、バサッと力強い羽音を立てて、羽の生えた影が次第に高度を落としていく。


 羽の生えた影が降り立った先には巨大な門があり、影の背中には人影があった。


 門は開いており、2つの影が無言のままそこをくぐって、内部に足を踏み入れる。


 ――“淵王城”、“大回廊”。


 城門を通ってきた人影の靴底が、大回廊の灰色の大理石を踏むカツーン、カツーンという音が、無音の空間に大きく木霊する。


 その人影の後ろについてくる羽の生えた影が大理石を踏むと、ベチャッ、ベチャッと湿り気のある鈍い音がした。



「……」



 人影が、背後に視線を感じた。


 人影が後ろを振り向くと、夜のとばりが降りた大回廊の一角に、甲冑かっちゅうを全身にまとった人物の姿があった。腕組みをして、身動きひとつせずそこにじっと立っている甲冑かっちゅう姿の人物は、兜を被った頭を人影の方にわずかに向けていた。


 その兜の暗い影の向こうから、自分をにらみつけている視線を、人影は感じていた。


 甲冑かっちゅうの人物の腰には、さやに収められた片刃剣がつるされている。



「お前は……ああ、“イヅの騎兵隊”の。確か……ベルクトと言いましたか?」



 人影が、東の四大主“魔剣のゴーダ”の右腕、漆黒の騎士ベルクトの名を呼んだ。



「……」



 人影から名を呼ばれたベルクトであったが、返事もうなずくこともせず、漆黒の騎士はただじっと立ったままで、ただじっと人影を兜の向こうからにらみつけていた。



「……あるじ以外と口を利く気はない、か。つくづく、理解に苦しみます。騎士というやからどもの考えることは」



 人影が、頭を振りながらあきれたようにめ息をついた。



「……まぁ、いいでしょう。お前に用があるわけでもなし。そこで主人の帰りをおとなしく待っていなさい。飼い慣らされた犬のように」



「……犬ではない」



 ベルクトがムッとした様子で、低い声で言った。



「さっさと行け……。ゴーダ様を……我があるじを、これ以上待たせる無礼は許さん……」



 腕組みをした姿勢で、ベルクトが指先で自分の二の腕をトントンとたたいている。イラついているように見えた。


 そんなベルクトを無視して人影は、合わせ鏡のように果てしなく続いているように見える大回廊の入り口に向かって歩き始めた。



「いぬだってー、わんわん!」



「じぶんのしっぽをおっかけろー、わんわん!」



「たいくつ、たいくつー、わんわん!」



 大回廊に向かう人影の足下を、3体の小さな人形たちがキャッキャとはしゃぎ回っていた。


 おそろいの灰色の服と、おそろいの灰色のつば広帽子と、おそろいの灰色の手袋と靴が空中に浮かんで、小人のような姿を形作っている。


 西の四大主“三つ瞳の魔女ローマリア”が使役している人形たちだった。



「……うるさい人形どもですね……」



 人影が、足下をウロチョロしている人形たちを鬱陶しそうに蹴り飛ばした。



「わー、ころがるー、コロコロー」



「まってまってー」



「とまって、とまってー」



 遊んでもらっているとばかり思っている人形たちが、楽しそうな声を上げて転がり回る。そして3体の人形たちが、木登りをするように、そこに立っていたものによじ登った。


 カタカタッ。軽くて堅いものが振動する、軽快な音がした。


 人形たちがよじ登ったものは、北の四大主“渇きの教皇リンゲルト”の配下、ボロボロになった古い鎧を身につけている骸骨だった。


 骸骨は乾いた眼窩がんかを、首元にまで上ってきた人形たちに向けている。人形たちに敵意を持ってはいないようだったが、関心も示していないようだった。



「随分と大勢集まっているのですね……騒々しい」



 不満を口にする人影の後ろを、ベチャッ、ベチャッと音を立てて、羽の生えた影――巨大な翼を持った蜥蜴とかげのような生物がついてくる音がした。



「……お前はここで待っていなさい」



 蜥蜴とかげを振り返った人影が、フィィィーと口笛を吹いた。その口笛の音を聞いた蜥蜴とかげは、グルルとうなり声をあげて、大理石の床に頭を下ろした。


 人影が再び正面、大回廊の方向を振り向くと、つい先ほどまで誰もいなかったその場所に、“4人の侍女”が並んで立っていた。



「――ようこそおいで下さいました」



「――御足労、感謝いたします」



「――皆様お待ちになっておいでです」



「――あなた様が、今宵こよい最後の御招待者にございます」



 全く同じ服装、全く同じ背格好、全く同じ声をした4人の侍女が、頭に被った頭巾から黒い布を垂らして隠した顔から、口元だけをのぞかせている。そして4人の侍女は全く同じタイミングで、腰と膝をかがめて身体をまっすぐ垂直に上下させて、歓迎の動作をとった。



「――ここはとても広うございます」



「――決しておひとりで出歩かれませぬよう、お気をつけください」



「――私どもが、お世話させていただきますので、御心配には及びません」



「――では、あなた様の御身分を、確認させていただきます」



 横1列に並んだ4人の侍女の内の1人が1歩前に出て、人影の前に立った。



「――南の守護、“暴蝕の森”のあるじ……“むしばみのカース”様で、相違ありませんか?」



 人影が、ゆっくりと、首を縦に振った。



「……相違ありません」





***



 4人の侍女が、改めて身体を垂直に上下させて、歓迎の態度を示した。



「――あなた様の御身分に相違なきこと、確かに承りました」



「――改めまして、我ら“大回廊の守護者”、四大主“むしばみのカース”様の御来城を心より歓迎いたします」



「――他の四大主の皆々様は、既に玉座の間にてお待ちです」



「――“むしばみのカース”様、陛下の御下みもとへ御案内いたします。ですが、その前に……」



 先ほどとは別の侍女が列から外れ、カースの前に歩み出た。



「――我らが城主、“淵王”陛下より、“むしばみのカース”様へ、御伝言を賜っております。お聞きください……」



 侍女の1人がそう言って、腹の前で重ねていた右手を挙げた。そして、頭巾から垂らして目元を隠している布にそっと右手を添えて、今まで見えていた口元を手で隠す代わりに、その手で布をわずかにずらして、片目をあらわにした。


 その目は、“淵王リザリア”と同じ、作り物のような金属光沢をした金色だった。



「――カースよ……」



 その声は、まぐれもなく侍女の声であったが、その無感情な声音は、“淵王リザリア”の声に恐ろしく似ていた。目を閉じてその声を聞けば、自分が今“淵王”の前にいるものと勘違いしてしまうほどだった。



「――明けの国に、貴様自ら踏み入ったと聞いておる。貴様らのやることだ……余は気にめてなどおらぬ。が、ゴーダは大層機嫌を損ねているぞ。余の下に参るまでに、何か言葉を考えておくのだな。その首が、落ちぬよう……」



 “淵王リザリア”そのものの声でカースに伝言を伝えた侍女が、右手を下ろした。目元を覆う布がはらりと元あった場所に舞い流れて、金色の目が隠される。



「――以上にございます」



「……。陛下のお言葉、承りました」



 侍女に頭を下げながら、カースが言った。その表情は、“淵王”自らの警告を聞いてもなお、まったくの冷静だった。



「……お前が不機嫌なのは、そういうことでしたか。飼い犬は主人に似るものですね……」



「……」



 カースが、背後で黙って立っているベルクトに一瞥いちべつを向け、4人の侍女の前に歩を進めた。



「――それでは、“むしばみのカース”様、玉座の間へお導きいたします。どうぞ、こちらへ……」



 4人の侍女が左右に分かれ、無限に続く“大回廊”へと、カースを招き入れた。

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