9-2 : “第1王女” と “第2王子”

 ――国葬の全儀礼が終わり、国王と宰相が去った後の“騎士びょう”前。


 引き揚げようとするシェルミアの背後で、舌打ちの音が聞こえた。



「……さぞ気分が良いだろうねぇ、シェルミア」



 そう口を開いたのは、第2王子アランゲイルである。



「“騎士びょう”の中を歩く姿も、随分と様になってきたじゃないか。騎士団“団長”が、このときだけは、国王以上の立場となる……国葬の義も、これで何度目だ? 父上――陛下を、“騎士びょう”の階段の上から見下ろすのは?」



「……そのような言い方はおめ下さい……“兄上”」



 ギリッと自分にだけ聞こえる歯みの音を立てて、シェルミアが振り向いた。



「何を言うんだい、シェルミア。私はめているんだよ? 特に今回の国葬については、深く礼を言おうじゃないか。何せ今回、名誉ある“騎士びょう”にまつられた兵たちは、“皆、私の近衛このえ隊の騎士たちだからねぇ”……。宵の国領内でたおれた我が騎士たちの亡骸なきがらを、“たった1人の犠牲も出さず”に全員連れ帰り、騎士団団長殿御自おんみずから“水晶花”まで手向たむけてくださるとは、騎士たちもさぞ光栄に思っていることだろう……。シェルミア、いっそのこと、お前の下で剣を取りたかったとさえ、やつらは思っているかもしれないなぁ。愚策を講じる私のような者の下ではなくねぇ……」



 アランゲイルが、口角を引きらせながら言った。シェルミアをにらみつけ、自嘲の感情を隠しもせずに、更に言葉を重ねる。



「陛下の御信頼も、さぞ厚いことだろう――近衛このえ兵長デミロフを失った私に慰みのお言葉をかけられるよりも先に、お前にやつ亡骸なきがらの回収を御相談するほどにな……」



「……兄上――」



 シェルミアが口を開きかけたが、それを無視してアランゲイルが続ける。



「さすがは王位継承第1位の“明星みょうじょう様”。陛下のお目にかなうその才覚、我が“妹”ながら見上げたものだよ……“兄”である私も喜ぶべきか、どうだい?」



「兄上!」



 ここに至るまで終始落ち着いた空気をまとっていたシェルミアが、とうとうこらえきれずに声を上げた。



「……おめくださいと、申し上げたはず……。それ以上は、貴方あなたつかえた騎士たちの御霊みたまへの、侮辱とみなします……」



 アランゲイルを見つめ返すシェルミアの手は、固く握られ、震えていた。



「ああ……これはすまないことをしたね。物分かりの悪い愚兄を哀れむがいいよ、シェルミア……」



 アランゲイルがひねくれた自嘲の笑みを浮かべ、“騎士びょう”から引き揚げるべく、歩き出す。


 兄に厳しい目を向けているシェルミアの横を通り過ぎるとき、アランゲイルは一瞬だけ立ち止まり、妹の耳元にささやいた。



「……賢いお前には、何でも分かるのだろうね。だが、優秀過ぎる妹を持たされた兄の気持ちだけは、分かるまい……」



「……知りたくもありません。そのようなこと……」



「ああ、知らない方がいいよ。知らない方が……」



 それだけの会話を交わして、アランゲイルは“騎士びょう”から去っていった――最後の一瞥いちべつに、底知れぬねたみと憎悪をめて。


 アランゲイルが去り、“騎士びょう”に再び沈黙が降りる。内蔵がねじれるような、ひどく不快な沈黙だった。


 祭礼の騎士の1人が、アランゲイルが去っていった方向に目をやりながらめ息を突き、兜を外した。



「あーあー……アランゲイル殿下、大層お怒りだぁ」



 脱いだ兜を手にぶら下げて、ニールヴェルトが苦い表情を浮かべた。



「おいしいところ全部、シェルミア殿下に持ってかれちゃあ、無理もないのかねぇ」



 ニールヴェルトが両手を上げて、やれやれと首を振った。



「ニールヴェルト……あんたもとっとと行きなさいよ……」



 もう1人の祭礼の騎士、兜を脱いだエレンローズが、ニールヴェルトをにらみつけていた。その目には涙が浮かんでいる。



「へぇいへい。こりゃしばらく荒れるぜぇ……兄王子殿下の近衛このえ騎士の仕事も、楽じゃねぇなぁ……」



 ニールヴェルトがアランゲイルを追いかけて、気怠けだるそうにゆっくりと歩き出した。



「そんじゃまぁ、“勝ち組”の方々はごゆっくりぃ。姫様ぁ、あんまりうちの殿下を、いじめないで下さいよぉ?」



 ニールヴェルトが、シェルミアとエレンローズに向けて、面白がるように言った。



「ニールヴェルト……! 貴様ぁ……!」



 我慢の限界に達したエレンローズが怒りの形相を浮かべ、装飾剣の柄に手をかけた。



「おおっとぉ、怖ぇ怖ぇ。やめとけよ、エレンローズぅ。ここは由緒ゆいしょ正しき“騎士びょう”の御前ごぜんだぜぇ? そんなことしたらバチが当たるぞぉ? ほら、俺、信心深いからさぁ」



 ニールヴェルトがけらけらと笑いながら、“騎士びょう”を出て行った。


 ……。


 “騎士びょう”の前に残っているのは、シェルミアとエレンローズの2人だけである。


 エレンローズは、まだ装飾剣の柄を握ったままでいた。抜かれかけている装飾剣は、さやから刃をのぞかせている。


 カタカタカタ。剣を抜きかけたエレンローズの手が震え、装飾剣がさやたたく音が聞こえる。



「……エレンローズ、剣を仕舞しまいなさい。私たちも戻りましょう」



 シェルミアが、微笑を浮かべながらエレンローズに言った。しかしその微笑は、固い作り笑顔になっている。



「“送り火”の儀、よくやってくれました。様になっていましたよ」



 シェルミアの言葉に従って、エレンローズがゆっくりと装飾剣をさやに収める。



「……シェルミア様ぁ……!」



 装飾剣の柄から手を離した拍子に、堪えていたものがあふれ出たエレンローズが、棒立ちになって涙をぼろぼろと流し始めた。



「ごめんなさいぃ……! 私……私ぃ……! シェルミア、様が、ひどいこと、言われてるのに……何も、何もできません、でしたぁ……! せっかく、祭礼の騎士に、選んで、頂いたのに……こんなのじゃ、こんなのじゃぁ……!」



「エレン……見苦しいところを見せてしまいましたね。ごめんなさい」



 肩を震わせて涙を流すエレンローズにシェルミアが歩み寄り、エレンローズの頬を伝う涙を指先で拭き取った。



「昔は、とても優しい御方だったのですけど……。兄上のこと、嫌いにならないで下さい」



「嫌です……大嫌いです……アランゲイル様も……ニールヴェルトも……」



 エレンローズが、子供のように泣きじゃくりながら首を横に何度も何度も振った。



「エレン、私をおもって悔し涙まで流してくれる貴女あなたのことを、私はとても信頼しています」



 シェルミアが、なだめるようにエレンローズの頭をでる。



貴女あなたは昔から変わらず、とても素直な人ですね。真面目で自分の気持ちを表に出さないロランとは、まるで正反対。双子なのに、不思議なものですね」



 そしてシェルミアが、手をエレンローズの頭から離し、ふぅと小さくめ息をついた。



「シェルミア様……?」



 涙の収まったエレンローズが、シェルミアを見上げる。シェルミアの表情には、何か覚悟を決めたような感情が浮き出ていた。



「……ええ、確かに、ここ最近の兄上の言動には、目に余るものがあります。特にこの頃、兄上の指示の下で何人かの人間が妙な動きをしている……。宵の国との散発的な衝突も、これまでほとんどなかったことです。自身の虚栄心などのために、そんな愚かなことをする御方ではないと信じていたのですが……」



 エレンローズが鼻をすすり、両頬をぱちんとたたいた。ふだんの顔つきに戻ったエレンローズが、眉間に小さなしわを寄せる。



「それは……アランゲイル様が、近衛このえ騎士と傭兵ようへいで私軍まがいの集団を作っているといううわさのことですか……?」



 シェルミアが深刻な顔つきでうなずいた。



「考えたくはありませんでしたが……兄上は、国王陛下から見直されたいというだけの動機で、明けの国の騎士たちを巻き込み、宵の国に不要な挑発行為をしているとしか……。宵の国と明けの国は、長きに渡って相互不可侵を暗黙のうちに保ってきました。兄上の軽率な行動で、宵の国と大規模な衝突が起きるようなことがあってはなりません」



 下唇をみながら、シェルミアが固く目を閉じた。暴走しかかっている兄をどうしたものかと、考えあぐねている。



「……ここにいても考えがまとまりませんね。帰りましょう、エレンローズ。いい加減、この窮屈なドレスにもうんざりです」



 歩き始めたシェルミアに続きながら、エレンローズがクスリと笑った。



「シェルミア様は、ドレスよりも騎士の格好をされている方が、ずっといいです」



 それを聞いて、シェルミアも口元を緩めた。



「ええ、私もそう思うわ、エレン」

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