8-3 : 姫騎士の憂鬱

 シェルミア様が私をお呼びー♪っと。ロランめ、もっと早く言ってくれてたら、あんなにゆっくりお昼ご飯なんか食べてなかったわよ。


 私は小さくステップを踏みながら、喜び勇んでロランから伝え聞いた部屋の前にまでやってきた。


 執務室とはまた別の、シェルミア様専用のお部屋。シェルミア様の私物が多く置かれている、お宝部屋――もとい、私室と言ってもいい場所である。


 さすがの私も、この場所にやってくることは滅多めったにない。


 私は部屋の前で大きく息を吸って呼吸を整えると、きりっと表情を引き締めて、扉をノックした。



「シェルミア様、エレンローズです。御用がおありと伺い参りました」



「ああ、エレンローズ。待っていました。どうぞ、入ってきて下さい」



 扉1枚隔てた向こう側から、シェルミア様の声がくぐもって聞こえてきた。


 私はドアノブを回し、扉を開ける。



「失礼しま――」



 そして私は、部屋の中の光景を目にして、言葉を失った。


 長く美しい金髪を下ろしたシェルミア様が、ドレス姿で鏡の前に立っていた。


 ふだんは1本にわれている髪が、肩と背中にさらりと扇状に美しく広がっている。深い青を基調にしたドレスが、シェルミア様の金色の髪と白い肌を際立たせている。


 数人の侍女たちが、ドレスの着付けや装飾品の用意、部屋の掃除などをしていた。


 私はシェルミア様を直視することができず、思わず目を閉じる。ああ、シェルミア様……なんてお美しいの……いっそ神々しくさえあるわ……。



「(……女神……!)」



 私は手の平で両目を覆って、小さな声でつぶやいた。シェルミア様、女神……!



「? エレンローズ? 何か言いましたか?」



 ドレスの着付け中のシェルミア様が、鏡越しに私の顔を不思議そうに見ている。



「いえ何でも! 何でもないです!」



 私は首をぶんぶんと横に何度も振り回した。



「すみません、エレンローズ。狭い部屋に何人も押し掛けていますから、足の踏み場がないかもしれませんが――きゃっ!?」



 シェルミア様が小さな悲鳴を上げて、ドレスの着付けをしている侍女を振り返った。



「ちょ、ちょっと締め付けすぎではないですか……?」



 慣れた手つきでドレスのひもを結んでいる侍女が、振り向いたシェルミア様を見上げる。目が離れても、その手元は止まらずに作業を続けていた。



「いいえ! ドレスをおしになるからには、これぐらい締めませんと、見栄えが悪うございます!」



 そう言って、侍女は更にぐいっとひもを締め上げた。


 シェルミア様が、思わず「うっ」と息を吐き出す。



「……甲冑かっちゅうを着ている方が、よほど楽ですね……」



 シェルミア様が、憂鬱そうにめ息をついた。



「さあさあ、エレンローズ様、シェルミア様のお着替えのお邪魔になりますので、こちらでお待ちになっていてくださいませ」



 部屋の中をテキパキと歩き回る侍女の1人に促され、私は部屋の角に移動する。


 シェルミア様の“私室”は、統一された基調の家具で小綺麗こぎれいにまとめられている。どれも装飾は少なく、控えめな作りだが、そのどれもが質の高いものだということが私にも分かった。



「エレンローズ、そのまま聞いて下さい」



 シェルミア様が、背後に立つ私に向かって話し始めた。



「今日は国葬の最終日です。国葬の儀にのっとって、午後から国王陛下の御前ごぜんで戦士たちの御霊みたまを送る最後の祭礼が執り行われます。祭礼の席には、騎士の同伴が必要です。エレンローズ、私と一緒に来てもらえませんか?」



 私はその言葉を聞いて、思考が止まった。その場に棒立ちになり、口をみっともなく半開きにしてしまう。



「? エレンローズ?」



 鏡を通して、シェルミア様と目が合う。



「わ……わた……」



 私は口をぱくぱくとさせながら、声を震わせる。



「???」



 シェルミア様が、不思議そうに首をかしげた。



「わ、わたひでも、よろふぃいのでしょうきゃ」



 ああ、もう、驚きの余り、全然舌が回らない……盛大にんだわ……。


 緊張している私を見て、シェルミア様がふっと口元を緩める。



貴女あなたでも良いのではありません、エレンローズ。貴女あなた“が”良いのですよ」



 鏡に映ったシェルミア様が、にこっと笑った。


 いけません、シェルミア様。それ以上は、私の中の何かがどうにかなってしまいます……!


 ダメ、ダメよ、エレンローズ。しっかりしなさい。ああ、でも、天にも上る気持ちって、こういうことなのね……うれしすぎて、どうにかなってしまいそう……。私が同伴の騎士だなんて……シェルミア様ぁ……。



「エレンローズ様? どうされましたか?」



 立ったまま夢見心地になっていた私の顔を、侍女が心配そうにのぞき込んでいることに、私ははっと気がついた。


 私は両手で自分の頬をぱちんとたたいて、顔と気を引き締めた。



「どうされましたとは? 私はこの通り、至ってまともです。ここでじっと、シェルミア様をお待ちしているだけですよ!」



 そう言う私に向かって、侍女がハンカチを差し出した。



「ですが、エレンローズ様、その、鼻血が出ておりますが……」



「え……? あ……あ、あはは……。これは失礼……心配ご無用です。どうも……」



 私はハンカチを鼻に当てて、鼻血を止める。鎮まるのよ、エレンローズ。そう、賢者のように、冷静に。



「エレンローズ? 体調が優れないのですか? そういうことなら、他を当たりますが――」



「全っ然大丈夫です! ピンピンしてます! 元気すぎて鼻血が出るぐらいです!」



 着付けの終わったシェルミア様が振り返り、気遣いの目を私に向ける。私はその場で飛び跳ねて、問題ありませんと全身でアピールした。


 そして、私は数歩前に歩み出て、シェルミア様の前にうやうやしく片膝を突き、こうべを垂れた。


 こればかりは、おふざけでも、舞い上がっているからでもない。


 これは、祭礼の同伴騎士としてお選びいただいた騎士としての、決意と意志のあかし。



此度こたびの御信任、つつしんでお受けいたします――」



 ――貴女あなた様こそ、私が命をかけてお仕えする御方――。



「――シェルミア第1王女殿下」

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