8-2 : 姉騎士の平穏

「やぁっ!」



 新米騎士が、木刀を力任せに振り回しながら、私に向かって真っぐに突っ込んでくる。



「ほいっと」



 私は身体の軸をずらして、新米騎士の剣筋からほんの少しだけ横に移動した。


 ブオンっと風切り音を立てて、木刀が私の目の前で空を切る。



「よっ」



 コツン。自分の振り下ろした木刀の重みに振り回されて、目の前をよたよたと転びかけている新米騎士の首筋を、私は背後から木刀で小突いた。


 身体のバランスを崩しかけていた新米騎士が、私のその1発で完全に止めを刺され、顔面から地面に倒れ込んだ。



「くっ……!」



 全身を打った痛みに、歯を食いしばって耐えながら、新米騎士がふらふらと立ち上がる。



「ほらほらぁ、そんなんじゃ稽古になんないよー。シャキっとしなさい、シャキっと!」



 私は右手に持った木刀で、肩をトントンとたたきながら、新米騎士に喝を入れた。



「はあっ!」



 新米剣士が再び私の方へ切り込んできて、木刀を横に払った。



「よっと」



 私はそれに合わせて半歩後ろに下がる。木刀が、面白いように私の胸元を空振っていった。



「うっ……くそぉ……!」



 新米騎士が、ぜぇぜぇと苦しそうに肩を上下させている。額を流れる汗が、地面にぽたぽたと落ちて染み跡を作っていく。



「うーん……」



 新米騎士の様子を見て、私はこめかみに指を当てて考え込んだ。



「何ていうかなぁ……間合いを見てから振ってるよね、キミ。しかも当てるつもりでがむしゃらに。キミが間合いを見てから振ってるってことは、相手にもそれが見えちゃってるのよ。それじゃ当たらない。もっとこう、ビュンっとやってサッ!て感じ。分かる?」



 木刀をくるくると回しながら、私は言葉にできない感覚的なことを口にする。



「わ……分かりませんよ、そんなふうに言われても……!」



「むぅ……そう言われてもなぁ……」



 そう言われても、言葉にするのが難しいのよねぇ。ビュンっとやってサッ!なのよ、うん。



「だからー……」



 私は新米騎士の方へと、すたすたと歩いていく。それを見て、新米騎士が木刀を構えた。


 私はおもむろに、右手の木刀を斜め上に切り上げた。



「っ!」



 新米騎士が、私の木刀の初動に反応して、慌てて身を引いた。


 ――ビュンっとやってぇ。


 私は木刀を切り上げると同時にわずかに踏み込んで、振り上げた木刀を素早く切り返した。


 ――サッ!



「うわっ!」



 木刀の先端の間合いに入っていた新米騎士の首元で、私の腕がぴたっと止まる。



「……こういうこと。ね?」



「うぅ……」



 新米騎士が、体力が尽きたのと驚いて腰が抜けたのとで、地面に尻もちを着いた。



「剣を振った時点で、その次の動作は始まっている。身体が勝手に反応するようになるまで、修練あるのみ! 間合いに入ったのを見てから振ってるようじゃ、全然だからねー」



 ……シェルミア様と一騎打ちをしたあの魔族の剣士……“魔剣のゴーダ”の剣は、後手で出した一撃がシェルミア様の先手を追い抜いて届く、化け物みたいなはやさだったけど、あれは例外中の例外……。



「さて、と。今日の修了目標、どうしようか?」



 私は再び、木刀で肩をたたきながら、息を切らして修練場の地面に座り込んでいる数人の新米騎士たちに尋ねた。



「“私に木刀を2本抜かせたら修了”。ちょっとまだ早かったかなぁ。“私に剣で受けさせたら修了”に変更しようか?」



 私のその言葉を聞いて、新米騎士たちがそろって立ち上がった。



「……いえ、変更は、不要、です……」



 整わない息づかいで、それでも目には折れない火を宿して、新米騎士の1人が言った。



「おー、ガッツあるじゃん、新米くん」



 私は感心した声を出す。そういうのは嫌いじゃないよ。



「エレンローズ教官、一応、確認、しておきたい、のですが」



 修練場に散り散りになっていた新米騎士たちが、1か所に集まりながら、息切れの合間で言葉をつなぐ。



「いいよ、何?」



「今日の修了目標は、集団で達成しても、構わないと、いうことでしょうか。そうしてはならないという、条件は、聞いて、いませんが」



 新米騎士たちが、ひと塊りになって、木刀を構え持った。



「『1人ずつじゃないとダメ』とは、確かに言ってないね」



 その光景を見て、私は思わず口元をニヤリとり上げた。



「いいんじゃなーい? 全員まとめて、かかってこい!」



 ――。


 左右の手に木刀を1本ずつ持って、私は修練場に立っていた。昼前の陽光の下で吹き抜けていく風が、とても気持ちいい。



「よし! 今日の修了目標、達成! 新米くんたち、お疲れ!」



 稽古が終わり、私は宿舎に続く通路に引き揚げる。


 背後の修練場では、新米騎士たちが地面にのびていた。



***



 昼食の時間帯。私が宿舎の食堂で食事をっていると、さっきまで稽古をつけていた新米くんたちが連れ添って私の席の向かいにやってきた。新米くんたちは3人連れで、昼食の乗った盆を持ち、私を見下ろしてじっと立っている。



「……ん? どしたの?」



 私は固いパンにかじりつきながら、新米くんたちを見上げた。ここの食堂のパン、あんまりおいしくないよねぇ。



「教官、相席よろしいでしょうか」



 新米くんの1人が、緊張した顔つきでそう言った。緊張しすぎて、耳が赤くなっている。



「いいよいいよ、座んなよ」



「失礼します!」



 新米くんたちがカクカクとした動作で、私の向かいの席に腰を下ろした。



「あの、先ほどは剣の手ほどき、ありがとうございました」



 新米くんが食事に手も付けずに、私の方を見ながら口を開く。



「“右座みぎざつるぎ”の双剣、間近で見れたこと、感激でした」



「木刀だけどねー。キミたちもがんばったよー」



 ……。


 新米くんたちが、話を継ぐのに詰まって気まずげにしている。さっきの稽古の勢いのまま、何も考えずに私の席にまで来たようだった。


 3人の新米騎士の内の1人は、テーブルの隅でモソモソと固いパンを口に運んでいる。他の1人は沈黙に絶えきれず、時々小さなせき払いをする。私に話しかけてきた最初の1人は、困ったように目を泳がせていた。


 ああ、その光景を見ていると、私は昔のことを思い出す――。



「――私もね、最初は全然だったよ」



 分かるよ。私も、新人の頃、同じようなことがあった。



「稽古番の“先輩騎士”にさ、歯が立たなくて、かすりもしなくて、すごく悔しかった」



 目を離していた新米くんたちが、私の方に目を向けた。



「それでさ、熱が頭から離れなくて、“先輩騎士”のいるところに訳もなく詰め寄ったりしたよ。ちょうど今のキミらみたいに」



 私がにっと笑うと、新米くんたちの顔にも笑顔が浮かんだ。



「教官にも、そんな時期がありましたか」



「そりゃあ、あるよ。それはもう、何度も何度も折れそうになったよ」



「それでも折れなかったのは、何故ですか。後学のために聞かせていただけないでしょうか」



 興味深げにいてくる新米くんに、私は何の迷いもなく、ただ一言だけ――。



「憧れだったから」



 私はずっと、憧れていた。先輩騎士……“あの人”の強さと、“あの人”の気高さに。“あの人”に手が届くまで、“あの人”の隣に立てるまで。ただそれだけの気持ちで、私は突っ走ったのだ。いや、今だって突っ走り続けている。



「それで気づいたら、“右座みぎざつるぎ”なんて異名で呼ばれるようになってたよ」



 私の話を聞き終えると、新米くんが鼻の穴を広げて、大きく息を吸い込んだ。



「じ、自分も同じです。憧れの方に剣が届くまで、努力します、エレンローズ教官!」



「元気だね! がんばりな、新米くん!」



 私は親指をぐっと上げて、新米くんにげきを飛ばした。


 すると突然、新米くんの顔に戸惑いの表情が浮かんだ。


 え? 何? 急にそんな顔して、どうしたの?


 新米くんが、再び大きく息を吸い込み、勇気を振り絞るように口を開いた。



「じ、自分も、エレンローズ教官の隣に立てるよう、死にもの狂いでがんばります!」



「うん、先は長いけど、がんばって!」



 私はもう1度、親指をぐっと上げて、にっと笑った。


 しかし、激励しているつもりなのに、新米くんの顔にはさっきよりも深い困惑の表情が浮かび上がる。


 ……え? どういうこと? 私何かヘンなこと言った?



「え? どしたの? そんな顔して?」



「いえ……なんでもありません! 失礼しました!」



 それだけ言うと、新米くんは盆に乗った食事をガツガツと勢いよく食べ始めた。やけ食いは身体に良くないよ、新米くん。



「エ、エレンローズ教官は、どちらのご出身なのでしょうか?」



 やけ食いを続けている新米くんの隣に座っている新人くんが、その場をつくろって口を開いた。



「私? 私は南部の出身なんだー。王都に来たのは9歳の頃だったかなぁ」



「どうして王都に?」



「あー……私さ、その南部の町にある孤児院の出なのよ。身寄りはきょうだいだけでさ。そこから拾われてこっちに来たのよ」



 そう。私とロランは、その孤児院からシェルミア様に引き取られて、それが縁で、今こうして明けの国騎士団にいるのだ。



「それは……すみません」



 新人くんが声を小さくして、気まずそうに言った。



「あー、いいっていいって。その孤児院ってのが、また嫌なとこでさー。愚痴を言いたいぐらいよ」



 私はハッハと笑ってその話を流した。……笑わないとやってられない。ほんと、あそこには嫌な思い出しかない……。



「あ! そうだ! 言いそびれていました!」



 それまで黙って私と他の2人の会話を聞いていた3人目の新顔くんが、何かを思い出した様子で会話に割って入ってきた。



「教官、先日はわざわざ焼き菓子を差し入れていただき、ありがとうございました! 同部屋の連中が大喜びしていましたよ」



 新米くんと、新人くんが、新顔くんの言葉に同意して、うんうんと激しく首を上下させた。ああ、キミら同部屋なのね。


 ふーん……ん?



「……ん? “焼き菓子”? 何のこと?」



 私は自分の分の食事を食べ終えて、食器を盆の上に戻し、腕を組んで首をかしげた。はて? そんなものを差し入れした記憶はないけれど?



「いやだなぁ、教官、手作りの焼き菓子をわざわざ持ってきて下さったじゃないですか。『作りすぎちゃったから、皆さんで食べて下さい』って。干し葡萄ぶどうの入った焼き菓子を」



 干し葡萄ぶどうの入った焼き菓子? そんなすごいもの、私が作れるわけないじゃん。つい最近、それと同じやつを食べはしたけど……食べは、したけど……。



「……あ――」



「――エレン姉様ぁ!」



 私がぴんと来たのと同時に、背後からロランの声が聞こえてきた。



「もう、探したよ。姉様はすぐいなくなっちゃうから」



 テーブルについている私の横に立って、ロランが困った顔をした。



「あんたと何か約束してたっけ?」



「あの……エレンローズ教官」



 新顔くんが、並んでいる私とロランの顔をキョロキョロと見比べながら、驚いた様子で言った。



「お二人は、双子か何かでしょうか? そっくりですが……」



「ああ、そうそう、さっき話したでしょ? きょうだいがいるって」



 新米くんと、新人くんと、新顔くんが、へえと目を丸くする。


 そして私は、ロランにくだんの“差し入れ”について尋ねた。



「ねえあんた、もしかして新顔くんたちに焼き菓子あげた?」



 私の質問に、ロランがこくりとうなずいた。



「うん、作りすぎちゃったから、お裾分けしたけど。姉様と稽古してるの、大変そうだったから。……もしかして、口に合わなかったですか?」



 新顔くんたちの方を向いて、ロランが手を口に回して、不安げな表情を浮かべた。瞳が少しうるんでいる。



「そ、そんなことは! そんなことは断じて! おいしくありがたく、いただきましたとも!」



 バンと机をたたいて立ち上がったのは、やけ食いをしていた新米くんである。落ち込んだり飛び上がったり、元気だねぇ、キミ。



「あ、よかったぁ。今日も稽古、お疲れさまです。うちの姉、教えるのヘタクソでしょう? “ビュン”とか“バシッ”とか“ズバーン”とか、よく分からないこと言ってご迷惑かけていませんか? 今度また、何か差し入れ持って行きますね」



 ロランがうれしそうに笑顔で言った。ロランは自分が作った料理を誰かに「おいしい」と言われると、とても喜ぶ。



「はい、是非……!」



 新米くん、新人くん、新顔くんたちはその後、終始ロランに対してデレデレとしていた。そして昼食を食べ終えると、御機嫌そうに自分たちの部屋へと引き揚げていった。


 そんな彼らの後ろ姿を見送りながら、私はふうとめ息をついた。



「ロラン……あんた、モテるよねぇ」



「え? 何言ってるの姉様。そんなわけないでしょ。僕、男だよ」



 うん……向こうはそうは思ってなさそうだったけど……。


 新米くんたちよ……“きょうだい”は、“姉弟”なのであって、“姉妹”じゃないんだけどなぁ……。


 ……。


 面倒臭くなったので、私は何も言わないことにした。



「で、あんたは私に何の用があったの? 面倒な仕事じゃないでしょうね?」



「シェルミア様が呼んでたよ、姉様」



「ばっか……! それ早く言いなさいよ!」

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