8-1 : 弟騎士の日常

 ――数日後。



「エレンローズ、今回の任務、本当によくやってくれました」



 非番の日に急に呼び出されて、執務室を訪ねると、シェルミア様が笑顔で出迎えて、私に向かってそう言った。



「いえ、そんな……シェルミア様のお役に立てたのなら、光栄です」



 私はびしっと背筋を伸ばして、きびきびと応えた。



「エレンローズ……」



 シェルミア様が、椅子から立ち上がり、執務机を回り込んで、私の方へと歩いてくる。


 そして私の目の前に立ったシェルミア様が、私の手を取り、両手で優しく包み込んだ。



「シェルミア様……?」



 シェルミア様は、手をぎゅっと握ったまま、私の目をじっと見つめている。



貴女あなたには心から感謝しています。指揮官として。それ以上に……私個人として」



 シェルミア様の手はとても柔らかくて、細くてしなやかな指は、ひんやりと冷たくて、心地良い。



「エレンローズ……今日は貴女あなたにお願いがあって来てもらいました。貴女あなたにしか頼めない、とても大切なことです」



 シェルミア様が、瞳をうるませながら、私につぶやいた。


 シェルミア様のあおい瞳から、私は目を離せない。ああ、何て美しい瞳をされているのだろう……。



「はい。何なりとお申し付け下さい、シェルミア様……」



 シェルミア様に手を握られて、じっと見つめられて、私はうっとりとしてしまう。



「エレンローズ、貴女あなたには、今日から私の秘書官になってもらいたいのです。私の隣で、執務の助けをお願いします。そして、私の隣に立つ騎士として、剣をとってほしい……」



 シェルミア様はそう言いながら、御自身の剣“運命剣リーム”を手に取り、それを私に差し出した。



「“運命剣”を、貴女あなたに託します。エレンローズ」



「シェルミア様……よろこんで、お引き受けいたします」



 私はうやうやしく、シェルミア様の手から運命剣を拝領する。


 私が剣を受け取ると、シェルミア様が笑顔を浮かべた。



「ありがとう、エレンローズ。貴女あなたと出会えたことは、私にとってとても幸運なことです」



 そう言いながら、シェルミア様が私の髪にそっと触れた。



「……シェルミア様?」



 シェルミア様の指先が、私の髪を優しくでる。



「エレン……とても綺麗きれいな銀髪ね……。ずっと前から、こうして触れてみたかった……」



「……シェルミア、様……」



 ああ、いけません、シェルミア様……。でも、シェルミア様が望まれるのなら、私は何だって――。



***





「――むにゃ……シェルミアしゃま……ぐへへ……」



「姉様ぁ! いい加減起きなきゃ、遅刻しちゃうよ!」



「ふがっ?!」



 ロランの声で、私は飛び上がった。毛布の重みがとても気持ちよくて、まぶたが重たい。



「ふぁ……? んむ……? あれ? シェルミア様は……?」



 私は寝室のベッドの上にいた。意識がはっきりせず、辺りをきょろきょろと見回す。



「もー、寝ぼけないでよ、姉様」



 部屋のドアの前に、エプロン姿のロランが立っていた。腰に手を当てて、ぷんぷん怒っている。



「朝ご飯できてるよ。片づかないから、早く食べちゃいなさい!」



 あー……やっぱり夢かぁ。夢ならもうちょっと、思い切ったことしたかったなぁ……。



「姉様、聞こえてる?」



 ロランがベッドの横にまで歩いてきて、私の顔をのぞき込んだ。



「……ロランってさぁ」



 私は眠い目をこすりながら、ロランを見上げた。



「何?」



「お母さんみたいだよね」



「!!」



 ロランが戸惑った表情を浮かべて、1歩後ずさった。



「あとさぁ」



 私はベッドの上にむくりと起きあがって、ロランをしげしげと見つめる。



「な、何……?」



 ロランが身構えている。身構えなくてもいいじゃん……。



「何かロランって、いちいち可愛かわいいよね。その格好とか、仕草とかが」



「かわっ……?!」



 ロランが顔を真っ赤にして、腰の後ろに手を回して、慌ててエプロンを解いた。



「やめてよ、姉様。からかわないで!」



 ロランが「もぉ」と漏らし、不機嫌そうにぷくっと膨れ面になった。顔を赤らめてそう言いながら、しかし手だけはテキパキと動いて、脱いだエプロンがロランの手の中で綺麗きれいに折り畳まれていく。


 うん、そういうところがいちいち可愛かわいいんだってば、ロラン。



「今日も姉様、稽古番なんでしょ? 遅刻しても知らないよ!」



「分かってるってば。起きますよーだ」



 私はベッドから降りて、寝間着姿のまま、ロランの作った朝食が並べられている食卓に移動する。


 今日のメニューは、目玉焼きと、ベーコンと、野菜のスープと、カリカリに焼いたパンだった。パンの焼き加減が、ちゃんと私好みになっているのがうれしかった。


 私が食卓の席に着くと、向かいの席にロランも腰を下ろした。


 食卓には、私とロランの分、2人分の朝食が並べられている。



「いつものことだけど、先に食べてていいのに」



 手で口を隠すこともせずに、大きな欠伸あくびをしながら、私はつぶやいた。



「ダメだよ姉様。せっかく作った料理は、みんながそろってから食べないと、おいしくないんだよ?」



 ロランが冷たい牛乳を2人分のカップにそそぎながら言った。



「ロラン……あんたほんと、いいお嫁さんになれるよ……。女の子だったら良かったのにね?」



 私の言葉を聞いて、ロランが少しうつむいた。



「姉様も、男が家事ができたら、変だと思うの?」



 ロランのその言葉に、私は首を横に振った。



「ううん、思わない思わない。ロランはそれでいいと思うよ。私がもし血のつながってない他人だったら、ロランのことお婿むこさんに欲しいぐらいだもん」



 ロランが「もうっ」と漏らして、頬を膨らませた。うれしはずかし、なんとやら……。うちの弟は、その辺の下手な乙女より、よほど乙女らしいです。



「さてと、冷めないうちに、いただきまーす」



 私は食事前の祈りを簡単に済ませて、ロランの手料理に手を伸ばす。



「……。いただきます」



 それに続いて、ロランが丁寧に食前の祈りをささげてから、料理を口に運んだ。


 今日も1日が始まる――ロランが作ってくれた朝食を食べると、私はいつもそう思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る