6-3 : “鐘楼”

 驚いたことに、かつて私が住み込みで使っていた研究室は、私が出て行った当時のままになっていた。


 私がローマリアとの師弟関係を解消して、星海の物見台を捨て、イヅの城塞に居を移したのが250年前。それ以来ずっと、この部屋は放置されていたらしい。ほこりこそ積もってはいたが、物の配置は当時の私の記憶そのままだった。



「……うっわ……懐かしすぎる……」



 私は自分の目的も忘れて、ついつい300年近く昔の記憶を懐かしんでしまう。


 宵の国の文字を覚えるために繰り返し練習した跡の残る羊皮紙の束。端が擦り切れるほど読み込んだ魔法書。躍起になって召還魔法の術式を研究した魔方陣。何もかも、皆懐かしい。



「……はっ。いかんいかん、指輪を探さなければ」



 ようやく自分の目的を思い出した私は、指輪の捜索を始める。


 作業机の上、抽斗ひきだしの中、本棚の本の隙間、床下収納、屋根裏……至る所を探し回ったが、肝心の指輪はどこにも見あたらない。



「確かにここで指輪を使った記憶があるんだが……どこにある……?」



 私は腰をかがめて、後ろに歩きながら床の上を見て回っていた。


 だから私は気づかなかった。私の真後ろに、機械式のレバーがあることに。


 私の尻に押されて、レバーががちゃりと動作した。


 その不吉な音を耳にして、私は全身を硬直させる。


 足下に、青白い光を発する、円形の魔方陣が浮かび上がる。


 私の顔も青くなったが、最早もはや手遅れだった。



「ま、まずい……! 転位昇降機か……! まだ動力が――」



 魔方陣が一際強い光を放ち、私は自分の身体が真上方向に引っ張り上げられる感覚を覚えた。



「“鐘楼”に……飛ばされる……! やばい……あそこにはローマリ――」



 独り言を言い切るより先に、私はローマリアと対面していた。



***



 ローマリアが、右手に持ったティーカップを口につけたまま、眼帯をつけていない方の目(左目)を丸くしている。



「あら……あらあらあら」



 数秒間、私とローマリアは目を合わせたまま固まっていたが、ティーカップを皿の上に戻して、ローマリアの方から口を開く。



「ゴーダ? どうして此処ここにいますの?」



「……その言葉は、私が1番、私に言いたい……」



 私は手で目元を覆いながら、大きな大きなめ息をついた。何で私は此処ここにいるんだ? 自分でローマリアの所にまで飛ばされてくるなんて、馬鹿か私は?


 そんな私を見やりながら、ローマリアは口元を緩めて、左手を添えてクスクスと笑った。あざわらっていると言った方が正しいか。



「ふふっ……貴方あなたのその顔、傑作ですわ。何て悔しそうな顔……嗚呼ああ可笑おかしいったらありませんわ」



 そういいながら、ローマリアは自分が掛けているテーブルの反対側を手で指し示した。



「自分からわたくしの前に現れるだなんて、自分から出て行った貴方あなたにとっては、これ以上ない屈辱ですわね。ゴーダ? 屈辱ついでに、わたくしがお茶を入れて差し上げますわ。お掛けになりませんこと?」



 ローマリアが指し示した先には、誰も座っていない1脚の椅子があり、テーブルの反対側には、誰も使っていない伏せられたままの1組のティーカップが置いてあった。



「……まさか、最初から気づいていたのか?」



「ふふっ。さあ? 御想像にお任せしますわ」



 どうやら、私はローマリアのてのひらの上で遊ばれていたらしい。研究室までの道のりが余りに順調過ぎた……気づくべきだったのだ。



「……茶などいらん。用件だけ言うぞ……」



「あらあら、女の方から誘わせておいて断るだなんて、無粋なことをなさいますのね?」



 ローマリアがクスクスと嘲笑を漏らす。



嗚呼ああ、意地になっている貴方あなたのその顔、見ていて本当に飽きませんわ」



 そしてローマリアが、満面の笑みを浮かべて、再度自分の向かいの椅子を手で指し示した。



「まあ、お掛けなさい。ええ、用件だけで結構ですわ。それだけにしても、対話は同じテーブルの上で交わしてこそですわ。そうは思わなくて?」



「……」



 ローマリアに促され、私は渋々椅子に腰掛けた。


 私がローマリアと対面しているこの場所は、250年前、私が“鐘楼”と呼んでいた場所である。


 “星海の物見台”という名の通り、この塔には常に星を観察することができる設備が備わっている。それがこの鐘楼だった。塔の内部に数か所ある“転位昇降機”を使ってのみ辿たどり着けるこの場所は、“雲の上に浮いている”。そして鐘楼は、この世界の自転速度に併せて移動し続けていて、常に夜の領域を漂い続けている。


 雲の上にあるので天候に左右されず、常に夜を追いかけて移動しているので24時間1年中夜空を見ることができる。ここはそういう特殊な場所なのだ。


 ローマリアの転位魔法を組み込んだ転位昇降機のお陰で、夜を追いかけて鐘楼がどんなに塔から離れようとも、距離は問題にならない。感覚的には、塔の最上層の隠し階段からしか移動できない更に上の階層、そんな感覚なのだ。



「さあて……御用件を伺いましょうか?」



 ローマリアが、右目の眼帯を指でなぞりながら、ニコニコと嘲笑を浮かべて私をじっと見つめている。この状況に相当御満悦のようだった。私は気分最悪だったが。



 ローマリアの背後には、巨大な白い満月が浮いていて、月光がローマリアの長い黒髪を照らし出している。



「……指輪を探しに来たのだ」



 私はローマリアに、事の成り行きを一通り説明して、魔導器の指輪の所在を知らないか尋ねた。



「ええ、それなら知っていますわよ。お望みなら、差し上げても構いません」



 ティーカップに入れたお茶を優雅に飲みながら、ローマリアがあっさりと答えた。


 もしかして、最初からこうしていれば早かったのだろうか?



「そうか、それは助か――」



「ただし、交換条件ですわ」



 ローマリアがティーカップを置いて、私の言葉を遮った。



「……交換条件?」



 私は背筋に鳥肌が立つのを感じた。嫌な予感しかしない。



「ゴーダ、貴方あなたには、わたくしの言うことを3つ、聞いていただきますわ。それが交換条件です」



「……は?」



「どうかされまして?」



「いやいやいや……何を言っているのか分からんのだが」



「嫌なら結構ですのよ? 指輪は差し上げませんわ。お引き取りあそばせ」



 ローマリアが、澄まし顔で突っぱねる。



「……なぜ3つもお前の言うことを聞かねばならん? そこが納得いかん……」



 私が渋っていると、ローマリアの左目がニヤっとゆがんだ。



「女への借りは、3倍返しが基本ですわ」



 そしてローマリアがクスクスと笑い出す。自分が主導権を握っていることが、たまらなくたのしいようだった。



「……とんだ魔女だな」



 私は椅子の背もたれに寄りかかりながら、嫌みを込めてつぶやいた。



「ええ、その通り。わたくしは魔女ですもの。では、交渉成立ということでよろしくて?」



「……勝手にしろ」



「あらあら。ふふっ。ゴーダ、随分不機嫌そうですわ、お茶でもいかが?」



 ローマリアがティーポットを手に取り、私に勧めてくる。



「いらん」



「ふふっ。ええ、生憎あいにくとすべて飲んでしまったところでしたの。そう言っていただけて、ちょうどよかったですわ」



 ローマリアが口元を隠して、クスクスと笑う。


 ……嫌みな女だ……。

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