6-2 : “星海の物見台”

 ――イヅの城塞の定時後。19の刻を過ぎた夕暮れ時。


 私は、“その光景”を前にして、深々と……本当に深々と、め息をついた。



「……っはあぁー……まさか……まさか“ここ”に、また来ることになるとは……」



 私の目の前には、左の彼方かなたから右の彼方かなたまで、延々と続く巨大な崖が延びていた。その全長は恐らく数百キロメートルどころではない。高さもゆうに300メートルはある、大絶壁である。この天然の城壁の名を“大断壁だいだんへき”という。


 大断壁の一角に、私の目的地がある。“それ”は大断壁に半分めり込むように建てられた巨大な建造物で、天に向かって真っぐに伸びる巨塔だった。


 その塔の名を、“星海せいかい物見台ものみだい”といった。


 宵の国西方のかなめ、四大主“三つの魔女ローマリア”が守護する、塔型ダンジョンである。


 その天をく塔を前に、私は何度目かのめ息をついた。



「はあー……できることなら、あいつとは顔を合わせずに指輪だけ回収して帰りたい……一応、次元屈折の魔法はかけてきたが、ローマリアの目をいつまで誤魔化ごまかせるか……」



 ローマリアは魔力の網を塔の周囲一帯に張り巡らせ、高性能レーダーのように使っている。私はその魔力の網を屈折させて探知されにくくする、ステルス迷彩のような魔法を自分にかけて、イヅの城塞からここまで転位してきたのだが、ローマリアに気づかれていないか、気が気でなかった。


 遠目で見る限り、星海の物見台には変化はない。どうやら気づかれてはいないようだった。


 私は物陰に隠れつつ、こそこそとした足取りで塔に近づいていく。ああ……これじゃあ泥棒と大差ないじゃないか……私は剣士だぞ……。


 私は甲冑かっちゅうを身につけていなかった。これからやろうとしていることの性質上、身軽に動けない甲冑かっちゅうは邪魔だった。不測の事態に備えて“蒼鬼”だけは帯刀していたが、できればそれも外してしまいたいほどだった。


 忍び足とダッシュを絡めながら、私は無事に塔の正門の前にまで辿たどり着く。


 “塔”に動きはない。次元屈折の魔法は存外役に立っているようだった。


 さて……問題はここからである。どうやって塔の内部に侵入したものか……。


 “三式:神道開かみじびらき”で空間ごと切り開いてしまえば簡単だが……さすがにそれだと感づかれてしまう……。


 正門が開いているわけはないだろうし、仮に鍵がかかっていなかったとしても、ここはローマリアの魔力レーダーの真っただ中。正門を開けた時点で、感づかれてしまう……。



「どこかの窓がていよく開いていたりしないものか……そんなわけないよなあ……」



 そんな都合のいい話が、あるわけ――。



「うんしょ、うんしょ」



 私の頭上から、奇妙な声が聞こえてきた。



「よいしょ、よいしょ」



 小鳥のような、細くて高い声。



「おもい、おもぉい」



「たいへん、たいへぇん」



 私が塔を見上げると、内部の光がぼんやりと漏れ出ている、開ききった窓が目に入った。奇妙な声は、その窓の内側から聞こえてきている。



「……あったな、都合のいい話が」



 私はつい独り言を漏らし、小さくぐっとガッツポーズをとった。


 開いた窓は、地面から20メートルほどの高さに位置している。私は目的の窓の真下にまで移動して、その場でしゃがみ込み、自分の足に手を触れた。



「――重力転換」



 足下が回転し、私は一瞬バランスを崩しかける。次に私が立ち上がったとき、地面は私の背中の後ろに広がっていた。


 次元魔法で足下の重力方向をゆがめ、私は“塔の壁に立っていた”。そのまま私は塔の壁を直立したまま歩いて上り、くだんの開けっ放しの窓にまで辿たどり着く。


 私が塔の壁に張り付いたまま、しゃがみこんでこっそりと窓をのぞき込むと、そこには分厚い本を一生懸命運んでいる数十人の小人たちがいた。



「よいしょ、よいしょ」



 小人たちは、おそろいの灰色の服と、おそろいの灰色のつば広帽子と、おそろいの灰色の手袋と靴をはめていた。



「いっそげ、いそげ」



 いや、正確には小人ではない。“それ”は小さな灰色の服とつば広帽子と手袋と靴だった。それらがそれぞれ自律して動き回りながら、群れを構成していると言った方が正しい。透明な小人がそういう服装で動き回っているとも言えるが、恐らくこれらの正体は前者だろう。


 ローマリアに透明な小人を使役するような趣味はない。あるとすれば、人形遊びのように、無機物を動かし回ることの方が、よほどあり得た。


 なぜならローマリアは、私と同時期に四大主になって以来、私がローマリアの下を去って以来、ずっとこの塔に1人きりのはずだからだ。


 私の予想が正しければ、この小人のような連中は、ローマリアの作った人形だ。であるなら、恐らくこいつらは、次元屈折の魔法でローマリアの魔力レーダーをかわしている今の私を、検知できないはずである。


 私は思い切って、開いた窓から塔の内部に侵入を試みた。



「――重力転換、解除」



 重力が本来の方向に向き直り、私は塔の内部に足を着いた。


 塔の内部は螺旋らせん階段構造になっていて、その螺旋らせんの壁沿いはすべて本棚になっていた。


 人形たちは手分けして、その本棚から無数の本を出したり入れたりを繰り返している。


 ある人形は、本棚から本を取りだし、螺旋らせん階段をトコトコと下り、その途中で横に延びた巨大な踊り場に移動し、そこに本を丁寧に並べている。その踊り場には、塔の最上層の天窓から差し込んだ月光が、スポットライトのように当たっていた。


 別の人形は、踊り場に並べられ月光のスポットライトに照らされている本を回収し、元あった本棚に戻すために螺旋らせん階段をピョコピョコと上っていく。


 月光の蟲干し。私はそれを知っていた。星海の物見台に収められている本は、どれもが微弱な魔力を帯びた魔法書である。その本の魔力に引かれて、良くないものが寄ってくる。通常の本に虫やかびがつかないように、風に当ててやると良いというが、要はそれに似たようなことをしているのだ。



「懐かしいな……私も他の弟子たちと一緒に、よくやらされたものだ……」



 かつてローマリアに師事して、この星海の物見台で魔法の探求に明け暮れていた頃を思い出しながら、私は足下を行ったり来たりしている人形たちを避けて、螺旋らせん階段を上る。


 そのとき、螺旋らせん階段がギシっと大きくきしむ音を立てた。


 せっせと動き回っていた人形たちが、その音に反応して、一斉にぴたっと動きを止める。


 まずい……バレたか?



「? だれだれぇ?」



 人形の1体が、自分の身体より大きな本を頭の上に載せたまま、キョロキョロと辺りを見回している。



「? いるいるぅ?」



 別の人形が、手頃なサイズの本を両脇に1冊ずつ挟み込んで、私の足下をうろちょろする。


 やはり次元屈折の魔法が効いていた。人形たちは、私が立てた音には反応しているが、私の存在を認識できていない。



「??? いないいなぁい?」



 そして人形たちは、そこに誰もいないと判断すると、また「うんしょ、うんしょ」とかけ声を上げて、月光の蟲干し作業を再開した。



「お勤め御苦労さん」



 私は健気けなげに働き回る人形たちを横目に、螺旋らせん階段を上り続けた。目指すは塔の最上層付近――かつての私の研究室だ。

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