5-3 : “運命剣”

「ぐ……っ!?」



 ゴーダは横腹に熱さを覚えた。甲冑かっちゅうの脇腹部分に亀裂が走り、そこから紫色をした液体が流れ出ていた。



「(自分の血を見るのは、えらく久しぶりだな……)」



 シェルミアの斬撃は甲冑かっちゅうをかすめた程度であり、傷口はかすり傷ほどでしかない。しかし傷の軽さとは裏腹に、ゴーダが受けた精神的な衝撃は大きかった。



「(“冑通かぶとどおし”をかわした……? いや、違う……かわしたというより……しかし、それはありえんことだ……)」



 ゴーダがゆっくりとした動作で立ち上がる。イヅの平原に茂る緑の葉に、ゴーダの紫色の血が滴り落ちた。



「(さっきの衝撃は、間違いない……私の魔剣を“盾で受けた”だと? 障害物をすべて飛び越える、“防御不能”の私の“一式”を……?)」



「致命傷ではないはずです」



 シェルミアが、居合い抜きで交差して裏に回っていたゴーダの方を振り返りながら、口を開く。



「ほお。なぜ致命傷ではないと分かるのかね、シェルミア殿? まさか、あの刹那の間に、狙ってかすり傷をつけたとでも?」



「そうです」



 ゴーダの問いかけに、シェルミアがはっきりと答えた。



「これは恐れ入った……あの速度で交差しながらそこまでの芸当、私ですらできん真似まねだな……」



貴方あなたの魔剣は敗れました、ゴーダ卿。負けを認めていただけないでしょうか」



 腕から力を抜き、剣と盾を下げた状態で、シェルミアが促した。



「いや、悪いがまだその気はない」



 ゴーダが刀を構え直し、シェルミアを見据える。



「まだ分からんことだらけだ。このまま引き下がるわけにはいかんよ……。貴公のその剣と盾、何かの加護を受けているな? 剣の方は皆目見当がつかんが……その盾、魔法を打ち消すことができるとみた」



 ゴーダが刀の切っ先で、シェルミアの盾を指した。



おっしゃるとおり、この盾には、魔法の類は一切効きません」



 シェルミアが自分の盾に目をやりながら、あっさりと種を明かした。



「……なぜ素直に白状する?」



貴方あなたに負けを認めていただくためです。私に対して、勝ち目がないと、理解していただくためです」



 シェルミアがはっきりと言う。その言葉には挑発の色は含まれておらず、ただただゴーダに対して投降を願う思いだけが込められていた。


 それを聞いたゴーダは、思わず呆然ぼうぜんとしてしまった。



「恐ろしくはっきりとものを言う……いかる気も起こらん……」



 ゴーダが深く息を吸い込み、シェルミアに流されかけている自分を律する。



「我が一閃いっせんを受けきり、その上一太刀浴びせ返すその業、見事。だが、魔法に頼ってばかりが私の真骨頂ではない……我が魔剣は、それほど浅くはない」



 ゴーダが刀を構え直した。それを見て、シェルミアも下げていた剣と盾を再び持ち上げる。



「ならば、それもくじくまでです」



 耐魔の盾を前面に構え、シェルミアが突進する。


 ゴーダが刀を振り下ろし、シェルミアが盾でそれを受ける。


 それはもう、この一騎打ちの中で何度も繰り返されたやりとりであった。一連の流れの型が決まりつつある攻防の中で、わずかなすきをついて本命をたたき込む――互いを読み合うゴーダとシェルミアの剣戟けんげきは、その域に移りつつあった。


 ゆえに、シェルミアは分かっていた――筋肉のしなりを効かせた次の横払いを、ゴーダがどういう体勢で受けるのかを。


 ゆえに、シェルミアは動揺した――ゴーダが刀を下げ、防御の体勢をとらなかったことに。



「貴公の剣舞、実に見事……。しかし、もう、その呼吸は見切った……」



 シェルミアの横払いが、刀を下げたゴーダに真っぐに向かい――。



「――“魔剣二式:霞流かすみながし”」



 ――シェルミアの一撃が、空振りする。



「……っ!」



 古剣を振り切り、無防備な姿勢になったシェルミアの目の前で、ゴーダが刀を振り上げた。


 あお一閃いっせんが走り、蒼鬼の研ぎ澄まされた刃が、シェルミアの兜をまっぷたつに斬り割った。



「魔法に頼ることが、我が魔剣ではない。盾を不要とする“見切り”と“剣術”に、魔法を添えてこその、我が魔剣よ」



 兜を割られた衝撃に、シェルミアがふらりと後ろに歩を下げた。



「シェルミア様!」



 それまで黙って一騎打ちを見守っていたエレンローズが、思わず声を上げた。



「……大丈夫です、エレンローズ。兜を飛ばされただけです」



 兜を割られ、あらわになったシェルミアの顔には、傷ひとつ付いていなかった。



「……兜だけを?」



 シェルミアがそのあおい目をゴーダに向けながら尋ねた。



「先ほどの礼だ。加減するのはこれきりと思え」



 シェルミアの剣は見切った。見切ったが……あの古剣には、それだけではまだ届き切らない何かがある。ゴーダはそう考えていた。


 ゴーダの言葉を聞いたシェルミアの瞳に、わずかに怒りの灯がともったのがゴーダには見えた。


 次の一撃は、少々手痛いかもしれんな――ゴーダの脳裏に、そんな言葉がかすめる。



「……もう、器用な調整はできません、ゴーダ卿……恨むなら、先ほどの一撃で決着をつけなかった、貴方あなたの選択の甘さを恨んでください」



 シェルミアがこれまでにない闘気をほとばしらせ、一気に距離を詰めた。片手剣の連撃がゴーダに迫る。


 シェルミアの無数の斬撃を受け続けるゴーダには、まるで自分のことのように、シェルミアの呼吸を読みとることができた。



「(次は突き……)」



 シェルミアが突きを放ち、ゴーダが刀でそれを横に払う。



「(次は盾押し……)」



 シェルミアが盾を突き出し突進をかけ、ゴーダは軸をずらしてそれを受け流す。



「(そして次は横払い……そこが狙い目だ)」



 ゴーダの見切り通り、シェルミアが盾の陰から横払いを放った。



「――“魔剣二式:霞流かすみながし”」



 ゴーダの足下の地面がぐにゃりとゆがみ、引き延ばされる。それとともにゴーダの身体も後方に瞬間移動した。シェルミアの剣が、ゴーダの鼻先を空ぶるのが、集中し切っているゴーダにはゆっくりと見えた。


 瞬間的に自分の周囲の空間をゆがめ、紙一重でかわした後に、元いた場所に再転位し、攻撃動作直後のすきをつく。回避と切り返しに特化した、単騎戦専用の魔剣である。


 シェルミアが、ゴーダをかすめた横払いを振り切る――。



「――“運命剣”」



 振り切るはずの横払いが、不自然な挙動でぴたっと止まり――そこから突きへと変化した。



「む……っ!?」



 シェルミアの鋭い突きが、ゴーダの左肩に突き刺さる。シェルミアはそのまま剣を斜め上に振り上げ、ゴーダの左肩を斬り裂きながら、ゴーダの兜をかち上げた。


 ゴーダの兜が吹き飛び、放物線を描いて平原に落下する。


 ゴーダの左腕は、だらんとぶら下げられ、刀を握っているのは右手だけとなった。



「……まさか、1人の人間に、我が魔剣の型を2つも破られるとは思わなかったぞ……」



 ゴーダの左腕を覆う甲冑かっちゅうの表面に、紫色の血がだらだらと伝い流れていく。



「これでもまだ、負けを認めていただくわけには参りませんか」



 シェルミアが古剣をさっと振り、刃に付いた血糊ちのりを払った。



「……刀を持っているうちは、負けたうちには入らんよ」



 ゴーダが右腕だけで刀を構え直す。



「……ベルクト」



 ゴーダが背後に目をやった。



「はい」



 ベルクトが感情を押し殺した声で応えた。



「手出し無用と言ったな?」



「……もちろんです」



「なら、柄にかけているその手を離せ……さやから刃がのぞいているぞ」



「……。……承知、いたしました」



 ゴーダの背後で、刀がさやに収まるカチンという音がした。


 ゴーダがシェルミアの方に目を向け直す。



「シェルミア殿……貴公、どうやら見えているな? 私の剣の軌道がではない……。一瞬先の未来が。信じられんことだが、先ほどの貴公の剣の軌跡は、そうでもなければ成り立たん不自然さだった」



 両者とも兜を失い、直接目を見て相手に語りかけている。ゴーダがその問いを投げかけると、シェルミアは一瞬だけ、ゴーダの視線から目を離した。どうやらこの女は、誤魔化ごまかすのが得意な方ではないようだなというのが、ゴーダの印象だった。



「……正確には少し違いますが、おおむねそういった理解で間違ってはいません」



「私が貴公に勝てんというのは、それが理由か」



「そういうことです」



「なるほど……」



 一瞬先の未来を見ている。それはゴーダの見切りの、更に一手先を行っていることを意味する。



「(勝ち目はないか……かもしれん……だが)」



 ゴーダは考えを巡らせながら、自分に言い聞かせる。



「(まだ負けを認めるには早い。可能性があるとすれば、『どれだけ先が見えているのか』ということだが……)」



 ゴーダとシェルミアは互いの距離を一定に保ったまま、ジリジリと左右に歩を運んでいる。


 その間にも、ゴーダは次の有効な手を考え続けていた。


 考えて、考えて、考えて考えて……そしてゴーダは、考えるのをやめて、口元をニヤリとり上げた。



「(……無粋だ……。こんなことは幾ら事前に策を練ろうが無意味。ならば、全力で臨むのみよ)」



 ゴーダがぴたりと足を止める。



「シェルミア殿。互いにそろそろ消耗してきたな……次で正真正銘、決着といこう」



 シェルミアの方も、呼吸をするのに肩を上下させるようになってきていた。



「……次で貴方あなたの戦意を折ってみせます、ゴーダ卿」



 集中し、凝縮された時間の中で、すべてが静止する。


 ゴーダが、無事な右手1本で刀を真っぐに構え持つ。


 シェルミアが、再び古剣を顔の前に掲げ持つ奇妙な型をとる。


 静止した世界の中で、ゴーダの左手から血が1滴したたり落ち、葉が揺れ、世界が再び動き出す。



「――参る!」



 最初に踏み込んだのは、ゴーダだった。右腕のみで、それでも全く衰えない速度で、刀を振り上げる。


 その様を見ているシェルミアの目は、冷静だった。



「――“運命剣”」




 ――……。


 3度目の、古剣の鼓動を感じた。シェルミアの体感時間が、極限まで押し潰され、それは限りなく停止に近づいていく。


 そしてシェルミアの目は現在という時間から逸脱し、視界の先に広がるのは、無数の可能性に分岐する万華鏡のような像となる。


 1つの像は、シェルミアが首から血を流し、平原にたおれる像だった。



 ――いいえ、これではない。



 1つの像は、ゴーダの首が飛び、紫の返り血を浴びているシェルミアの像だった。



 ――いいえ、これでもない。私が望む未来は――。



 そしてシェルミアは、無数の万華鏡の片隅に、望む可能性を見いだした。


 その像には、シェルミアがゴーダの刀をはじき飛ばす像が映し出されていた。



 ――ええ、そう。それが、私が望む未来。



 無数の可能性をはらんだ未来が、シェルミアの古剣“運命剣リーム”によって、選択された結末へ向け、収束を開始する。


 ……――。




 ゴーダが振り上げた一太刀に、完璧に呼吸を合わせて、シェルミアが突きを放つ。


 2本の剣が激しくぶつかり合いながら交差し、つばがかち合った。


 その瞬間にシェルミアが腕をしならせ、ゴーダの刀を古剣で絡め取り、跳ね上げた。


 右手だけで支えられていた蒼鬼がはじけ飛び、回転しながら宙を舞う。



 ――これが、私が選択した未来。貴方あなたの負けです。ゴーダ卿――。



 それが、“運命剣リーム”の力であった。そしてそれが、“運命剣リーム”の、力の限界であった。



「――“魔剣四式:虚渡うつろわたり”」



 それが、ゴーダがシェルミア戦で使用した、3つ目の魔剣である。


 宙にはじけ飛んだ蒼鬼が、空中から消失する。


 そしてシェルミアは目撃した――消失した蒼鬼が、ゴーダのさやの中に転位する瞬間を。


 シェルミアが、跳ね上げた剣を一転して振り下ろす。


 それと同時に、ゴーダが鬼気迫る闘気をまとって、蒼鬼を抜刀する。シェルミアのそれをはるかに上回る初速と加速で居合い抜かれた蒼鬼の一閃いっせんが、振り下ろされる運命剣リームの速度に追いつき、上回り――。



「……っ!」



「くっ……!」



 ――兜を失った両者の首元に、互いの剣がつきつけられたのは、まったくの同時であった。


 ゴーダの首元から、うっすらと血がにじみ出る。


 シェルミアの首元には、傷ひとつなく、ただその皮膚に、蒼石鋼の冷たさだけがあった。


 シェルミアは、首筋に冷や汗が流れるのを感じた。



 ――追いつかれた……。私が選択した未来に……。



 そして、ゴーダが刀を下げた。


 一瞬、呆然ぼうぜんとしていたシェルミアだったが、ゴーダが刀を下げたのを認めると、自らの剣も下げた。



「……好きにするがいい」



 ゴーダが刀をさやに収めながらつぶやいた。その顔からは鬼気迫る闘気は消えており、代わりに何かに納得したような潔さが浮かんでいた。



「え……?」



 まだ動揺を拭いきれていないシェルミアが、状況を理解できずに声を漏らした。



「この一騎打ち、貴公の勝ちだ、“明星みょうじょうのシェルミア”よ」



 ゴーダが身を翻し、ベルクトの方へと歩き始める。



「私は首が飛ばずに済んだだけマシだった。……それにどうやら、貴公のその古剣に届き得たようだ。2つも拾い物があれば、満足だ、文句はない」



 騎馬にまたがったゴーダが、シェルミアたちには目もくれず、ベルクトに声をかける。



「戻るぞ、ベルクト」



 ベルクトが騎上のゴーダを見上げた。



「……よろしいのですか?」



 その段になって、ゴーダがまだ呆然ぼうぜんとしているシェルミアに目を向けた。



「二言はないのだろう、シェルミア殿?」



「……え? え、ええ……もちろんです、それは誓って」



 そこではっと我に返ったシェルミアが、慌ててゴーダに応えた。



「だそうだ、ベルクト。ならば我らは静観していよう。亡骸なきがらを回収次第、即刻引き上げるのだぞ……」



 それだけ言うと、ゴーダとベルクトは騎馬を走らせ、イヅの城塞へと引き上げていった。



***



 イヅの平原のただ中にいるのは、明けの国の銀の騎士、シェルミア・ロラン・エレンローズの3人のみとなった。



「シェルミア様! お怪我けがはありませんか!?」



 エレンローズが自分の兜を投げ捨てて、慌てた様子でシェルミアに駆け寄った。そうしたい衝動を、一騎打ちの間ずっと堪えていたようだった。



「……私は問題ありません、大丈夫ですよ、エレンローズ」



 シェルミアがエレンローズに応える。


 エレンローズもまた、シェルミアと同じく、女騎士だった。兜を外したその素顔は、銀の髪と灰色の瞳をしていて、髪は短く切りそろえられていた。



「よ、よかったぁ……本当に、本当に心配しました、シェルミア様ぁ……」



 エレンローズがその場にへなへなとくず折れた。当事者のシェルミア以上に、神経を張りつめさせていた様子だった。



「エ、エレン姉様、落ち着いて」



 もう1人の銀の騎士、ロランも兜を外して、エレンローズに歩み寄る。ロランは男の騎士であったが、その顔の造形は、髪型も含めてエレンローズとうり二つだった。


 ロランが肩を貸し、エレンローズを立ち上がらせている横で、シェルミアはようやく状況を整理できた様子を見せる。



「私は……“運命剣”まで使って、あの剣士と互角以下だった……首が飛ばずに済んだのは、私の方だ……」



「シェルミア様?」



 ロランに支えられているエレンローズが、ぶつぶつと独り言をつぶやいているシェルミアに声をかけた。



「どうかされましたか?」



「……いえ、大丈夫、何でもありません……遺体の回収作業に移ります。1度本隊に戻りますよ、2人とも」





***



 その後、国境線上に展開していた明けの国5000の兵のうち、500ほどが国境を越えてイヅの平原に入り、先の戦闘で戦死したデミロフたちの亡骸なきがらを回収していった。


 国境線を越えるに当たって、“明星みょうじょうのシェルミア”は、自身も含め、イヅの平原に立ち入る騎士たちに、帯剣を決して許可しなかったという。

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