4-1 : “火の粉のガラン”

 結局それから、リザリア陛下の開いたうたげは3日3晩続き、私たちが帰路に就いたのは4日目の夜だった。


 魔族の屈強な肉体はそれでも疲労というものを感じないのだが、私の精神は睡眠を欲していた。人の形の魂を持つが故の宿命、といえば多少は格好よく聞こえるが、要は頑丈すぎる肉体に振り回されて精神がヘトヘトになっているのだ。


 ど○でもドア的な、空間を飛び越える次元魔法“魔剣三式:神道開かみじびらき”によって、淵王城からイヅの城塞に転位した私は、真っ先に私室のベッドに向かって歩を進めた。眠い。眠すぎる。



「! ゴーダ様、いつお戻りに?」



 私室へとつながる扉しか目に入っていなかった私の耳に、ベルクトの声が聞こえてきた。



「あ、ああ、ベルクト。たった今戻ったところだ」



「左様ですか。淵王陛下への謁見、少々長引いたようですね」



 ベルクトは4日前と変わらず、落ち着き払った態度をしている。この4日間の私の代理も、きっとそつなくこなしたのだろう。私にはもったいない優秀な部下だ。



「そうだな……思いのほか、陛下に歓待されてな。絡み酒のローマリアにやたら絡まれるわ、泣き上戸のリンゲルトは前にも増して涙腺が緩くなっているわ、カースのやつは酒が入ると余計に黙り込んで存在感がなくなるわ、騒がしい集まりだった……」



「お疲れさまでした。……刀をお持ちしましょう」



 そう言うと、ベルクトは私に歩み寄り、両手を差し出した。どうやら睡眠欲にかられていた私は、刀をひどく重たげに帯刀していたようだ。私もまだまだ修練不足ということか……。しかしそんな細やかな気配りができるとは、すばらしいぞベルクト。つくづく私にはもったいない部下だよ!



「すまんな……頼む」



 私は一言そう言って、ベルクトに刀を預けた。



「私が不在の間、特に問題はなかったようだな」



「はい、明けの国にも動きは見られません。……お疲れの御様子です、ゴーダ様。今宵こよいはもうお休みになられた方がよろしいかと」



 私よりも頭ひとつ分背の低いベルクトが、甲冑かっちゅう越しに私を見上げながら言った。



「悪いが、そうさせてもらうとしよう。明日からは私も復帰する」



 私は再び、私室への扉に向かって歩き出す。


 と、そこで背後に視線を感じて、私は振り返った。


 ベルクトが、私の預けた刀を持ったまま、こちらを見ていた。相変わらずの全身甲冑かっちゅう姿のため、どんな表情で私の方を見ているのかは全く分からないのだが。



「どうした?」



 睡魔で頭が回らない私は、少々間の抜けた尋ね方をする。



「……いえ、何でもありません」



 ベルクトが、少し低いトーンで一言だけ口にした。



「? そうか……では明日からもよろしく頼むぞ、ベルクト」



「お休みなさいませ、ゴーダ様」



 私室に1人きりとなり、甲冑かっちゅうを放り投げるように脱いで、私はベッドに倒れ込み、そのまま急速に深い眠りの中に沈んでいった。


 意識が溶ける直前、私は何かを忘れているような思いに駆られたのだが、次の瞬間には泥のように眠り込んでいた。



***





「ガーハッハッハ! ベル公! 起きんかい! ベール公ーやーい!」



 城塞の通路を木霊こだまし、何枚もの扉を突き抜けて、けたたましい声が耳に届き、私はベッドの上に飛び起きた。


 続いて、遠くで扉をたたくドンドンという音が聞こえてくる。私のいる部屋の扉をたたいているわけでもないのに、眠気が吹き飛ぶうるささだ。扉が壊れてしまうぞ。


 その朝っぱらから容赦のない豪快さを振りまく人物に、私は心当たりがありすぎて、思わず眉間に指を当ててうなり声を上げた。



「ガラン……また何か悪巧わるだくみでも思いついたか……」



 私はベッドから降り、通路に続く扉をわずかに開けて、ガランの大声を聞き取りやすくする。



「……ガラン殿、どうされましたか」



 ガランの声に混じって、小さいがベルクトの声が聞こえてきた。


 私はじっと耳を澄まして、2人の会話を盗み聞きする。



「おう、ベル公や! ちょいと入り用での、この申請書にもハンコを押してくれんかの!」



「昨日も申しましたが、これ以上の予算の承認はできかねます」



「ケチケチするんじゃないわい! のぉー、頼むー、ベル公やー。これで最後じゃからー」



「……全く同じ言葉を昨日と一昨日にも聞きましたが」



「そうじゃったか? まあまあ、昨日より今日、今日より明日、ゴーダがらん間に景気よく行こうではないか! な? な?」



「いえ、ですから――」



「もぉー、しょうがないのー! ならまた、ゴーダがぺーぺーだった頃の昔話をしてやるわい。とっておきのやつをな!」



 ……なるほど。どうやらガランのやつは、私が不在の間に、私がベルクトに預けていた承認印を使って、予算を持って行こうとしていたらしいな。いや、あの話しぶりからすると、既に幾らか持って出た後ということか。


 ガランは昨日の夜に私が城塞に戻ってきたことを知らないようだ。どれ、おきゅうを据えるついでに、少し驚かせてやるとするか。



***





「ガラン殿、私は承認印を持っておりませんので、押そうにも押せないのですが……」



 大声でわめき散らすガランに、ベルクトが淡々と告げる。



「なにをぅ!? ベル公、お主、昨日までゴーダのハンコを持っておったじゃろうが! 今更とぼけても無駄じゃぞ!」



 ガランが一層勢いを増してベルクトにつっかかる。



「ですから、その……あ……」



 私室を抜け、わめき立てているガランの背後に忍び足で近づいていた私に気づき、ベルクトが声を漏らした。



後生ごしょうじゃ! ベル公! お主でなければ! お主でなければ無理なんじゃ! ゴーダがらん今しかないんじゃ! ケチんぼのゴーダじゃ、絶対ハンコを押してくれんからのう……」



「ケチで悪かったな、ガラン」



 私の声を背後に聞いて、先ほどまで地団駄を踏む勢いだったガランが、ぴたっと停止した。ガランの首筋に汗が流れたのが、この位置からだとよく分かる。



「……あ、あれぇー……? 何でゴーダの声がするんじゃあ……?」



 凍りついているガランは、こちらを振り返りもしない。額に冷や汗が浮かんでいるのが、容易に想像できた。



「昨日の夜に戻った。残念ながら幻聴ではないぞ」



 ガランが観念して、ぎこちない動きで私の方を振り向く。



「……そうじゃよなぁ……。とほほ……」



 ガランががっくりと肩を落とす。褐色かっしょくの肌に、着崩した羽織はおり姿。毛先も整えずばっさりと切り落とした短い髪の毛を、頭の後ろでまとめているだけの適当な髪型。そして、額から申し訳なさそうにちょこんと伸びている、小さく短い2本の角。


 いつものことながら、だらしない。全くだらしがないぞ、ガラン……へそも、太股ふとももも、胸の谷間も、露出しすぎだ……目のやり場に困る……。



「お前が探しているのは、これか?」



 そう言って私は、イヅの騎兵隊の紋章(2本の剣がそれぞれ切っ先を正反対の方向に突き出している形。要は城塞の定時である“6時”を象徴している紋章である)が彫り込まれた承認印を取り出した。



「これを押してほしいのか、ガランよ?」



「お、おお! それじゃ! それじゃ! それを押してくれると、ワシはすごうれしいのぉ!」



 ガランが私の顔を、ちらちらと上目遣いで見てくる。



「それでは、その書類を見せてみなさい」



 私はガランが小脇こわきに抱えていた、予算の申請書類を検分する。



「ふむ……『作業場面積の倍増』?……却下。どれどれ……『炉の増設』?……却下。なになに……『鉱山の買い取り』?……却下。却下。却下」



「だあー! もういいわい! どうせ全部却下するんじゃろ!? ケチんぼめ!」



 しびれを切らしたガランが地団駄を踏み、私の手から書類をひったくろうと手を伸ばしてきた。私はそれをかわし、とりあえずすべての書類に目を通す。



「まあ待て、ガラン。もしかすると有意義で現実的な申請があるかもしれないぞ?」



「な、何? ほんとかの?」



 ガランが表情を明るくした。



「……。……うむ、全部却下だな。予算が全く間に合わん」



 私は冷静な口調で決定を下した。



「あー! もう! ちょっとでも期待したワシがバカじゃったぁ……」



 ガランがしゅんと肩を落とす。


 しかし、そのうつむいたガランの口元が「まあいいか」といった様子でにやついているのを、私は見逃さなかった。



「ベルクト、ガランに何の予算を許可した?」



 私のその言葉に、ガランが「まずい」といった表情を浮かべる。全く分かりやすいやつである。



「はい、ゴーダ様が淵王城にたれた日に、“紫炎炭しえんたん”を炉に2杯分と、“不浄の泥”を大樽おおだるに1杯の予算について承認を。その2日後に、道具一式の新調費用についても承認いたしました」



 ベルクトがきびきびと報告する。


 当のガランは、私とベルクトのやりとりを見やりながら、口元に手を当てて、あわわと焦っている様子だった。



「ふむ……まあ、よかろう。ガラン相手にその程度の出費で抑えることができたのなら上出来だ」



 私の反応を見て、ガランがほっと胸をで下ろしている。せしめた予算で手に入れた備品を、没収されずに済みそうだと安堵あんどしているのだろう。



「……ガラン、ちょっとこっちに」



 私はガランを手招きした。



「? 何じゃ?」



 ガランが首をかしげる。



「ベルクトの話を聞いて、気が変わった。承認印を押してやろう」



「な、何!? ほんとか!?」



 ガランが無邪気な子供のように飛び上がった。



「ああ、押してやるから、もうちょっとこっちに来なさい」



「むふふー。どういう風の吹き回しじゃ? よく分からんが、今日は気前がいいではないか、ゴーダよ!」



 ガランが無防備に私の方へほいほいと近づいてきた。


 ポン。


 そして私は承認印を押した。



「のわー! 何すんじゃー!」



 額に承認印を押されたガランが、驚いて声を上げた。



「ちょっとは反省しなさい!」



 無駄遣いはいけません!



***



 朝っぱらからの一騒動は、お仕置きのオデコハンコで決着を見た。額にマジックで“肉”と書かれなかっただけ、ありがたく思えよ、ガラン。


 承認印を押された額を手で隠しながら、ガランが持ち場へと戻っていく。


 と、ふいにガランが、何かを思い出したように立ち止まり、私の方を振り返った。



「そうじゃ、ゴーダよ、あとでワシんとこに来い。見せたい物があるんじゃ」



「承認印を持って行くか?」



「んべー! もういらんわい! そんなもん!」



 舌を出して悪態をつき、ガランの姿は通路の曲がり角に消えた。


 ベルクトの寝室の前にいるのは、私とベルクトだけになった。



「さてと……豪快な目覚ましだったな。私は執務室へ戻る」



「承知いたしました」



 早朝からすでに甲冑かっちゅうでその身を完全に包んでいるベルクトが、いつもよりも物静かに言った。まだ目が覚めきっていないのだろう。


 私はベルクトを残して、執務室へ歩を進めた。


 と、そこで背中に視線を感じた。そういえば、昨夜城塞に戻ってきたときにもその視線を感じたのだったと、私は思い出す。


 振り返ると、やはり昨夜と同じように、ベルクトがこちらを見ていた。



「? どうかしたのか、ベルクト?」



「……いえ……なんでもありません。失礼しました」



 それだけ言うと、ベルクトはきびすを返し、自室に戻っていった。

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