1-2 : “魔剣のゴーダ”

 両陣営の大将のかけ声に合わせ、戦端が開かれる。


 兵力50のイヅの騎兵隊と、兵力200の明けの国騎士団が、黒い塊と銀色の塊となって、地鳴りをとどろかせながら大平原を駆ける。


 両者の前衛がぶつかるより先に届くのは、明けの国騎士団の弓隊の放った矢である。矢の激しい風切り音が、イヅの騎兵隊たちの耳元をかすめる。矢の直撃を受けた漆黒の騎士の何人かは、その堅牢けんろうな全身甲冑かっちゅうでもってひるまず前進を続けたが、数人の漆黒の騎士は甲冑かっちゅうの隙間に矢が当たり、その場に倒れた。


 矢の雨をかいくぐり、イヅの騎兵隊の刀の間合いまであと1歩というところで延びてくるのは、明けの国の槍隊の長槍である。躊躇ちゅうちょなく水平に突き出される槍の前に、更に数人の漆黒の騎士が倒れる。槍が脚をかすめ、体勢を崩して転倒したところに追い打ちをかけられる者。槍の直撃に甲冑かっちゅうを貫かれ、宙にられたところに更に数本の槍の追い打ちで串刺しにされる者。


 刀の間合いがようやく届く距離になった頃には、イヅの騎兵隊はその兵力の5分の1を失っていた。


 彼我兵力差は1対5となり、イヅの騎兵隊の圧倒的不利となったが、接近戦に持ち込んでからの戦況は様変わりする。


 盾を持たないイヅの騎兵隊は、近接戦での機動力において明けの国の騎士のそれをはるかに上回っていた。加えてその特徴的な刀の切れ味はすさまじく、間合いを詰められた弓兵と槍兵は得物を切り替える暇も与えられず斬り倒されていった。


 重装備と物量で畳みかける明けの国騎士団と、機動力と技量で翻弄するイヅの騎兵隊。近接戦になってからの攻防は、デミロフの予想に反して一進一退の混戦となった。



「さすがに一筋縄ではいかぬか。盾すら持たず、面妖な片刃の剣1本での奮闘振り。うわさたがわん」



 デミロフが賞賛混じりの言葉を漏らす。



「それは恐れ入る。貴公のその言葉、あとで皆に伝えるとしよう」



 落ち着き払った声音でゴーダが返す。


 混戦状態の戦場の中、デミロフとゴーダはそれぞれメイスと刀を構えた姿勢のまま、ジリジリと互いの間合いを読み合っている。大将2人に手を出す無粋な兵はどちらの陣営にもいなかった。特にイヅの騎兵隊側は大将首に全く関心がない様子で、時折ゴーダに近づこうとする明けの国の騎士を目にめるや、最優先にその騎士に刃を向けるだけだった。



「『あとで皆に伝える』か。大層な余裕であるな、大将殿」



 デミロフは右手にメイスを持ち、左手に持った大きな盾を前面に構えて、少しずつ距離を詰めてきている。



「そういう貴公は随分と緊張しているようだな? それだけの重装で身を固めておいて、まだ不安と見えるが?」



 ゴーダは顔の横に刀を構え持ち、その切っ先をデミロフに向けたまま、じっと相手の動きを見ている。



「……不安だと? これは慎重というのだよ……!」



 目測で、ゴーダを間合いに捉えたと見るや、デミロフはそれまでの鈍重な動きから一転して、一気に前に飛び出し、メイスを振り下ろした。ゴーダはその一撃を紙一重でひらりと横にかわす。空を切ったメイスがずどんと鈍い音を立て、地面に大きな打撃痕を作る。


 ゴーダがそのすきを突いて、デミロフに向かって刀を振った。



「ふんっ」



 デミロフのりきみの声が漏れ、盾の動作がゴーダの斬撃に間に合う。ギィンという金属同士のぶつかり合う乱暴な音が響く。



「ほう」



 手に伝わってくる衝撃を受け止めながら、ゴーダが感心した声を出す。


 一閃いっせんの攻防のあと、デミロフとゴーダは再び距離を取った。



「力任せの重装騎士とばかり思っていたが、存外よい動きをする。それに――」



 ゴーダが自分の刀を見やる。



「貴公のその装備一揃ひとそろい、妙な作りをしているな?」



 先ほどデミロフの盾に一撃を放ったゴーダの刀は、刃がぼろぼろに刃こぼれしていた。



「ふん、その奇妙な刃、どれほどの切れ味か測りかねていたが――」



 デミロフが口を開く。そこには勝ち誇ったような声音が混じっていた。



「この蒼石鋼あおいしはがねの前には、その刃は通らんようだな」



蒼石鋼あおいしはがね……超高硬度鋼か。また随分と高価な装備をしつらえたものだ……」



 ゴーダがあきれた声を出す。



「その装備につぎ込んだ分の資材を、部隊全隊に回しておけば、兵力を2割は底上げできたものを」



「だがその資材を1人の装備につぎ込むことで、この圧倒的な優位性を得ることができる」



 もはや怖いもの無しと踏んだデミロフは、盾を背中に回し、メイスを両手持ちに切り替えた。かけ声とともに、デミロフがゴーダに飛びかかる。


 両手持ちとなったメイスの圧は、先ほどの比ではなかった。紙一重でメイスの打撃をかわすゴーダの耳に、メイスが空を切るぶおんという豪快な音が、絶えず聞こえてくる。



「どっせい!」



 勢いづいたデミロフの、とりわけ大きな一撃が地面に突き刺さる。その大きな動作のすきをつき、ゴーダが刃こぼれした刀でデミロフの兜の首元に斬撃を放った。


 ガインという甲高く不快な音。そしてデミロフの調子づいた声。



「ふはは! そんななまくらでは、この甲冑かっちゅうに傷もつかぬわ!」



 再びメイスの一撃がゴーダを襲う。斬撃を放った直後の姿勢ではメイスをかわすことができず、ゴーダはたまらず刀でメイスを受けた。


 デミロフの盾と甲冑かっちゅうと同じく、そのメイスも蒼石鋼あおいしはがね製である。その他を圧倒する硬さの一撃を、ゴーダの刀は受けきれない。


 バキンと鈍い音を立て、ゴーダの刀が真っ二つに折れた。受け漏らした衝撃がゴーダを襲い、その身体を数メートル後方に吹き飛ばす。



「イヅの騎兵隊大将、敗れたり!」



 我勝利を得たりと、デミロフが勝ち誇った声を上げた。



***



 デミロフ優勢の一騎打ちに鼓舞されたのか、混戦状態となっていた周囲の状況も、次第に数で勝る明けの国騎士団がイヅの騎兵隊を押し負かす様相を呈してきていた。



「『イヅの騎兵隊は宵の国一の猛者もさ』と文献に伝え聞いていたが、この程度であったか! 恐るるに足らぬ!」



 高揚したデミロフが早口にまくし立てる。



「……そうか。明けの国ではそう伝えられているのか。故人は事物を正確に書き残していたというわけだな」



 ゴーダが落ち着き払った声音で、立ち上がりながらつぶやく。



「何を?」



 デミロフがいぶかしげに言う。



「ベルクト!」



 ゴーダはデミロフを無視して、視線を横にやり、戦場に向かって騎士の名を呼んだ。



「は」



 どうやって戦場をすり抜けてきたのか、ベルクトがゴーダのそばにさっと姿を現す。



「今は何刻なんどきか?」



 ベルクトが腰につるした懐中時計の蓋を開け、文字盤を確認する。



「5の刻、4つ分けの2(午後5時30分)ちょうどにございます」



「よろしい、十分だ」



 ベルクトを見やりながら、ゴーダが続ける。



「ベルクト、自前の刀が折れてしまった。お前のを貸してくれ」



「承知いたしました」



 ベルクトが滑らかな動作で、手にしていた抜き身の刀をさやに収め、さやごとゴーダに手渡した。



「御武運を」



「すまんな」



 ベルクトから刀を受け取りながら、ゴーダがねぎらうように言う。



「いえ――」



 ベルクトが謙遜けんそんした様子で応える。


 次の瞬間、ベルクトの背中めがけて明けの国の騎士がロングソードで斬りかかってきた。


 ベルクトは背後も振り返らず、素早い身のこなしでロングソードの一撃をかわす。そのままひょうのようにしなやかな動きで宙返り・逆立ち・転身と、およそ甲冑かっちゅうを着込んでいるとは思えない曲芸じみた動きで間合いを取ったかと思うと、呆気あっけに取れられている明けの国の騎士の側頭部めがけて、間髪入れずに回し蹴りをたたき込んだ。脳震盪のうしんとうを起こした明けの国の騎士がその場に倒れ込む。



「――別段、問題はありません」



 ベルクトが涼しい声で言葉を継いだ。



***





「デミロフ殿、貴公の国の文献には『イヅの騎兵隊は宵の国一の猛者もさ』とあると言ったな?」



 ベルクトから受け取った刀を片手に、ゴーダがデミロフに向き直る。



「その通りだ。我らこそ、魔族領を統治なされる“淵王”陛下に仕える“四大主”、その最強の軍勢である。申し遅れた。我が名はゴーダ。暗黒騎士ゴーダ。“魔剣”の異名を頂く、東方の護り、”イヅの騎兵隊”総隊長である」



 明けの国優勢の状況下にあって、ゴーダのその堂々とした態度は、デミロフに少なからぬプレッシャーを与えていた。デミロフは兜の下で、顔の上を汗が伝わっていくのを感じた。



「愚かなり……。なまくらを持ち替えたところで、そちらの“魔剣”とやらはこの蒼石鋼あおいしはがねの前には無力であると、それが分からぬわけではあるまい、ゴーダ卿」



 デミロフが負けじと声を張り上げる。



「確かにその通り。我らの刀では、その蒼石鋼あおいしはがねは貫けん」



 ゴーダがさやに収まったままの刀の柄に手をかける。そのまま腰を落とし、抜刀の構えを見せる。



「……だが、貴公の首を取るのに、その兜を割る必要はない」



 ゴーダからほとばしる闘気に、デミロフは思わず固唾を飲み込む。



「血迷ったか、ゴーダ卿――」



「デミロフ殿、貴公の勇猛振り、見事だった。最大限の敬意を表して、我が魔剣の神髄をお見せしよう――」



 そしてゴーダが、デミロフに告げる。



「――貴公にとって、次が今生こんじょう最後の一撃だ。悔いのないよう、全身全霊でのぞむがいい」



 空気がぴんと張りつめた。デミロフは、ゴーダの言葉に自身が気圧けおされかけていることを自覚する。そしてそれとは別に、武人の血がたぎる感覚も覚えていた。これまで味わったことのないほどの興奮が、身体からだ中を駆け巡る。



「……よろしい」



 両手持ちのメイスを振り上げ、デミロフが武人の咆哮ほうこうを上げる。



「いざ、尋常に勝負!」



 デミロフが猛烈な勢いで突進をかけ、ゴーダとの距離を一気に詰める。対するゴーダは、抜刀の構えのまま動かない。静かに整った呼吸を繰り返し、突進してくるデミロフの姿を、まばたきもせず見据えている。その刀は依然としてさやに収まったままである。


 ゴーダをメイスの間合いに捉えたデミロフが、両腕にあらん限りの力を込めて、全力の一撃を振り下ろす。その瞬間、デミロフの脳裏に勝利がかすめ――。



「――“魔剣一式:冑通かぶとどおし”」



 刹那の接触のあと、沈黙が降りた。


 デミロフの渾身こんしんの一撃は空を切り、メイスの先端が地面にめり込んでいる。


 ゴーダはデミロフの背後に立っていた。その刀はいつの間にか抜刀されていて、その刃にはわずかに血糊ちのりが張り付いている。


 デミロフの蒼石鋼あおいしはがね甲冑かっちゅうには、傷ひとつついていない。


 ゴーダが刀を素早くさっと振り、血糊ちのりを飛ばす。刀身をさやに収め、カチンという小気味のよい金属音を立てる。


 対するデミロフは、メイスを地面にめり込ませた姿勢のまま動かない。


 やがて、デミロフの甲冑かっちゅうの隙間という隙間から、ドロドロと赤黒い血があふれ出した。その血はとどまることを知らず流れ続け、あっという間にデミロフの足下に大きく深い血まりを作った。


 ゴーダはデミロフの方へは振り向かず、懐中時計を手に取り、蓋を開けて文字盤を確かめる。



「5の刻、4つ分けの3(午後5時45分)。残業は無しだ」



 デミロフの亡骸なきがらの横を素通りして、暗黒騎士“魔剣のゴーダ”は城塞へと引き上げていった。

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