2-1 : 暗黒騎士かく語りき(1/3)

 魔族領“宵の国”、東方国境地帯、“イヅの騎兵隊” 対 デミロフ率いる“明けの国”騎士団。


 “イヅの大平原戦”戦果。


 イヅの騎兵隊、総兵力53。死者0。負傷兵18。


 明けの国騎士団。総兵力205。死者120。負傷兵40。


 明けの国騎士団、大将デミロフの戦死により戦意喪失し、敗走。死者の過半数が、敗走の際にイヅの騎兵隊のしかけた掃討戦による犠牲であった。


 イヅの騎兵隊、負傷兵全兵、“自力”で城塞へ帰還。騎兵隊の人的損害、ごく軽微。装備品の損害、複数あり。城塞内工房にて新製・修繕が急がれる。



「報告は以上です」



 羊皮紙のメモを読みながら、ベルクトが告げる。



「御苦労」



 甲冑かっちゅうを着たままのゴーダが応える。



「皆によくやったと伝えてくれ。十分に休息を取るようにとも」



「承知いたしました」



 ベルクトがくるりと後ろを振り返り、扉に手をかける。



「待て、ベルクト」



 部屋から出ていこうとしていたベルクトの背中を、ゴーダが呼び止める。



「これを返し忘れるところだった」



 ゴーダに呼び止められたベルクトが、さっと振り返る。ゴーダが椅子から立ち上がり、ベルクトの前に歩み寄る。ゴーダが上げた右腕には、先の戦闘でデミロフに引導を渡したベルクトの刀が握られていた。



「……これは?」



 ベルクトが不思議そうな声を出す。



「何を言っている。お前の刀だろう。いつまでも私が持っているわけにもいかん。先ほどは助かった。礼を言う」



 ゴーダがさやに収まった刀をベルクトに差し出す。



「……。いえ、それはゴーダ様がお持ち下さい」



 わずかの間があってから、ベルクトが首を横に振った。ゴーダの言っていることが一瞬理解できなかったという様子だった。



「それはもう、ゴーダ様に差し上げたつもりでおりましたので」



「そういうわけにもいかん。ベルクト、お前はもう少し自分の持ち物に愛着を持ってやれ。幾ら同じように作られている物だとしてもな。戦場で命を預ける相棒だ、大切にしてやることだ」



 そう言って、ゴーダが刀を持った腕を更にぐいと前に出す。それに折れたベルクトが、両手を出し、刀を受け取った。



「……。そうですか。大切に、と。確かにそうかもしれません。承知いたしました」



 そう言って、ベルクトは自分の刀を両手で大切そうに抱え持った。



「それでは、私はこれにて」



「ゆっくり休むといい」



「ゴーダ様も、ご養生ください。失礼します」





***



 ……。


 ベルクトが部屋を去り、部屋の中は私1人になる。



「……ふぅー」



 私は全身の緊張をほぐすために大きなめ息を吐き出し、兜と甲冑かっちゅうを外す。



「……あーっ……っかれたあぁー……」



 私は身軽になった身体で、部屋の奥に歩いていく。



「デミロフ、相当な手練てだれだったなぁ……。蒼石鋼あおいしはがねの全身甲冑かっちゅうとか初めて見た。あれ硬すぎだろ……マジで洒落しゃれになってなかったわぁ……。てて、久しぶりに”魔剣”使ったから反動が来てるな……」



 独り言を漏らしながら、私は部屋の突き当たりにある扉に手をかける。そこから先が、私の“私室”だ。



「お言葉に甘えて、遠慮なく休ませてもらうよ」



 私室に入り、私は部屋のあかりをともす。


“箱”の“ボタン”を押し、1人掛けのソファに身体を預ける。


 フイーンという“ファン”の回る音がして、パラパラと“アクセスランプ”が点滅し始めた。


 そして目の前で“ディスプレイ”の光が青白く浮かび上がり、そこに“ようこそ”の4文字が現れ、“OS”が立ち上がる。


 そう。私の私室には、“ノートパソコン”があるのだ――。



***



 私がこの異世界に転生したのは、主観時間で400年前のことである。少し長くなるが、これまでの経緯を説明するとしよう。



***



 転生前の私は、現代日本の伊豆に住んでいた。人間だった頃の名は合田ごうだ竜矢りゅうやと言った。


 当時の私は20代の半ばで、いわゆるブラック企業に勤めていた。朝は早く、夜は遅く、休日は少なく、人手も少なく、多いのはノルマとストレスだけの、簡単に言ってしまえばそれだけの仕事である。そんな環境の中で、まともでいられるはずもなく、私の精神はすさまじい勢いですり減っていった。食事が喉を通らず、偏頭痛がいつまでっても取れない。そんな日々だった。


 そしてあるときを境にしてから、私の精神・意識に奇妙な変化が現れ始めた。今にして思えば、それが転生の(召還の)兆候だったのだ。


 最初の兆候は、目覚めた直後であるとか、極度に疲れているときに、時計の文字盤が表す意味を認識できなくなることに始まった。アナログ時計の短針と長針の成す角度が何を表しているのか、一瞬理解できなくなるのだ。次第にそれは、アナログ時計に限らず、デジタル時計の数字の意味が分からなくなるといった症状にまで悪化した。


 当時の私は、その原因不明の認識障害のような現象に恐怖を覚えて、少しでもその恐怖を抑え込もうと、その現象に“消失”という名前をつけた。


 “消失”は日に日にひどくなっていくばかりだった。


 ……信号が赤いときって、どうすればいいんだったっけ?


 ……漢字とアルファベットって、どうやったら見分けがつくんだっけ?


 ……紙に書いた“名前”っていう線が、“私”を表しているって、どういう意味だ?


 ……合田? ゴーダ? 何でみんな、その“音”を私に向かって繰り返し叫ぶんだ?


 そんな状態であったから、当然仕事もクビになった。それからは、たまにまともに戻る意識で“消失”の恐怖におびえながら日々を消費していた私だったが、ある日、とうとう、決定的な“消失”に襲われた。


 地面に立っているという感覚が、重力という認識が“消失”したのだ。


 自分の足で部屋の床の上に立っているということがどういうことなのか、それが分からなくなった私は、完全にパニックになって、部屋の外に飛び出した。そのままの勢いで、私は住んでいたマンションの屋上へ続く階段をわけもなく駆け上がった。階段を上ることで自分の身体がより高い場所へ移動していくという感覚や意味も理解できず、恐怖で頭がどうにかなりそうだったあの感覚は、転生して400年った今でも覚えている。


 そして屋上にたどり着いた私は、晴れた空を見上げて、自分の足が地面にではなく、天上の果てに張り巡らされた無色のガラスに張り付けられているような感覚に襲われた。今この両足から力を抜いてしまったら、あのどこまで続いているのかも分からない空の果てに“落下”してしまうと本気で思った。


 “落下”の恐怖で私は足を動かすことができなくなり、その場にしゃがみ込んでいつまでも震えていた。


 そして、それからどれだけの時間がったときか、私は唐突にすべてを受け入れた。この場合は諦めたといった方が正しいのかもしれない。もう疲れた、もうどうでもいいやと。


 そうして両足から力を抜いた私は、マンションの屋上から、本当に空に向かって“落下”したのだ。厳密に言うなら、私の“魂”と呼ばれる部分だけが“落下”していった。意識を失う直前に、はるか足下のマンションの屋上で、“私”が倒れている姿を、“私”は見たのだ。


 そして訳も分からないまま、次に意識が戻ったときには、この“宵の国”の住人、すなわち魔族として転生していたというわけである。

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