宵の国戦記(■旧題:最強の暗黒騎士は定時で帰りたい! )

長月東葭

第1部 : 「宵と明け」編

1-1 : “宵の国” と “明けの国”

 ――魔族領“よいの国”、東方国境地帯。


 遮蔽物しゃへいぶつのない広大な平原のただ中に、城壁を持たない城塞がぽつんと建っていた。その城塞の1室で、机に向かって何やら書き物をしている男がいる。


 羽根ペンを時折インク壺に浸しながら、男は羊皮紙に文字を書き連ねていく。椅子に座っている男は綿の袖長のシャツを着ていて、それをひじまでまくり上げている。


 上半身は涼しげな身なりをしている反面、下半身は重厚な鎧で覆われていた。


 男が筆を走らせている事務机の横にある、頑丈な物かけには、鎧の上半身一式と、顔をすっぽりと覆う兜がかけられている。それらは漆塗りのような深い黒色をしていて、鎧の所々にあしらわれた金色の紋様が、その男の地位の高さを表していた。


 男は人間でいうところの20代の後半にさしかかった顔つきをしている。肌は黄色みを帯びている。物書きに集中してその口は閉じられているが、時折思い出したように口が開き、そこから小さなめ息が漏れていた。


 コンコンと、部屋の扉を外からノックする音が聞こえた。



「開いている、入れ」



 男が走らせていたペンを机の上に置いた。



「失礼します」



 扉が開き、漆黒の鎧の騎士が1人、男の事務室に姿を現した。騎士は室内であるというのに、几帳面きちょうめんに兜で顔を覆い隠している。兜越しに聞こえてくる声音は、くぐもってはいるものの、声変わりもしていない少年のような声をしているのがはっきりと分かる。



「ベルクトか。どうした?」



「定刻になりましたので、監視の人員の交代を御報告に」



 机に座った男から、ベルクトと呼ばれた騎士が応える。



「ああ、そうか、もうそんな時間か」



 机の男が右手を腰の辺りに伸ばしながら言う。鎧の腰の装甲部分に鎖でつながれた懐中時計を手の感覚で探り当て、蓋を開けて文字盤を確かめる。



「はい。3の刻、4つ分けの1(午後3時15分)を過ぎています。ゴーダ様」



 ベルクトの鎧にも、机の男と同じ作りの懐中時計がつるされていた。自分の懐中時計の文字盤をのぞき込みながら、ベルクトがゴーダと呼んだ机の男に時刻を告げる。



「慣れないことをしていると、時間の感覚が狂うな」



 ゴーダが椅子に座ったまま、疲れたように肩と首を回すと、こきこきと凝り固まった音が聞こえた。



「重みのある剣を振るっているよりも、こんな軽いペンを持っている方が、よほど肩が凝る。笑える話だ」



「それはゴーダ様が武人であられるからでしょう」



「世辞がうまいな、ベルクト。そうでありたいものだ……。しかし、どこの世界にあっても、役職のつく者にはこういう仕事が回ってくるものなのだな……」



 机の上に広がった羊皮紙の束を見やりながら、ゴーダが苦々しくつぶやいた。



「? 何のお話でしょうか?」



「ただの独り言だ。気にするな」




***




 唐突に、ピィーッという甲高い笛の音が城塞中に鳴り渡った。当然、その笛の音はゴーダとベルクトの耳にも聞こえた。



「敵襲です」



 ベルクトが少年の声で冷静に告げた。



「そのようだな。また“明けの国”か……このところ多いな」



「監視の交代の最中でした。発見が少々遅れた可能性が」



「問題はなかろう。ここは大平原だ。少々発見が遅れたところで、大差はない」



 椅子から立ち上がりながらゴーダが言う。



「御指示を。ゴーダ様」



「各自、帯刀し戦闘準備。城塞正門にて待機せよ」



「承知しました」



 ベルクトに指示を伝えながら、ゴーダがまくり上げたシャツの袖を戻し、物かけにかけられた鎧の方へ歩いていく。


 その姿を見やりながら、ベルクトが復唱する。



「各自、帯刀し戦闘準備。ゴーダ様の出陣が整われるまで、城塞正門にて待機いたします」



 ベルクトの復唱を聞いて、ゴーダが口元をわずかに緩めた。



「よろしい」





***



 ――同刻。城塞前大平原。人間領“明けの国”陣営。



「“イヅの城塞”、動きがありました。魔族兵、城塞正面に展開中です」



 遠眼鏡をのぞき込んでいる偵察兵が状況を告げる。



「ふん、神経質なやつらよ」



 大将とおぼしき、図体ずうたいの大きな人間が鼻で笑い飛ばす。



「国境線を境に、明けの国側に幾ら兵力を置いても、ぴくりともせんくせに、そこを1歩でもまたげば途端にこれだ。規律が取れていると聞いてはいたが、不気味なほど几帳面きちょうめんな連中よな」



「まるで役所の連中のようですな」



 取り巻きの兵士が言う。



「まさに。魔族の分際であの統制の取れ方、まるで人間のようではないか。めてかかると痛い目を見えるかも知れんな」



 大将が、遠眼鏡越しに城塞前に陣形を形成中の魔族騎士たちを見やりながら、顔をしかめる。



「いかがなさいます。陣形ができあがる前に突撃しますか?」



「悪くはないが、ああも規律よく動かれると、それは無粋よな」



 大将が立ち上がり、脇に抱えていた兜を被る。先端に刃のついたメイスを肩に担ぎ、号令をかける。



「これより“よいの国”東方守備隊、“イヅの騎兵隊”と対峙たいじする。まずは交渉といこう。全隊前進」





***



 ――イヅの城塞前、大平原。“よいの国”イヅの騎兵隊、“明けの国”騎士団、対峙たいじ



「明けの国の兵よ。ここはもう我らの土地、魔族領よいの国である。貴軍は国境線を侵している。早々に立ち去られよ」



 漆黒の鎧をまとったゴーダが、人間の軍勢を前に警告する。ゴーダを陣形の最前列に置いて、漆黒のイヅの騎兵隊は規律よく整列している。その数およそ50。



「イヅの騎兵隊の大将とお見受けいたす。それがし、明けの国に仕える騎士が1人、デミロフと申す」

 


 対する、人間領明けの国の勢力は200を越えていた。銀色の甲冑かっちゅうまとう明けの国騎士団の中で、大将デミロフの巨体を包む甲冑かっちゅうとメイスだけは、他とは異なる淡い蒼色を帯びていた。



「単刀直入に申し上げる。速やかに城塞を放棄し、降伏せよ。これは警告ではなく、最後通告である」



 イヅの騎兵隊たちの間に緊張が走った。



「……いきなり最後通告とは、恐れ入る」



 ベルクトをそばに従えたゴーダが堅い口調を崩し、あきれた様子でつぶやいた。



「いかにも、私がイヅの騎兵隊大将である。最後通告と申したか、デミロフ殿? 我らにこのよいの国の護りを放棄せよと?」



「そういうことになる。彼我兵力差は4対1。その上、盾も持たぬ貴軍に勝算がどれほどあろうか。大将殿、降伏してくだされば手荒にはいたしませぬ。御英断を望みますぞ」



 デミロフが悠然と構えて告げた。


 デミロフの言うように、イヅの騎兵隊の騎士たちは誰1人として盾を持っていない。盾・ロングソード・槍・弓・メイスと多様な装備で攻防を固めている明けの国騎士団に対して、イヅの騎兵隊は単一の装備のみで統一されていた。すなわち、漆黒の全身甲冑かっちゅうと、腰に帯びたさやに収められた細身の刀(形状は日本刀に酷似している)である。


 2つの軍勢が対峙たいじし、空気が張りつめている中、沈黙を破ったのはゴーダの笑い声だった。くっくっと、ゴーダが肩を振るわせながら笑っている。



「よくも大口をたたくものよ……。デミロフと言ったか。貴様……我らイヅの騎兵隊を侮辱するか……」



「……言葉で言っても分からんか。所詮は魔族よな」



 デミロフが鼻息を荒らげ、口調を崩す。


 一瞬の沈黙。


 大平原の彼方かなたで、1羽の鳥が甲高く鳴く。それを合図に、限界まで張りつめていた緊張がはじけた。



「全隊、突撃!」



 デミロフが号令をかけた。



「全騎、抜刀! 迎え撃て!」



 ゴーダがさやから刀を抜いて合図した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る