9

いくつかの岩山を越えると、眼下にサッカーボールほどの大きさの岩が無数に転がっている光景が目に入った。そして、その岩の一つにあの少年が座り込んでいるのを見つけた。さすがに彼も疲れたのだろうか。

僕は彼から視線をそらさないようにして、今度はゆっくりと斜面を下って行った。岩肌がつるつるしており、慌てると足を滑らせそうだったからだ。ここで転げ落ちたりしたら、元も子もない。


少年は僕のことをじっと見ていた。僕は、彼がいきなり立ち上がって、また走り出すのではないかと心配したが、なぜか彼は逃げるのを諦めたかのようにその場でじっとしていた。近づくにつれ、困惑したような彼の表情まで判別できるようになってきた。そしてそれと同時に、彼がどうして先に進もうとしないのか、その理由がわかった。彼は進もうとしなかったわけではなく、進めないのだった。手と足に大きな怪我をしていた。右手の肘のあたりには、かなり広い範囲に擦り傷ができ、一面赤く染まっていた。そして右足の膝からスネのあたりにも同様に傷があったが、こちらはさらに重傷のようで、血がしたたり落ちていた。僕はびっくりして彼に駆け寄った。

「ひどいケガだ。大丈夫かい?」

彼は困ったような顔をしたまま黙っている。この時、初めて気がついたのだが、彼が着ているベージュ色の服は、獣の皮で作ったもののようだった。そして、肩や腰のあたりが、鳥の羽根や紐のようなもので装飾されている。髪はきれいな黒髪で、耳がすっぽり隠れてしまうくらいの長さに揃えられていた。小さめの顔に、大きくて黒く澄んだ瞳・・・どうやら彼はインディアンのようだ。顎のところに”U”の字を逆さまにしたような、うっすらとしたアザがあった。いや、ひょっとしたらそれはアザなどではなく、刺青のようなものなのかもしれない。ただ、僕はそれを見て、何か引っかかるものがあった。どこかで似たものを見た気がしたのだ。


僕は背負っていたリュックから袋を取り出し、消毒薬とガーゼ、それに包帯を探した。トレイル中のアクシデントに備え、怪我の際に応急手当ができるよう、薬の類のものは一通り携行していた。

「大丈夫?」

改めて声を掛けたが、何も返事がない。ひょっとして言葉がわからないのだろうか?

僕は彼の返事を待つことなく、足の治療に取り掛かった。彼も抵抗するそぶりは見せなかった。膝のあたりから流れている血を拭き、消毒薬を塗る。傷口が浸みるのか、顔をゆがめた。僕はガーゼを当て、その上から包帯を巻いた。そして次に、肘の方も同じように消毒薬を塗った。

僕は少年の顔を見つめ、「大丈夫かい?」ともう一度声を掛けてみた。

「ありがとう」

小さな声で返事が返ってきた。どうやら言葉が通じなかったわけではないらしい。表情も、先ほどと比べると、いくらか和らいでいるように見えた。

「きみ、名前は何ていうの?」

「ジョシュア」

彼はさっきより大きな声で答えた。

「ジョシュアか・・・いい名前だ。ところで、どこから来たの?」

彼はまた表情を曇らせた。しばらく返事を待ったが、ずっと黙っている。僕は質問を変えた。

「ここで何をしてるんだい?一人じゃないだろ?お父さんやお母さんはどこにいるの?」

彼はさらに困惑したような顔を見せたが、結局それには答えず、逆に僕に尋ねてきた。

「お兄さんの名前は?」

「僕かい?僕の名前はティモシーさ。ティムって呼んでくれればいいよ」

「ティム…」そうつぶやいてから彼は言った。「僕のことはジョッシュって呼んで」

お互いの名前を呼び合ったことで、彼の気持ちもかなり落ち着いたようだ。表情が穏やかになるのを見て、僕も安心した。


彼はどうやら岩から飛び降りた際、足首をひねって転倒し、同時に膝を地面に打ち付けてしまったようだった。傷口は手当てしたものの、捻挫については湿布を用意していなかったので治療のしようがなかった。だが、どちらかというと傷よりも捻挫の方が重傷で、彼は立ち上がることはできたが、怪我をした右足は引きずっている。とても一人では歩けないように思えた。

「ジョッシュ、君はどこへ行こうとしていたの?」

彼が冷静になったのを見て、質問を投げかけた。彼はそれには答えなかったが、前方の谷に目をやり、ゆっくりと指差した。

僕は彼が差す方向に顔を向けた。「この先に何があるの?」

彼は遠くを見つめるように目を細めて言った。

「湖」

「何だって?」 僕は思いがけない答えに戸惑った。

「湖・・・、大きな湖があるんだ」

ジョッシュは同じ答えを繰り返した。湖?それはレイクパウエルのことだろうか?

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