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町を出るとき、空は厚い雲に覆われていたのだが、トレイルヘッドに着く頃にはかなり空が明るくなっていて、ところどころ雲の切れ間から日が差すのが見えた。このあたりの天気は変わりやすい。
「涼しいうちに、できるだけ進んでおこう」
そう言うとスチュは、谷底に向かって斜面をどんどん下り始めた。見ると、谷は左手から正面に向け、内側に弧を描くように続いている。斜面を下り始めてすぐのところに、学生の角帽のような、奇妙な形をした岩が鎮座しているのが見えた。その形が面白かったので、僕は立ち止まってじっと眺めたり、写真を撮ったりしていた。このあたりの風景は、むき出しの岩山が連なるだけの単調なものではあるけれど、何万年もの時間をかけて削られた岩々には、人間には想像し得ない造形美が備わっていると僕は思っている。それを堪能しながら歩くのもトレイルの楽しみ方の一つだ。
しかし、スチュはとにかく早くアーチが見たいようで、わき目も振らずに進んでいくのだった。僕が何度も立ち止まるので、そのうちスチュにかなりの距離をつけられてしまった。少しペースを上げようと、谷底に沿う坂道を急いでいたとき、斜め前方の岩山の中腹に、一面草が生い茂っている場所があるのを見つけた。どうやら岩山の中腹が削れ、踊り場のように平らになったところに草が根付いたようだ。まるで緑色の絨毯が広がっているようだった。このあたりの岩山は切り立った崖のように急斜面になっているところが多く、岩肌に植物がまとまって生えているのは珍しかった。
僕はここでも、その見慣れない光景に目がとまり、じっと見入ってしまった。そして、スチュには申し訳ないが、ここでしばらく休憩を取ることにした。いつの間にか空は晴れ渡り、ゆるやかな風が吹いている。ここまで一度も休まず歩いてきたので、疲れを取るにはちょうどよいタイミングだ。僕は道の脇に、休憩するにはもってこいの臼のような形をした石を見つけ、その上に座り込んだ。
先を行くスチュの姿はだいぶ小さくなっていた。彼は振り返ると僕の方を見てしばらくじっとしていた。早く来るよう催促したかったのかもしれないが、僕が動かないのを見て、諦めたように近くの木のそばまで行き、同じように座り込んだ。僕は少しほっとした。比較的わかりやすいトレイルではあっても、前を行く人の姿が見えなくなるのは不安だ。間違って違うルートに迷い込んでしまったら、遭難することだってあり得る。
腰かけたまま、空を見上げた。本当にまぶしいくらいの青い空。その青い色は、まるで空全体が光を放っているかのように思えた。このような美しい色が、いったいどうやってできあがるのだろうか?連なる岩々の茶褐色、群生する植物の緑色、そして透明感溢れる空の青色。それらはまるで大地をキャンバスに、壮大な絵画を描いたようだった。僕はまさにこの景色を堪能するために、ここまでやってきたのだ。肝心のアーチまでは、まだかなり距離があったが、僕の気持ちは既に幸福感で満たされていた。
足の疲れも取れ、そろそろトレイルに戻ろうと腰を上げた、その時だった。先ほど僕が眺めていた、草が絨毯のように茂っているところで何かが動いたような気がした。風が草を揺らすその隙間に、ベージュ色の服を着た、比較的小柄な人の背中が見えたのだ。いや、正しくは”見えたような気がした”と言った方がいいかもしれない。その影は、すぐ草むらに隠れてしまった。
僕はその方向を指差しながら、スチュに向かって叫んだ。
「誰かいる!」
スチュは聞こえなかったのか、右手を耳にあてた。
「あそこに誰かいる!」僕はさっきより大きい声で言った。
「なんだって?」 彼は首をかしげながら答えた。
「あそこだよ!あそこに人が!」
僕はもう一度大声で叫んだ。
スチュは僕が指差した方向にいったん顔を向けたが、すぐに僕の方に向き直り、首を左右に振るだけだった。本当は彼にここまで戻ってきてもらい、一緒に見てほしかった。でも彼は随分と先まで行ってしまっているし、戻るどころか、先を急ぎたいようだった。
僕はもう一度目を凝らして、人らしきものが見えたあたりを見つめた。そしてその周囲にも目をやった。草が生えている一帯はゆるやかな傾斜地だが、その前は絶壁だ。人があそこまで登っていくことなど、できるだろうか?
「おーい、早く来いよ!そろそろ行こうぜ」 スチュが僕を呼ぶ声が聞こえた。僕はもう少しここにいて人影の正体を見極めたかったが、彼に迷惑をかけるのもよくないと思い、しぶしぶ坂道を下っていった。時折、先ほどの草むらの方を振り返ってみたものの、もう何も見えなかった。
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