真実は常に苦難の中に

 両親の情報が入ったUSBメモリは、久瀬から美月に手渡された。


「これは、君ひとりで見るべきだ」


 なぜ両親は殺されたのか。最も知りたかった謎。しかし、なかなか中身を見ることはできないでいる。知らなければ良かったと思うほどの衝撃的な内容かもしれない。このまま知らない方がいいのではないかとも思う。


 あんなことが起こらなければ、自分はこの場所にはいなかった。上総や陽、そして部下たちとも出会うことはなかった。

 そして、自分の知らないところでこんなにも大変なことが起こっていた。いや、自分がこの組織に入っていなければ、なにか違ったのだろうか。

 いくら考えたところで、答えが見つかるはずもない。しかし、それでも考えてしまう。考え続けないと、今にも爆発してしまいそうだった。


 頭を撃ち抜き、光を失った上総の瞳を目にした時、一瞬で頭が真っ白になった。今にも叫び出し壊れてしまいそうだった。

 上総がこの世からいなくなってしまったこと。上総のことを信じきれなかった自分。どれだけ後悔してもどれだけ自分を憎んでも、もう上総は帰って来ない。いつの間にか、自分の中でこんなにも大きな存在になっていた。

 自分がこの組織に入っていなくても、上総は少なからず病気で死んでいたのだろう。それなのに、自分は今ここにいるのに、その事実を覆すことは出来なかった。


「次は、私の番ね……」


 もしもまたなにかが起こったなら、美月は組織のために身を呈して闘う覚悟だった。すると突然、美月の部屋の内線が鳴った。


「桐谷三佐、日本政府直轄機密情報調査機関からお電話です。……お気を付けください」


 どうして、政府直轄の機関が私なんかに。


「……お電話代わりました。特務室桐谷です」


「美月、久しぶり」


 美月は目を大きく見開いた。まさか、どうして……。


「その声は、陽……」


「よかった、美月はちゃんと生きてるね。あのさ、上総が……。嘘みたいな話だよね」


 確かに柏樹陽だ。その懐かしい声に、なんだかほっとしてしまった。まだ許せてはいないのに、今はこの声が心地よい。


「本当だよ。上総、死んじゃったよ。どうしよう、いなくなっちゃった。救ってあげられなかった……」


 美月の目から涙が零れ落ちる。溜め込んでいたものが一気に溢れ出してくる。


「美月……。大丈夫だから」


「私、なにも出来なかった。病気って知ってからもなにも。もっとちゃんと治療してって言えばよかった。それに、上総を最後まで信じてあげられなかったよ……」


 陽は、ただ聴くことしか出来なかった。美月の上総に対する想いは痛いほど伝わってくる。最初に会ったときからわかっていた。美月は上総のことを心から尊敬していた。しかし、その上総はもういない。

 だが、今更なにをしようとも思わない。陽は、上総と共にいる美月のことが好きだった。


「美月、辛かったよね。急にいなくなってごめん。大変なときに助けてあげられなくてごめん。でもね、どうしても話したいことがあるんだ。これから会えないかな、二人だけで」


 美月は、必死に涙を堪えようとしていた。こんなことを陽に話しても仕方がないじゃないか。彼こそが裏切り者なのだから。


「待って。会うのはいいけど、機密情報調査機関ってどういうことなの。あなたは何者なの」


「それも含めて、すべて話すよ」


 なんだか以前の陽とは違う。この感じ、まるで上総に最後に会ったときのような。きっと、なにかが起こる。


「わかった。必ず一人で行く」


 日付が変わった午前二時に葛西臨海公園で。これが陽からの指定場所だった。引き出しから拳銃を取り出す。結局、陽は敵なのか味方なのかはっきりしていない。だけど、彼は自分の部下を殺した張本人だ。その事実だけは覆らない。

 それでも、美月は拳銃を置いて行くことにした。撃ってそれで終わりではない。理由を知って、この先も陽には生き続けてほしい。


***


「桐谷さん、よろしいですか」


 しばらくして、大郷が部屋を訪ねて来た。そういえば、そろそろ会議の時間だ。


「ええ、入って」


「失礼いたします。そろそろ会議が始まります。……どうか、されましたか」


 特に普段と変わりはないはずだったが、さすが大郷だ。ほんの少しの表情の変化も見逃さない。


「それが、ちょっと風邪っぽくて。でも、大丈夫」


 咄嗟についた嘘だが、彼はおそらく……。


「大丈夫ですか、すぐに薬を用意いたします。眠くならないものがありますので、会議が始まる前に飲んでください。では、参りましょう」


 会議は二十三時過ぎまで続いた。主要な人間を次々と失い、本部はまた新たに動き出さなければならない。


「では、私はこれで失礼させていただきます。お疲れさまでした」


 大郷は深々と一礼し、部屋へ戻って行った。


***


 深夜一時、美月は部屋を出て玄関へと向かった。


「桐谷様」


 この暗闇のなか、後ろから声を掛けられ咄嗟に間を取り拳銃に手をかける。


「あ、葛西さん!」


 そこには、運転手の葛西の姿があった。でもどうしてここに。


「柏樹様から仰せつかりまして、私がお送りいたします。もっと早くにお伝えしても良かったのですが、桐谷様には大郷様という有能な部下がいらっしゃいます。いち運転手である私と、外出する用もないのに社内で話しているところを見られてしまうと、なにかと不都合かと思いまして」


「そう、陽が。でも葛西さん、ご家族は大丈夫なの。なにが起こるかわからないのよ」


 葛西には家族がいる。家族を投げ打ってまで危険な目に合わせるわけにはいかない。


「ご心配ありがとうございます。ですが、ご安心ください。……実は私、ISAの取引先会社の社員でしたが、倒産寸前でした。そこに都築様がいらっしゃってお声を掛けてくださったんです。そのおかげで私も私の家族も救われました。ですから、都築様やそのお仲間には精一杯お礼をしたいのです。……行き先は、私の名前が付く場所でよろしいですね」


「え……」


 すぐには理解できなかったが、美月はつい笑ってしまった。


「そう、それ!確かに同じ名前ね。葛西さんてそんなことも言うのね」


 やっと笑顔を見せた美月を見て、葛西は心底安心した。二人はエレベーターに乗り、地下駐車場へと向かう。


「……お待ち下さい」


 車の影から一人の男が姿を見せた。


「どなたですか。すみません桐谷様、私がきちんと注意していないばかりに」


 その男は、ゆっくりと歩を進めながらこちらへ向かってくる。辺りは薄暗く、顔がはっきりと確認出来ない。


「大丈夫、ここ数日ずっとつけられていたから。そうでしょ、相馬」


 建物の影から姿を見せたのは相馬だった。彼はここ最近、美月の様子を伺っていた。


「やはり気付かれていましたよね。大変失礼いたしました。実は、どうしてもお伝えしたいことがあり、しばらく機会を伺っておりました。桐谷三佐、これから柏樹二佐のもとへ向かわれるんですよね。その前に、なんとかお伝えしたいと」


 一度深く呼吸を吐く。相馬は、どこか哀しげな表情を浮かべていた。


「桐谷三佐、信じられないかと思いますが、どうかお聞きになってください。佐伯を殺した犯人は、実は柏樹二佐ではないんです。……殺したのは、都築さんです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る