死してなお悍ましく
最期に上総は目を見開き、相馬に向かって微笑んだような気がした。
一瞬の出来事。相馬の目の前で上総が倒れていく。それは、相馬の目にはスローモーションのように映った。
「あ、あ……。そんな……」
目の前で上総は命を絶った。止めることも出来なかった。
「うわああああ!!なんで、なんでだよ!都築さん……!!」
相馬はその場に崩れ落ち、心の底から声を張り上げ叫んだ。必死に抑えて騙していた感情が一気に爆発する。
「相馬!どうしたの、大丈夫!?上総は……」
しばらくして、銃声を聞きつけた美月たちが屋上へ駆け付けた。見慣れている屋上のはずが、扉から一歩足を踏み入れた途端、混沌とした異様な空気に覆われていた。
「え、あ、上総……」
半狂乱に陥った相馬のすぐ隣に、全身血塗れで横たわる男の姿があった。
赤黒い血に捉われた黒髪から覗く半開きの目、引鉄を引いた青白くやつれた手。仰向けで力なく倒れているその姿は、これまで目にしてきた死体のどれよりも畏怖そのものだった。
「……なにが、あった」
上総が自害したことは誰が見ても明らかだった。皆次々と問うてくるが、相馬の耳にはなにひとつ届かない。
「相馬、しっかりして。いったいなにがあったの」
放心状態の相馬は、いくら話し掛けてもなにも答えない。呼吸をするので精一杯で、瞬きひとつせず大きく眼を見開いている。目の前の現実を心の奥底から否定している。
「おい、相馬!!」
「しっかりしなさい!上総は、どうしてこんな……」
なにがあったかって?見ての通りさ。彼は、自ら命を絶った。最期は笑って死んでいった。そうさ、自分の目の前で頭を撃ち抜いて。俺は、止めることすらしなかった。
「つ、都築さんは……、死んで、しまった……」
その言葉はたどたどしく、相馬は依然として反応を見せない。ゆっくりと記憶を呼び戻しているのだろう。目の前で起きた惨劇を。
「そう、上総は死んだ。でも、どうして自分で。自ら、命を……」
その言葉に、相馬の身体は不意に痙攣した。相馬にとって、最も受け入れられない事実。
"上総が自ら命を絶った"
「あ、あの、都築さんは……。都築さんは、裏切ってなどいませんでした。私たちのた、ために、この情報のために、わざと犠牲に……」
相馬は震える手で、上総から受け取った最後の希望を久瀬に手渡した。
「……都築さんは、ずっと私たちのことを考えていてくださったんです。私たちのことしか考えていなかった。わかっていたのに、信じていたのに。なんで、なんで都築さんが死ななければいけないんだ!!」
まるで、自分に言い聞かせているようだった。ここにいる誰もが茫然とただ立ち尽くしている。なんて尊いものを失ってしまったのだろう。
「なんですか、それ。嘘ですよね……。わざと恩田司令官や橋本将官の下についていたっていうんですか?確実に情報を得るためにですか?その間、都築一佐はいったいどんな想いで……」
心がどんどん沈んでいく。誰もが泣き崩れていた。
「じゃあ、クーデターって」
「……ええ。非戦闘員をわざと彼らの下に置くことで、危険から遠ざけていたのかもしれません。もし私たち側にいたとしたら、彼らは反逆者たちから攻撃を受けていたでしょう……。病棟の地下に、全員避難させていましたから」
自分自身のことは捨て置き、この組織と部下のことだけを考えて起こした行動。それは、あまりにも辛い決断であり、確実に部下を救える唯一の方法だったのかもしれない。
「都築一佐、辛かったですよね。従いたくもない相手と行動を共にして、疎まれたくない相手からは冷たい視線を向けられるなんて……」
「一瞬で逆転した……。本当に一瞬で、仲間から向けられる眼が変わった。もう二度と会わないならまだしも、ほぼ毎日顔を合わせる中で憎まれて疎まれて、終いには命を奪おうとまで謀られて。こんなにも辛いことってない……!」
上総が最期に見せた笑顔は、部下たちに先の未来を託したという願いだったのだろうか。そして、自分に向けられる憎悪の目からやっと解放されるという安堵感も含まれていたのかもしれない。
それほどまでに、つい先ほどまでの自分たちは、上総に対して凄まじいほどの憎しみの眼を向けてしまっていたのだから。
「……桐谷三佐、先ほど単独行動をされた都築さんを見掛けましたよね。あの返り血は、山梨部隊の人間を殺して付着したものだと思います。それに、あの距離で都築さんが外すはずがありません。桐谷三佐に向けた発砲はおそらく、早くこっちへ来い、早く終わらせて欲しいと伝えたかったのだと。……たったひとりきりで戦っていたんですね」
言葉が出なかった。橋本らを油断させつつ、上総はなんとしても裏切り者たちを排除したかった。そして、元凶である恩田側の情報を手に入れたかった。
「やはり、はじめから都築一佐は非戦闘員たちを避難させていたんですね。山梨部隊の配置もすべて計算のうち。こちら側に、なるべく被害が出ないよう考えてくれていたんだ……」
藤堂は膝をついて泣き崩れていた。この人は必ず護らなければならなかったのに、最後まで信じなければいけなかったのに。
「ありがとうくらい、言わせてよ……」
目の前が真っ暗だった。もう一度、せめてあの日でいい。上総に銃口を向けてしまったあの夜に戻して欲しい。あの日ならまだ間に合うから、上総は生きているから。
今なら、星ひとつない空にも手を伸ばすだろう。彼の足音が聞こえなくとも、この願いが届くまでこの手を差し出すだろう。
「……ここで終われない。どれだけの犠牲を払ってここまで来たと思ってるの。皆の想いを、上総の想いを途絶えさせるわけにはいかない」
美月は陽の言葉を思い出していた。自分の気持ちに正直に、周りの目なんて気にせず自分の心だけを信じろ。
そうだ、自分の心を一番に信じないといけなかったのに。心のどこかで上総のことを憎みきれない自分がいたではないか。どうして、どうして信じ抜くことが出来なかったんだ。
「都築……」
久瀬は重い足取りで、ゆっくりと上総のもとへ近付いて行く。しばらく上総を見下ろし、血溜まりが広がる頭上へ腰を下ろした。
「ごめんな、ごめんな……。病気ですらどうにもしてあげられなかったのに、お前の苦しみを止めてあげられなかった。こんな終わり方をさせたくはなかった……」
久瀬の瞳から滴り落ちる大粒の涙。その涙は、上総の目尻に落ちて頬を伝う。まるで、上総も泣いているかのようで、上総も"ごめん"と言っているかのようで。赤い涙を零すその眼は、儚げでとても綺麗だった。
「ゆっくり眠れよ」
そして、久瀬はそっと上総の目蓋を閉じた。
「またな……」
***
その後、解剖を担当の医師に依頼した。上総の死を知って、彼もまた涙を流していた。
「やはり、あのとき組織に入るのを止めるべきだった……」
今さら後悔してもしきれない。相馬の言っていた通り、上総の視力はほぼ失われていたそうだ。腫瘍は倍以上に肥大しており、神経を圧迫していたという。おそらく聴力もかなり弱まっていたと思われる。自らの死期を悟り、上総自身も焦っていたのだろうか。
「都築一佐の死は無駄にはしませんよ。さらに研究を続け、この病気に対する新薬を開発してみせます」
都築上総の死は瞬く間に広まった。組織、製薬会社関連、そして日本政府。社会的影響はとてつもないものだった。
***
あれから一週間。まだまだ忘れるなんてことは出来ないが、皆少しずつ元気を取り戻し始めていた。
でっち上げられたことだとしても、自分たちはクーデターを起こした反逆者。このまま組織にはいられないと思われたが、意外にも周りに対しての影響はそれほどのものではなかった。おそらく、上総が事前に手回しをしてくれていたのだろう。
「都築さんからのデータ、とんでもない量でしたよ。あれを引き継ぎなしで全部やれだなんて、最低でも二、三年はかかりますね」
相馬はこんなことを言っているが、部隊長としてやる気を見せている。それは藤堂と結城も同じだった。
久瀬は上総から託された恩田に関する資料を調べ対策を練っている。今回、上総と橋本の死によって恩田はなにかしら動き出すと思われたが、特に目立った動きは見せない。幸か不幸か、なんとか作戦を立てる時間がとれている。
相馬、藤堂、結城の三人は、上官がいなくなったことにより多忙を極め、最後は久瀬、美月、大郷ですべてを終わらせることになった。
「なかなか、私たちの好きにはさせてくれないでしょうね。司令官がなにを企んでいるかなんて、だいたい想像つきますし」
美月と大郷は、射撃場にて個別訓練を行っていた。大郷はここ一時間休みなく撃ち続けている。あのとき、上総に向かって引鉄を引けなかったことを悔いているようだ。
「見事に試されましたからね。相手を煽って挑発してご自分のペースに仕向ける。都築一佐は、周りに助けられていたというよりも、そのほとんどをご自身で切り抜いてこられたのではないでしょうか」
いくら相手が上総のようなとても敵わない人間であっても、上官のために立ち向かうことをしなかった自分が情けないと話していた。
「どうなろうとも、すぐに動けるようにしておかないとね。私もいい加減ちゃんとしないと」
「……桐谷さんまでいなくなってしまうのは、なしですからね」
大郷はやっと小銃を置いた。的紙の中心には見事な穴が出来上がっていた。
「桐谷さんは、私にとって特別な存在なんです。都築一佐と桐谷さんでしたら、間違いなく桐谷さんをとりますよ。ですから、桐谷さんは必ず生きてくださいね」
なんだか普段の大郷とは様子が違う。美月は、ようやく大郷の気持ちに気が付いた。
「ええ、私は生きるわよ。あなたたちを護るために。部下は上官を助けるために存在しているんじゃない。上官に助けられながら上に上がっていくの。だから、大郷は生きるために私を支えて」
大郷は目線を落とししばらく黙っていたが、顔を上げすぐに凛々しい顔になった。
***
それからしばらくして、この先の運命を決める一本の電話が掛かってくることとなる。
「ーもしもし、特務室の桐谷三佐はいらっしゃいますか。こちら、日本政府直轄機密情報調査機関と申しますー」
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