どうかもう、これ以上は

 今日という日が、いつかはやって来るのだろうと覚悟しながらも、もしかしたらなんて考えたりもした。万全な状態で臨みたかったけれど、内通者を失ったりと予想外なことがいろいろとあったから、正直不安だ。

 その扉を開けて誰がやって来るのか。相手によっては、自分を保てなくなるかもしれない。だけど、早く来て欲しい。誰でもいいから、部下の顔を最後に見ておきたい。そろそろ、身体が限界を迎える頃だ。


「頼むから、皆どうか無事で」


 ***


「緊急、緊急!総員に告ぐ。本部内にて、特務室によるクーデター発生。隊員及び非戦闘員は、特別警戒措置及び戦闘配置」


 日が沈み始めた黄昏時、突如館内に緊急警報が鳴り響いた。


「特務室によるクーデター発生ね。これはまた、わざわざこちらに動けと言ってるようなものじゃないの」


「なるほど、考えたな。これで我々以外の全隊員は、彼らの軍門にくだったわけだ。司令官と都築がいれば疑う理由もないしな。しかし、非戦闘員まで使うか。本当に駒としか見ていないな」


 この非常事態に、久瀬はいたって平然としている。その横で、相馬はすでに指示を開始していた。


「各自今すぐ持ち場につけ!非戦闘員だろうと、こちらに攻撃してきた時点で敵だ。どれだけ犠牲を出しても構わない。とにかく、都築橋本両名をなんとしてでも殺せ!」


 相馬の指揮のもと、対ISA反逆者殲滅作戦は開始された。約二百名の敵に対し、たった十八名の攻防戦。勝とうなんて考えは微塵もない。上総を葬るために、たった一人でも生き残れればそれでいい。


「では、私たちは彼らと共に病棟の方から回って行きます」


 藤堂と結城は、第二部隊の分隊長らと共に病棟や研究棟へ潜入する。病棟というだけあり様々な薬品が扱われているため、相当危険な場所だと予想される。潜入には、藤堂と結城が選出された。

 この二人は戦闘工兵であり、特別任務の際は、戦闘工兵部隊として戦術部情報課の南波一佐指揮のもと、地雷や爆弾等を駆使して任務にあたっている。


「なにを仕掛けられているかわからない。わかっているとは思うが、充分気を付けろよ」


「ええ、こちらは任せてください。私たちは容赦しませんからね、奴らには一瞬の隙も与えません」


 二人は凛々しい笑顔で敬礼を掲げ、病棟の方へ向かう。


「……藤堂、結城」


 藤堂たちの背中を一直線に見つめて、相馬が呼び止めた。


「危険だと思ったらすぐに逃げろよ。自分たちの命を第一に考えてくれよ。なにかあれば、俺の名前を出せ。俺を取引に使え。……必ず、頼む」


 いつにも増して、相馬の表情は硬く険しいものとなっていた。それは指揮官としてではなく、ただひとりの相馬京介という人間としての心からの訴えだった。


「お任せください。藤堂結城両二尉と別行動になるまでは、私たちが全力で援護いたします」


 分隊長たちは、凛々しい顔つきで揃って相馬へ敬礼を掲げる。藤堂と結城はその姿に驚きつつも、彼らの成長に安心していた。


「では桐谷三佐、我々も参りましょう」


 相馬と美月は、二人のみでここ五十階から屋上を目指す。ここ数日、五十階に拠点を置いて作戦を練りつつ見張りを行っていたため、このフロアから屋上までの間は敵の数が比較的少ないと予想された。


「まさか、こんな日が来るなんて考えたこともなかった。相馬、あなたまだ迷っているでしょう。実はね、私も迷ってる。自分がどうするかなんて、その時になってみないとわからないし。正直、上総のことを未だに信じちゃってる自分もいるから」


 美月の言う通りだった。どれだけ自分で自分を説得したって、結局今日この日まで上総のことを完全に敵だと決別することは出来なかった。


「この手でもしも都築さんを手にかけてしまったなら、きっと私は一生後悔を背負うことになるでしょう。やはり、それほどに都築さんは私の中で大きい存在です」


「……うん。よし!」


 美月は相馬の背中を思いっきり叩き、自動小銃の安全装置を外した。


 ***


「……やる気、あるのかね?」


 藤堂と結城は、山梨部隊より先制攻撃を受けていた。すでに有効射程距離内ではあるが、相手はなんのつもりか牽制射撃を続けている。


「馬鹿にしてんのか?それとも、まじで当たんないのかな」


「ここに留まらせておくつもりなのかもしれません。この場は私たちが引きつけますので、お二人は先へ進んでください」


「ああ、わかった。ここは任せる。必ず追いついて来いよ」


 四名の分隊長らは、この場で応戦の準備を始めた。本当に相手がこの程度の腕ならば、たった四人でも余裕で突破出来るだろう。

 藤堂と結城はこの場を部下に任せ、足早に病棟へと向かう。いったいどれだけの人数が待ち構えているのか想像もつかない。


「……こっちもこっちで、やばそうだな」


 藤堂の視線の先には、病棟へ続く長い渡り廊下が伸びている。薄暗く人数まで把握することは出来ないが、その通路内や通路脇には、すでに小銃を構えた敵の姿があった。


「あいつら、山梨の残党だろ?本部職員はやっぱりどっかに隠れてんのかな」


「どうだろうね。さすがに病棟の社員はどこかに隔離してるんだろうけど、非戦闘員は事務員だろうと駆り出されてるんじゃないか?」


「……使い棄てか」


 多数の銃弾を横目に、一瞬の隙をついて藤堂は顔を出し応戦する。しかし、あまりにも数が違いすぎてまるで先に進めない。


「まだ、あれは取りついたままみたいだよ」


 結城は、携帯電話の画面を藤堂へ見せた。


「でもな……。今使うためのものじゃないしな」


 藤堂たちは、この病棟へ続くすべての通路に爆弾を設置していた。これは病棟へ潜入した際、自分たちがどうにも出来なくなったときに敵を本部へ行かせないよう、時間稼ぎのために設置したものだった。


「とりあえずこれは最後に取っておいて、そろそろ行ってみようか」


 携帯電話をしまい、閃光発音筒を手に結城は立ち上がった。この場所から渡り廊下を抜け、病棟へと繋がる扉まではおよそ七十メートル。


「じゃあ、俺は右で藤堂は左ね。耳栓とゴーグル、ちゃんと持って来た?」


 そして、結城は自らも耳栓とゴーグルを着用し、閃光発音筒を投げつけた。


 ***


「思ったより、少ないかも」


 相馬と美月は慎重に、それでも確実に敵を仕留めながら非常階段を上へと昇って行く。途中、何度か敵と鉢合わせになったが、そのすべてが山梨の残党だった。


「ええ、そうですね。非戦闘員も配置命令が出ていたので、もっといるかとも思ったんですが」


「上総は、いったいなにを考えてるの……」


 すると突然、上階より複数の敵が攻め込んで来た。二人はいったん非常階段から廊下へと下がる。


「やっぱり、まだまだいるよね。相馬、弾は平気?」


 美月は小銃を構え、休むことなく撃ち続けている。


「大丈夫です、まだあまり撃っていませんし。桐谷三佐、先ほどから任せきりになってしまい申し訳ありません」


 相馬は小銃から拳銃に持ち替え、無線で指示を出しつつ壁に身を隠しながら廊下の敵を片付けている。


「気にしないで。相馬は指揮官なんだから、常に周りの状況を把握しておいて。それに、相馬だってちゃんとやってるじゃないの。随分と上達したのね」


 ふと、相馬の手が止まった。通路の先、エレベーターホールの方向を凝視している。


「……桐谷三佐、向こうの方から銃声がしました。行ってみましょう」


 敵の死体が転がる廊下を慎重に進む。確かに、遠くから銃声がする。


「誰だろう。将官たちの班になにかあってはぐれたのかな」


「そうですよね、この階には私たちしかいないはずですし。まさか、逃げ遅れた一般職員が……」


 最悪の事態が頭をよぎり、二人は足早にエレベーターホールへと向かう。


「うわっ!」


 突如、美月の顔すれすれのところに一発の銃弾が飛んできた。


「桐谷三佐!大丈夫ですか!」


 まったく気が付かなかった。いったいどこから撃ってきた。

 すると、廊下の端の方をゆっくりと歩く人影が目に入った。


「……都築さん!」


 二、三十メートルは離れているだろうか。この暗闇の中、唯一明かりが灯るエレベーターホールの前に、自らの仲間の死体を引きずり盾にしている上総の姿があった。

 光に照らされて、全身に浴びた返り血が奇しくも美しく輝いていた。


「なんてこと……」


 上総は、殺した相手の拳銃を拾いながら次々と発砲を続ける。片方の手に持つ死体には止めどなく銃弾が撃ち込まれていた。

 その目は虚ろで、ただ気力だけで立っているようだった。


「誰を殺しているの。非戦闘員相手だとしたら、ほとんど訓練を受けていないんだもの。何人がかりでも勝てるはずがない……」


「都築さん!もうやめてください!」


 無情にも、相馬の叫びは銃声に掻き消されて上総には届かない。

 やがて銃声が止み、上総は死体をその場に棄ててエレベーターに乗り込んで行ってしまった。


「どうして……」


「桐谷三佐!」


 いつの間に、後方に新たな敵が近付いて来ていた。


「早く後を追わないと……。こいつら、さっさと片付けましょう」


「いや、このまま行きなさい。上総を撃つ資格が相馬にはある。相馬がやるの」


「しかし、ここをおひとりでは」


「私を誰だと思ってるの?組織の中で、射撃で私に勝てるのは上総ただひとり。私がこんな奴らに負けるはずがないでしょ」


 美月はスコープを覗き、とめどなく発砲を続けている。そのすべてが、確実に敵の脳幹を射止めていた。


「後ろは私にまかせて。相馬はなにも心配せずエレベーターへ向かいなさい。……頼んだからね。これ以上、上総を苦しませないで」


「……承知しました!」

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