誰が為にその引鉄を
それから二週間が経過した。上総は部屋を出て、ついにフロアには美月ひとりとなっていた。上総は、組織の仕事はあまりしていないようだった。会議も欠席しており、訓練にも参加していない。ただ、薬の研究の方には顔を出していると聞いた。
「なんとか、まとまりましたね」
特務室の隊員たちは、会議室に集まりある作戦会議を行っていた。
対ISA反逆者殲滅作戦。
恩田、橋本が黒だと判明した以上、上層部はほぼ全員が敵。そして、最悪なことにそこに上総が加わってしまった。
彼らの情報収集をしていた結城だが、ある日突然結城のもとへ上総が訪ねてきた。何事かと思えば、ただ一言だけを残しその場を去った。
「"近いうちに、君たち全員葬りにいくよ"……だもんな。堂々としすぎだろ」
「それだけ余裕があるってことですかね。橋本将官の表情が思い浮かびます」
「どうせなら、さっさと病気が悪化しちゃえばいいのにな……」
今やもう、ここにいる者は上総に対し憎しみしか感じていなかった。もちろん、最初は皆哀しみと絶望に打ちひしがれていた。だが、それは次第に怒りへと変わり、そして憎しみが生まれ始めた。そんな彼らの話を、美月と相馬は神妙な面持ちで聞いていた。
「作戦内容を確認するぞ。奴らはおそらく、今月中には山梨の残党と本部内の仲間を率いて、我々に対し一斉攻撃を仕掛けて来る。ただ、一斉攻撃と言ってもこれには政府も絡んでいるから、そこまで大ごとにはしないはずだ。俺たちのみ、確実に消しに来ると見ていい」
反逆者が加わっても、それは本部全社員約三千名強のわずか十パーセントにも満たない。それでも、今現在本部内が二つに割れていることすら知らない人間が大多数を占めている。
恩田らのことを話して共に戦ってもらいたかったが、上総が裏切ったことにより誰が奴らの仲間なのか調べる術を失ってしまった。真実を説明したとしても、上総が知らないと言えば必ずそちらを信じるからだ。
「……ただ、本部全滅もあり得ますよね」
「まあ、向こうにとってはそれが最も好都合なんだろうけどね。しかし、本当に都築一佐はいつだって無茶苦茶だよなあ」
藤堂は、なにかを思い出したかのように窓の外へ目を向けた。時刻は午後八時。雲ひとつない漆黒の空には、いつかの夜と同じ満点の星が輝いていた。
「それぞれの役割だが、本作戦司令は久瀬。指揮は相馬に任せる」
「桐谷三佐ではないのですか?」
予想外の指示に、皆は驚きを見せた。
「ああ、本来ならそうすべきところなんだがね。桐谷の射撃の腕を考えると、やはり前線に立ってもらいたい。それに相馬、お前は必死に戦術を練ってくれている。やれるだろう?」
「承知しました!道は私が必ず開きます。相馬、指揮は任せる」
相馬が返事をするより早く、美月が敬礼を掲げた。その姿を目にして、相馬はゆっくりと頷く。
「……承知しました。第一部隊長として笑われないよう、見事指揮官を努めてみせます。ただし、ひとつお願いが。今回の作戦に参加するのは、分隊長以上の十八名のみにしてください」
「なっ……!相馬一尉、どうしてですか!?相手は少なくとも二百はいるんですよ。私たちを含めても全然足りないのに」
思わぬ発言に、隊員たちは困惑を隠せない。確かにその通りだ。いくら相手が格下ばかりであろうと、約十倍の人数であれば勝率はぐんと下がる。
「無駄に部下を失いたくないからだ。もちろん、お前たちが簡単にやられるとは思っていない。だけど、相手はあの都築さんだ。無傷で終われるはずがないだろう。お前たちを失うのは耐えられない」
相馬は、山梨での戦闘が頭から離れられないでいた。目の前で、指揮官を護り死んでいった仲間たちを助けることが出来なかった悔しさ。もしかしたら、次は自分が同じようにたくさんの命と引き換えに生かされることになるのかもしれない。
「それと、これは俺のただの我儘でしかない。……もうこれ以上、都築さんに仲間を失わせたくない」
相馬は俯き、胸を締めつけられるような想いで吐き出した。
「なにを仰っているんですか!都築一佐は私たちを裏切っていたんですよ、仲間ではなかったんですよ!」
藤堂が反論するが、藤堂自身もどこかで同じ気持ちだった。上官に棄てられたこの哀れな想いは当に理解している。
「ああそうだ。都築さんは俺たちを裏切った。おそらく、山梨のときだって目の前で死んでいく部下を目にしてもなんとも思わなかったんだろう。だけど、すべて偽りだったけど、それでも都築さんは俺たちのためにたくさんのことを教えてくれただろ、いつも助けてくれただろ。これ以上、都築さんを冷酷な人間にはしたくない。都築さんを尊敬していたこの気持ちがなくならないうちに、俺たちが止めてあげないと……」
相馬の心からの叫びに、全隊員は言葉を失った。嘘偽りでも、確かに彼を敬う瞬間は存在した。そのおかげで今の自分が在るのも事実だ。それならば、せめてもの感謝を込めて、これ以上手を穢さないうちに終わりにさせてあげなくては。
「わかった。本作戦は各部隊分隊長以上の参加とする。分隊隊員は早いうちに福島支部に避難していろ。ただし、都築が標的であることは変わらない。都築の拘束または殺害が最優先だ」
皆の結束が固まり始める。都築上総は敵、裏切り者。もちろん、相馬だってそう感じている。
「……なあ和泉。お前も、もしかしたらって思っているんじゃないか?だとしたら、相手が何人だろうとさ、こっちは十八人でいいんだ。充分なんだよ」
ひとり窓の外へ視線を向けて、相馬は大切な友人に語りかけた。
***
午前二時過ぎ、美月は屋上で空を見上げていた。手を伸ばせばすぐにでも届いてしまいそうなほどに、星の瞬きがはっきりと確認出来る。
「……また、その漆黒の闇に身を投じるつもり?」
その声に、伸ばしかけた腕は空に届くことなく力を失った。
「でも、次は助けないよ」
「なにしに来たの。随分と不用心ね、裏切り者の分際で」
一歩、また一歩と美月に近付くその足音は、これから始まる破滅へのカウントダウンのように感じられた。近付けば近付くほどに、これまで築いてきたすべてのものが崩れ出す。
「俺も星を見に来たんだ。この星空には、少しばかり思い出すことがあってね」
美月は拳銃を構えた。このまま引鉄を引いてしまえば終わる。争いなんてしないで済む。なのに、なのに……!
「美月はさ、陽に裏切られそして俺に裏切られた。それでもまだ、俺たちにあの日のことを感謝しているのかな」
銃口を向けられても尚、上総は動揺するそぶりすら見せない。それどころか、こちらを一切気にすることもなく空を見上げて僅かに微笑んでいた。
「地位になんて興味がないのは本当だよ。だから、部隊長なんて肩書きもいらない。俺は、自分のために自分のしたいことをしているだけ。それが、最終的に美月たちを利用し、そして放棄するという結果になってしまった。でも安心して。美月たちが死んでも、じきに俺も病気で後を追うことになるから。そのときは、復讐でもなんでも受けるよ」
美月は歯を食いしばる。こんな奴のために、あれだけの命が犠牲になったのか。これでは和泉が、隊員たちがあまりにも不憫ではないか。
「……いいね、その顔。美月と戦うのが楽しみだよ。美月、途中で倒れるなよ。必ず俺を殺しに、上まで這い上がって来い」
上総は美月からゆっくりと視線を外し、背中を向けて扉へ向かう。今の感じ、今のあの表情、どこかで……。
「あ……」
射撃訓練の日。上総の部屋の前。ごめんね、と一言だけ嘆いたあの時。やはり、なにかあるんだ。抱えきれないほどに、潰されそうなほどに、彼の心はもう壊れはじめている。
「……戻って」
美月は、引鉄を引くどころか、安全装置すら解除されていない拳銃を上総の背中に向ける。
「行かないで。もう戻れないよ。元には戻れない。どうして、上総……」
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