裏切り

「おい、まだ話は終わっていない」


 男は、瀬野の胸ぐらを掴みかかる。薬で無理やり意識を戻された瀬野は、虚ろな表情を浮かべながらも、男の話などまるで聞かず顔を背けていた。そんな瀬野を冷めた眼で見下ろし、男はあるものを取り出した。


「……!」


 瀬野は目を見開いてしばらく暴れていたが、次第に動かなくなった。部屋の隅では、椅子に座り手足を縛られ口をテープで塞がれた美月がその光景を目にしていた。


「わかるか、ちゃんと聞こえているな」


 力が抜け放心状態になった瀬野に向かって、男が再度問いかける。瀬野の目は宙を泳いでいたが、しっかりと頷いた。


「最後に聞いておく。彼女の両親を殺害したのは、お前だな」


 美月は目を大きく見開いた。今、なんて言った。瀬野が、犯人……?どういう事だ、なぜ瀬野が。男は、悲痛な面持ちでこちらを振り返った。


「黙っていてごめんね。俺のせいなんだ。知っていたのに止められなかった……」


 瀬野は、意思を持たない虚ろな瞳で再びゆっくりと頷いた。


 ***


 そっと扉を開けると、人の気配はなく中は真っ暗だった。懐中電灯の明かりを点けると、相馬と結城、そして見張りをしていた部下が倒れていた。


「……大丈夫、意識を失っているだけだ」


 いったいなにがあったんだ。四人も見張りがいて、誰一人として倒せなかったのか?犯人は複数か。

 問題はこの奥の部屋。そこには瀬野が眠っている。やはり狙いは瀬野。自分たちがこの部屋に入ったことはすでに気付かれているだろう。迂闊に突入するのは危険だ。


「……奥にいる。大郷、お前はそこにいろ」


 閉じている扉からは僅かに光が漏れている。確実に中にいる。そっと扉に手を掛けたその時、聞き覚えのある声が耳に届いた。思わず久瀬は扉を開けた。


「美月の御両親だとは知らなかった。俺が止められれば良かったんだけど、どうしても出来なかった」


 久瀬は自らの目を疑った。真っ先に犯人候補から除外された人物がそこにいたのだ。そのあまりの衝撃に身体が動かない。


「……都築。どうして、お前が……」


 久瀬の声は震えていた。上総の後ろには、口と手足を塞がれた美月の姿。瀬野の枕元には注射器。この状況で、上総がなにもしていないなんてとても言えたものじゃない。


「もうその時点でね、俺ははじめからこの時のために動いていたから。……久瀬将官、一歩遅かったですね」


 すると、上総はサプレッサー付きの拳銃を瀬野の額に向け、なんの躊躇いもなく引鉄を引いた。


「え、どうして。今、殺しちゃったんですか……」


 大郷も動揺を隠せない様子だった。今目の前で起きていることが、まだきちんと整理出来ていない。


「瀬野に余計な事まで話されてしまったら面倒じゃないか。懸念材料は早めに摘む、だったかな。久瀬将官、君とはめずらしく考えが合った」


「橋本将官……」


 そこには、先ほどまで屋上で言葉を交わしていた橋本の姿があった。


「だから言ったじゃないか。前だけを見ていると、大事なものを見落とすと。現に、都築はすでに君の側を離れていた。君、彼のなにを見ていたんだ。彼になんの期待をかけていたんだ」


 上総自ら部屋の明かりをつけ、美月を連れて姿を現した。


「都築一佐……。まさか、私たちのことを騙していたんですか。いつからそうだったんですか……」


 大郷は腰の拳銃に手を掛ける。構えたところで勝ち目はないだろうが、それでも慎重に機会を伺っていた。


「つ、都築さん……?なにをされているんです、冗談ですよね」


 部下たちも動揺していた。しかし、相馬だけはじっと上総を見つめていた。


「……なにか、勘違いをしていないか」


 上総は、これまでに見せたことのない酷く冷たい顔をしていた。


「俺は、お前たちのことを仲間だなんて思ってはいなかったよ。……はじめから」


 そこに立っていたのは、もはや特務室の都築一佐ではなかった。美月の目から大粒の涙が溢れ出る。ここにいる誰もが絶望を覚えた。


「もう、仲間の真似ごとは終わりだ」


 都築上総は、組織を裏切った。

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