友として、上官として

 その頃、病棟で少し動きがあった。上総の意識が僅かに戻って来たらしいとのことだった。大丈夫だろうか、なんとか無事に目を覚ますことが出来るのだろうか。

 何人もの医師が慌ただしく出入りをするなか、相馬はただ祈ることしか出来なかった。意識が戻ったところで、以前の状態に完璧に戻れるのかはわからない。容態が急変するかもしれない。そもそも、この人たちは上総の病気のことを知っているのだろうか。


「……目、覚ましたのか」


 突然のその声に、相馬の身体は固まった。隣には、今まで姿を見せなかった柏樹陽が立っていた。なぜ、今になって……。


「あ……」


 横目で陽を見上げる。突如、鼓動が激しく踊り出す。

 拳銃はある、弾も入っている。だが、手が動かない。一ミリでも動かしてみろ。彼の視線は、すでに俺の右手を捉えているぞ。


「藤堂たちには少し眠ってもらった。さすがは俺の部下だけあってうまく尾行していたが、殺気立ちすぎてばればれだ。お前にもしばらく眠っていてもらおうか」


「柏樹二佐……!」


 すると、陽は一瞬のうちに相馬の首に注射針を刺して気絶させた。医師や看護師も同じように気絶させ、そのまま集中治療室へと入って行く。

 治療室の中は二つに仕切られており、陽は一直線に上総の方へと向かう。上総は酸素マスクをつけ、点滴を繋がれベッドの上で眠っていた。


「……おい、さっさと起きろよ」


 上総は一向に目を覚まさない。布団を掴む陽の拳が震え出す。


「お前……。いい加減にしろよ」


 陽は上総の上に馬乗りになり、拳を振り上げた。とそのとき、上総の目が見開きその拳を止めた。


「……やっぱり起きてたんじゃないか」


「ああ、たった今な。お前のおかげで目が覚めたよ」


「なんとか生きていたようで安心したよ。だけど、お前には言いたいことが山ほどある」


「陽、お前はもうここに留まる気はないんだな」


 上総は、酸素マスクと点滴を外しゆっくりと起き上がった。まだ傷跡が痛々しい。


「よくわからなくなった。こんなことをしてなんの意味があるんだ。最後にはなにも残らないじゃないか……」


「そうだな。お前はなにひとつ間違ったことはしていないのに、そんな奴が一番苦しむことになるなんて本当に皮肉な話だよ」


 隊服に着替える上総の身体を見て驚いた。身体中に、普段の任務で負ったものではないだろう痛々しい傷痕や弾痕。そして、隊服のサイズがまるで合っていない。これも病気のせいなのだろう、とても痩せ細ってしまっていた。


「お前、俺の知らないところでどれだけやられてんだよ」


「連日の仕事だったんだ。四徹目の夜はさすがに堪えてね、一歩避けるのが遅れてしまって」


 今となっては笑い話。

 これまで、本当にいつ命を落としてもおかしくない任務を数え切れないほどこなしてきた。

 リスクは非常に大きいが、その代償として得るものは計り知れない。死に近付けば近付くほどに、その分組織にとって有益となる。


「たった一人でよくやってるよ。ここしばらく、お前に任せっきりだったな。相馬たちでも連れて行けば良かったんじゃないのか」


「一人の方が気兼ねなく動けるからいいんだ。それに、任務を超えて殺戮に狂う姿は見て欲しくなかった。部下たちには、絶対に間違った方向に進んでもらいたくない」


 上総は笑っている。引鉄を引くときもそうだ。それは、相手の死を嘲笑っているわけでも、勝ち誇った笑みでもない。


「病気なんだ。すっかり脳が侵されてしまった。まるで、別の人格に支配されているようで。だから、この狂った頭を吹き飛ばさないと。今すぐにでも」


「それは……」


「そろそろ増援が来るぞ。お前とはこんな所でやり合うつもりはない。もしかしたら、次に会ったときがどちらかの最期かもしれない」


 上総は入り口に飾られていた千羽鶴を見つめていた。前回を遥かに凌ぐ数の見事な千羽鶴が飾られている。


「どんな理由にしろ、お前が俺の部下になり共に仕事をするようになって、なんだかんだ楽しかった。お前の性格は正直俺とは正反対だが、第一部隊には必要だったと思う。俺には出来ないことをお前がしてくれていたから、今の俺たちがある。出来れば、このままお前にここを立て直してもらいたかった」


 上総はこんな奴だっただろうか。常に自分の上を行き、突き放したかと思えば手を差し伸べるような、そんな奴だったじゃないか。それなのに、どうして諦めようとしているんだよ。


「……わかるんだよ、俺にはもう時間は残されていない。悪いが、お前と決着をつけることすら出来ないかもしれない」


 陽の心の奥に押し込まれた痛いほどの訴え。言葉に出したことはないが、上総にはわかっていた。


「なんだよ、それ。散々俺の上を行っておいてそれはないだろ。そのまま逃げる気かよ。そんなの許さないからな」


「いいからさっさと行け」


 まだ言いたいことはたくさん残っているが、足取り重く陽は非常用出口へ向かった。


「陽」


 普段とは少し様子の違う上総の声に、思わず足が止まる。これから彼が口にするのは、弱音かもしれないし最期の挨拶なのかもしれない。どちらにせよ、出来れば今すぐにここから立ち去りたい。


「胸くそ悪くなるようなことだったら聞かないからな」


「……今までごめん」


 陽は唇を噛み締める。辛い、上総には常に強くあって欲しいのに。


「数え切れないくらい迷惑を掛けた、何度も助けてもらった、全部覚えてる。ちゃんと礼を言わないとって思っていたんだ。俺の最初の補佐官がお前で良かったよ」


「やめろよ!」


 陽は力の如く扉を殴った。歯を食いしばり、微かに瞳は潤んでいた。


「お前に礼を言われるほど、俺はたいしたことはしていない。お前に追いつくことに必死で、自分のことしか考えて来なかった。……後悔してるんだ、もっとなにか出来たんじゃないかって」


 俯いて悲痛な顔を浮かべながらも、上総は微笑んでいた。数年前のことが思い出される。今思えば大変なことばかりだったが、以前は本当に良かった。


「前に一度、覚悟を決めたときがあった。お前が死んだ後はどうすればいいんだとか、そもそもお前の死に耐えきれるのかって。有坂の死でさえあんなに辛かったんだ。お前が死んだら、部下たちはどんな思いをするか……」


「陽、あのときはありがとう。そして悪かった。俺は最後まで覚悟を決める事が出来なかった。だけど、お前は絶対に諦めるなよ。……最後は、頼む」


 陽は歯を食いしばり、上総の方を振り向いた。


「……本当に後悔はないんだな。今引き返さないと、この先はもうなにも残らないぞ。すべてお前に伸し掛かってくるぞ。上総、お前はもっと好きに生きろよ」


「後悔出来るほど俺は器用じゃない。それに、充分好き勝手生きているつもりだよ。最後まで困った上官で申し訳ない」


「……馬鹿野郎」


 これを最後に、陽は非常用出口から出て行った。涙を堪えるのに必死で、もう振り返ることは出来なかった。

 そんな陽の背中を見送り、上総は目を閉じた。


 さあ、そろそろ「さよなら」の練習を始める頃だ。


 ***


 しばらくして上総も部屋を出た。しかし、肋骨が繋がっていないため動くたびに激痛が走る。


「くそ……」


 薬品棚から鎮静剤を大量に奪い、相馬を起こしにかかる。


「……!都築さん、もう起き上がって大丈夫ですか!?あれ、なにがあったのか……」


 相馬は少し頭が混乱しているようだった。医師たちも徐々に起き上がり意識を取り戻し始める。

 上総は痛みをこらえ、医師たちの方へ身体を向けた。


「皆、私に治療を施してくれて感謝する。自分自身、とてもまだ動ける状態でないのは重々承知しているが、もう時間がない。今後は瀬野に集中して治療を行うように」


 医師たちは慌てていた。まだ治療の途中なのに、こんな状態でベッドから動かすなんて以ての外。その様子を見て、上総は再度声を荒げる。


「これは命令だ。私に逆らったら、わかっているな」


 これには、さすがに医師であってもなにも言い返せなかった。とにかく上総は地位が高い。逆らえるはずがない。


「……こんなときにだけ、権力使わないでください」


「お前だってこれくらい言える立場だろう。もう俺の部下ではなく、俺の後釜として行動しろ」


 上総と相馬は急いで本部へ向かっていた。だが、相馬は上総を止めたかった。すぐにでも病棟へ引き戻したかった。やはり、上総には自分の命を一番に考えて欲しかった。


「……ご無事で安心しました」


「心配かけたな」


 二人は早足で歩いていたが、ふと上総は歩を緩めた。


「和泉たちの葬儀は……、いや。相馬、今回は本当にすまなかった」


 上総は真っ直ぐ前を見据えつつも、どこか儚げな表情を浮かべていた。

 部下の悲惨な死に方を目の前で、しかも自分の命を護るために。上総の心情は……。相馬の脳裏に、あのときの酷く恐ろしい上総の表情が蘇る。


「和泉は、なんだか誇らしげな顔をしていたように見えました。……私だって都築さんを護りたかったですよ、あいつだけいいところを持って行ってしまって」


 相馬は出来る限り辛い話にならないよう転じようと努めた。上総がどれほどに後悔しているかなど、痛いほどわかっている。


「都築さん……。負けないでください、弱くならないでください。常に毅然とした、堂々とした都築さんでいていただかないと、私たちの調子が狂います」


 すると、黙って話を聞いていた上総の表情が少しだけ変化したように見えた。


「……もう充分、俺は弱いさ。俺が護ってやらないとならない立場なのに、さすがにあれは堪えたよ」


「そんな……」


「相馬、あのときは助かった。お前がああ言ってくれなかったら、俺はおそらくあれ以上前へは進めなかっただろう」


 すると、相馬は立ち止まって背筋をさらにピンと張り、上総の方へ身体を向けた。


「……都築さん。あのときは無礼な失言、大変失礼いたしました!いかなる処分でも受ける覚悟です。本当に申し訳ありません!」


 眼を見開き、蒼白な顔で頭を下げる相馬の姿に、上総は思わず笑ってしまった。


「相馬、お前なに言ってるんだ。お前のあの叱咤激励のおかげで今があるんじゃないか。処分なんてとんでもない。むしろ、指揮官であるのに諦めようとした俺が処分を受けるべきだ」


 上総の久しぶりの笑顔に、相馬の強張った表情が緩む。


「お前は俺より早く死ぬな。俺が死ぬのを、その眼でちゃんと見届けないといけない」


 そう言って、上総は再び歩き出した。相馬は少しだけ目を潤ませ、上総の背中を追った。

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