すべては御伽話

帰還、そして永遠にさよなら

 上総たちが戻ってから二日が経過したが、依然二人の意識は戻らない。久瀬や松橋も脚などを撃たれていたが、今では車椅子に乗り順調な回復を見せている。


 今日の夕方から、和泉ら殉職者の葬儀が行われる。昨日は本部内が慌ただしく、とても通夜どころではなかった。

 相馬が和泉の遺体を持ち帰って来たが、美月はなかなか直視することが出来なかった。検視が行われ、唯一綺麗に残った右眼周辺は、なんだか穏やかな表情をしているように感じられた。最期に尊敬する上官を身を呈して護り抜き、誇りを感じているのだろうか。和泉は殉職したため、階級が二つ上がり二佐となった。


「お疲れさまでした、和泉二佐……」


 しばらく顔を見つめ、静かに棺を閉じた。集中治療室には、まだ医師以外誰も入ることは許されていない。相馬は一日中集中治療室の前に居座り、パソコンを持ち出して仕事をしている。美月も、時間があれば一日に何度も様子を見に来ていた。


「はい、これ」


 美月は相馬に缶コーヒーを渡す。毎回これが日課となっていた。


「いつもすみません。……桐谷三佐、ちゃんと休まれていますか?」


「そっちこそ」


 美月と相馬を含む特務室の隊員は、この二日間まともに休息をとれていない。昨日まで丸一日かけて山梨支部の後始末を行い、それが終わった今でも、和泉を失ったショックと上総が心配で落ちつかないのだ。


「……陽は、やっぱりまだ」


「ええ、一度も来てはいないですね」


 本部の方では見かけるが、陽は一度も病棟には姿を現さない。


「隣の部屋なのに、なんだかすごく遠くにいるみたいで。たまに会っても仕事の話しかしないし、わざと避けてるみたい」


 相馬は少し心配していた。まるで、今の美月はかつての上総のようだ。部下を失い、真実は闇に紛れたまま。いつ、陽に復讐をしに行くかわからない。


「……大郷からいろいろと聞きました。今の段階では、柏樹二佐と政府との直接的な接点はわかっていません。実は、藤堂たちに少し探らせています」


 藤堂と結城には陽の行動を見張るよう命じているが、美月や大郷が陽に手出しさせないようにというのも兼ねている。

 陽と佐伯はなにを調査していたのか、彼らの目的とはなんなのか。とにかく、上総と瀬野が目を覚ますまで、陽には無事でいてもらわないといけない。


 美月はあのときのことを思い出していた。”陽が間違ったことをしたなら、その背中を撃つ資格がある”。彼らもまた闘っているのだろう。信頼している上官には、決して道を踏み外して欲しくないのだから。


「今日の葬儀のときはどうするの。部下に代わってもらうの?」


「いえ。和泉には悪いですが、私はここを離れるつもりはありません」


 相馬は一切の迷いのない眼をしていた。なんとしても上官を護る。これが、今の彼の使命だった。


「うん。和泉もきっと、同じことを考えると思う」


「あいつも満足していることでしょう。あんな格好いい死に方しやがって……」


 相馬は咄嗟に顔を伏せた。その様子に気が付き、美月は病棟を後にした。


 現時点でわかっている事は、本部の上層部と政府の裏組織におそらく接点があること。恩田司令官と橋本将官が瀬野と繋がっていること。陽と佐伯が極秘で何かを調査し、上層部に上総たちの極秘任務の内容を横流ししていたこと。……そして、佐伯を殺したのは柏樹陽だということ。


 情報を流して陽に得があるとすれば、それは地位だ。陽が、この先もこのまま特務室二佐で居続けなければならない理由、そして本部に残らなければならない大きな理由があるのかもしれない。


 ***


 夕方、和泉を含む殉職者の葬式が執り行われた。大きな会場に花がいっぱいにあしらわれ盛大に見送った。


 第一部隊の隊員は皆茫然としていた。無事に戻って来たと思ったら、和泉は山梨で死んだと唐突に聞かされ、哀しむ時間もなく後始末に追われた。防火装置により、なんとか全壊を免れた山梨支部。焼け崩れた建物の中は、炎に焼かれた分別のつかない死体と、焼け焦げた臭いが充満していた。


「これが、和泉一尉……?」


 顔は?身体はどっちを向いている?そもそも、これは人なのか……?その、見るも無惨な和泉の姿を目にした隊員の最初で最後の言葉。それ以降、遺体回収を行う間、隊員たちは二度と口を開くことはなかった。今やっと和泉を失った現実を改めて実感し、未だ信じられない思いでいっぱいなのだろう。


「上総、来られなくてよかったのかも」


「……ええ、そうですね」


 上総の気持ちを考えると、もう辛いなんて言葉では表せられないくらいの絶望だろう。目の前で自分を護り死んで行った部下の葬式なんて、たぶん絶対に認めることなんて出来ない。


「柏樹二佐、やはり来ていませんね」


 陽はここにも姿を見せなかった。しかし藤堂たちの姿はあるため、おそらくこの本部内にはまだいるのだろう。葬式が終わり皆が戻って行くなか、車椅子に乗る久瀬に声を掛けられた。


「桐谷三佐、大郷二尉、今回のことでいろいろと迷惑を掛けてしまいましたね。そして和泉二佐まで。これはすべて私の責任です」


 久瀬はかなり憔悴しているように見えた。半数以上の隊員を失うほどの戦い。肉体的にも精神的にもかなり参ってしまったのだろう。


「いえ、そんな……。まだ良かった方なのかもしれません。捕虜を連れて帰るという目的は達せられましたし、将官らもなんとかご無事で」


 久瀬は複雑な表情を浮かべていた。肘掛けに乗っている両手は力強く握られ、小刻みに震えていた。


「和泉二佐は、その……。立派に自分の仕事をまっとうしたんですよね。和泉二佐の死は、無駄ではなかったんですよね」


「もちろんです。彼のお陰で、今回の作戦は成功したと言えます。これからがまた大変ですが、大きな一歩を踏み出すことが出来ました」


 ふと、久瀬が美月の背後へ視線を送る。振り返ると、そこには陽の姿があった。


「……来ていたんですね」


 美月と大郷は陽を警戒し、なにが起こってもいいようにジャケットの下に拳銃を忍ばせていた。


「柏樹二佐、探しているものは見つかりましたか?」


 久瀬は陽に近付いて行く。二人も後を追った。


「これで何度目なのか、私にももうわかりません。柏樹二佐もわかっていて何度も何度も……。なぜそんなに急いでいるんです」


 なんの話をしているのか美月と大郷には理解出来なかったが、久瀬は陽の目的を知っているのだろうか。


「……都築ですか。彼が生きているうちに。だけど、彼の部屋にはなにもなかったでしょう。すべて福島に持って行かせました。そちら側に渡すものなんてなにもありませんよ」


 そちら側とはいったいどういうことだ。佐伯の他にもまだ仲間がいるのか。すると、ずっと黙っていた陽がやっと口を開いた。


「どうりで、あいつの部屋に入るのが楽すぎたわけだ。無論、あなたの部屋も」


「しかし、柏樹二佐もなかなか手強いですね。都築でさえ一度気付かれた。認めたくなかったのですか?一番の仲間が自分を調査していることを。一番の仲間が、一番の敵だということを」


「俺のことを調査しているのは知っていたが、あいつ自身が乗り込んで来るとは思わなかった。あいつは、将官に命令されれば何度でも来る。将官から上総を遠ざけたかった。俺は、あいつのことを本当に尊敬してるんだよ。だから、あいつのことを調査するのも胸くそ悪いし、逆に疑われているのもいい気がしない」


 陽はいったいなんのことを言っているのだろう。どうして陽は、上総のことを調べているのだろうか。上総はなんのことで陽を疑っている……。


「上総の調査って、誰かから頼まれてるの?佐伯もそうなの?でも、陽と離れて私の下についたってことは、私もなにか関係してるの?」


「桐谷さん、それはどういうことですか」


「私がここに来たのは偶然だから、なにもないとは思うんだけど。でも、唯一あるとすれば、私の……」


 しかし、その続きを口にすることも叶わず、美月と大郷は一瞬で気絶していた。


「柏樹二佐、君はもう以前の君には戻れませんよ。これ以上行動を起こすというのなら、私たちもそろそろ動き始めます」


「……あえて言わせてもらえば、すぐにでも動き始めた方がいいでしょう。物事が進むスピードというのは非常に速い。あなたが気が付かないうちに、誰がなにをし始めているか……。私は今、いくつもの密事を抱えております。それは、あなたが知っていること。そして、知らないこと」


 陽は腰を下ろし、美月に悲痛な表情を向けた。久瀬はしばらくその姿を見つめていたが、やがて口を開いた。


「ひとつだけいいですか。君は、目的のためなら大事な人でさえも利用しますか?例え、その人の人生を狂わせてしまおうとも」


 陽はゆっくりと立ち上がる。目を閉じて数回大きな呼吸を繰り返し、ゆっくりと目蓋を開いた。


「……命令なら、なんだってやる」


「命令なら、ですか」


 眉を顰め、陽は足速にこの場を後にした。


「……もう、狂わせてしまったから。もう遅いんだ」

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