畏れ憂えて

不穏な動き

「い、今開けますので、少々お待ちください」


 拳銃を突き付けられた事務員が、震える手で久瀬の部屋の扉を開けようとしている。

 本来なら鍵が閉まっている場合、虹彩、指紋、社員証が必要だが、緊急の場合などすぐにでも開けなければならないときは、金庫に閉まってあるマスターキーで開けられるようになっている。その代わりに、開けた者の指紋が認証され記録される。そして、さらに暗証番号が必要だ。


「あの、暗証番号は私は知らないのですが……」


 事務員は、恐る恐る振り返り尋ねた。散瞳剤をさされた眼には、男の顔は確認出来ない。


「お前は黙ってろ」


 拳銃を突きつけている男は、事務員の手をとり暗証番号を入力していく。


「もういいですよね。わ、私はこれで。うっ……」


 微かに呻き声を吐き出し、事務員はその場に倒れ込んだ。男はスタンガンを手にしていた。


「すまないな」


 事務員を見下ろし、男は一切表情を変えずに中へ入って行った。


 ***


 その頃、久瀬は屋上へ向かっていた。戦闘が始まる前に行くべきだったのだが、ある事に取り掛かっており遅れてしまったのだ。


 屋上へ出ると、殺伐とした光景が目に飛び込んできた。自衛隊員の死体の山、それに夥しい量の血液。そして、それらを片付けている自分の部下たち。

 その中で、自分に気付いた上総が敬礼を掲げた。それに続き、他の隊員たちも手を止めて敬礼を掲げる。


「後片付けご苦労様。先導出来なくて申し訳ない。少しばかり立て込んでいました。ですが、都築が皆さんを動かしてくれたそうで、ありがとう。先ほどの奇襲ですが、どうやら空自の独断で行われたものという線が濃厚です。法務省からも、今回の件はこちらには非がないとのことでお咎めはなしです。彼らの目的がなんなのか調査を始めています。ああ、仕事を中断してしまいましたね。どうぞ続けてください」


 ***


「ちょっといいか」


「ああ、どうぞ」


 空自の件がやっと落ち着き、普段の日常に戻ったある日。陽の部屋に上総が訪ねて来た。


「今、忙しかったか」


 上総は、陽の机に視線を移す。パソコンの横にはたくさんのファイルや資料が積み重ねられている。


「いや、別に。それよりどうしたんだよ」


 二人は、中央にあるソファに腰掛けた。


「少し引っかかることがあって」


「……なんだよ」


「この間の国税局の件、二重スパイの線が濃厚だ。それなら、あの日組織が乗り込むことくらい事前に知っていたはず。それなのに、あまりにもあっさりと侵入を許し不正取引書まで持って行かせた」


 陽は腕を組んで、じっと上総の話に耳を傾けている。上総はなにをしに来たんだ。こんな話をしに、わざわざやって来たわけではないだろう。


「そして、そのすぐ次の日に空自が攻めて来た。まだ断定は出来ないが、あれは空自独断の作戦ではない。大方、その諜報員またはその仲間が呼んだとみて間違いない」


「……まあ、そうだろうな。自衛隊には考えつかないやり方だ」


「あとは、久瀬将官だ。奇襲だというのに、将官は指揮を執らなかった。戦闘中も屋上にさえ姿を見せなかった。奇襲以上に優先すべきことがあったってことだ」


 上総は陽へ一直線に視線を向けて、コーヒーを口にする。陽はカップを持ち上げ、じっと中の波紋を見つめていた。


「奇襲以上に優先すべきこと……。あの状況で、そんなことあるか?奇襲だぞ?組織にとって一大事だろ」


「一大事……、ああそうだ。隊員総出での戦闘なんてはじめてだ。だからこそ、疑問が残る」


 陽の視線は、波紋からゆっくりと上総の眼に移る。


「なぜ総出という状況が生まれたのか。逆に、総出となるとどのような状況が生まれるのか」


「……から、だな。人を入れたくない場所が、空っぽだ」


 二人は一切表情を変えない。だが、瞬きの回数や呼吸の大きさ、カップを持つ腕の高さや僅かな声色など、お互い探り合いが行われている。


「……上総。前よりはいいけど、まだ顔色が良くないな。ちゃんと食ってるか?」


 カップをテーブルに置き、陽は背もたれにもたれ掛かる。


「あまり食べてないし寝れてもいないけど、まあ平気だよ」


 上総も、大きく息を吐いてソファの背もたれにもたれ掛かった。


「陽。お前の頭の中はどうなってる」


「お前こそ」


 しばし沈黙が続いた。実はお互いにわかっているのかもしれない。それぞれがなにを企み、裏でなにをしているのかを。


「ああ……、もしなら邪魔はしないでもらいたいんだけど。到底無理な話なんだろうね」


 陽は、頭の後ろに腕を回し天井を見上げた。


「もしなら、それを邪魔するのが俺の仕事だ。覚悟してろ」


 上総は、カップをテーブルに置いて立ち上がる。


「今日は忠告しに来たんだ。……陽、お前はもうわかっていて動いているんだろ」


「ああ、そうだろうなとは思っていたけど。今、お前の言ったことで確信したよ」


 顔の向きはそのままに、陽は目線だけを上総の方へ向けて苦笑する。


「……なあ。空自の件、俺はなにか間違ったことをしたか?」


 扉に手を掛けたまま、上総は神妙な面持ちで陽に問い掛けた。


「いや、お前の判断は正しかった。あれがお前の仕事だ」


「それは良かった」


 そのまま、上総は振り返ることもなく部屋を後にした。歩きながら、内ポケットから携帯電話を取り出す。何十件と届いているメールの中に、唯一件名のないメールが一件。


「まずは、第一段階突破か」


***


「……まったく、忠告ってお人好しすぎるな。いったいどちらの味方なんだか」


「ええ、本当ですね。しかし、都築一佐には私たち二人がかりでも敵うかどうか」


 寝室に繋がる廊下の扉が開き、一人の男が姿を見せる。


「それに、向こうには久瀬将官というバックがいるからな。相当手強いぞ」


「まさに、将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、ですね」


 男は、さっきまで上総が座っていたソファに腰掛けた。


「そうだな、まずは周りからか。これから更に厄介なことになるぞ、佐伯」


 陽の部屋に潜んでいたのは、美月の部下である佐伯悠真さえきゆうまだった。


「……散々使っておいてこれですか」


「何か言ったか?」


「いえ。私はそろそろ失礼させていただきます。十六時より座学が行われますので」


 佐伯は、手袋をした手で自分が居た痕跡を消し始めた。


「座学って、なにすんだよ。もう受ける必要ないだろ」


「これでも一応、私は准尉上がりたての小隊長です。まだまだ学ばないとならないことはたくさんあるんですよ。では、失礼いたします」


「はあ、それはご苦労様。頑張って行って来い」


 陽は再び自分の机に戻った。PCの周りは山盛りのファイルや資料で埋め尽くされている。それらには目もくれず、鍵付きの引き出しからあるファイルを取り出した。二年前に作成された、ある重要人物のデータだ。


「……果たして」


 頬杖をつき、しばらくその写真に見入っていた。当時、誰も知らない一瞬の間に交わされたある企て。しかし、それはいまに響く大きな大きな悲劇の始まり。


「あの時の俺の判断は正しかったのか。あれしかなかったんだ。他に、別の道なんて考えつかなかった……」


 もしも、彼女がすべてを知ってしまったならば、一番に殺意を向けるのはこの俺だろう。

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