PM20:54
すっかり夜になってしまった。三十九歳になったマリと十八歳のままのカズコは、海水浴場の砂浜の上に座って、まるで同級生のようにいつまでも話をしていた。空には、腕を伸ばせば両手で掬うことができるんじゃないかと思うくらいに、綺麗な星々で満ちていた。寄せる波の音は、無数に存在する世界の鼓動のようだった。
「そう……。私本当は、今日死んじゃうはずだったんだ。なんか、不思議ね。マリちゃんが助けに来てくれたのね」とカズコが言った。「ごめんね。私が死んだあと、辛い思いしたでしょ」
「もう、辛いなんてもんじゃなかったわよ。学校でかなり取り乱しちゃってさ、司馬に思いっきりビンタ食らわしちゃった。こうやって」とマリを腕を振った。「バレー部元エースのスパイクを顔面に向けてバシッ! って」
「うふふ。それじゃ、マリちゃんがこっちにタイムリープしてきたから、こっちの世界じゃ司馬君はマリちゃんに殴られなくてすんだってわけね」
「そういうことにもなるかなぁ。まあ、今も一発くらいは殴ってやりたい気持ちもあるけどさ。私のカズコちゃんを横取りしといて、さっさと振るなんて、許せないわ」
「でもそっちの未来で、マリちゃんが私以外の人と結婚してたなんて、正直言ってちょっとショックよ。まあ、死んだ私が悪いんだけど。でもマリちゃん、ちゃんと主婦業つとまってたの? お料理とかお洗濯とか、ちゃんとできる?」
「失礼な言い方ねえ。ちゃんとできてます。まあそりゃ、最初のほうはちょっと苦労したけど……。お裁縫は、カズコちゃんが昔教えてくれたのあったじゃない。ほら」
「あー、そっか。あれマリちゃんにはもう昔のことになっちゃのね。私にとっては、つい最近のことだけど」
ふたりは同時に笑った。
「ねえ、旦那さん、マリちゃんに何てプロポーズしたの?」
「え?」
「だってさ、気になるじゃない。ぜったい男になんかなびきそうになかったマリちゃんを口説き落とした台詞」
「いやあ、特にプロポーズっていうのは、なかったかなあ……」
「ウソ? それ、本当?」
「っていうかね、私が就職してすぐに旦那がやたらデートに誘ってきたのよ。何なのよこのチャラい男はってことで最初は断ってたし、一度、男には興味ありませんからってズバリ言ってやったこともあるんだけど、それでも諦めなくてさ……。あまりに鬱陶しいから、『結婚してくれるなら、デートしてやる』なんて言ったやったのよ。そしたら諦めると思ったのに、うちの旦那、何て言ったかというと、『もちろん、そのつもりだ。君さえよかったら、明日にでもうちの両親に会ってほしい』だって」
「うわ~、それ本当なの? ロマンチック」
「ロマンチックかなぁ……。まあ、そこまで言われたら一度デートくらいしてやるか、なんていう気持ちになって、いつのまにか気づいたら婚約してることになってたっていうか」
「ということは、それってひょっとして、マリちゃんのほうからプロポーズしたってことになるんじゃない?」
「そ、そう言われれば、否定はできないわね……」
カズコはマリの肩に頭を乗せた。その頭の上に、マリが頭をのせる。
「こっちにタイムリープしてきたこと、後悔してない?」
「そりゃ、旦那にも娘にも会えないと思ったら寂しいけど……、がんばっても戻れるわけでもないし、あっちの世界はあっちでうまくやってるでしょ」
後悔してないと言えばウソになるのだろう。でも、これでよかったのだとマリは強く確信している。
「こういう世界も、きっとあるのよ。今の私は、たまたまそこにやってきただけ」
「そう」
「そういや今日ね、うちの娘、やたらと私の初恋のことを聞いてくるのよ。今どきの娘はそういうの遠慮ないから。母親の昔の恋人のこと聞きだそうなんて、私たちじゃちょっと考えられないわよね」
「それで、なんて言ったの?」
「それが、あまりにしつこく聞いてくるから覚悟を決めて話そうとしたところで、友達がやって来て一緒にさっさと遊びにいっちゃったのよ。私、ほったらかしにして。あの気まぐれ、誰に似たのかしら」
「まちがいなく、マリちゃんの娘さんよね」
マリは顔をかたむけて、カズコの唇に長いキスをした。
「こんなオバサンでも、もう一度、愛してくれる?」マリは昔、言えなかった言葉を口にする。「もしよかったら、前と変わらず、私とお付き合いしてください」
「うん、もちろん。私も今度こそ、自分に正直になる。誰に何を言われても、迷わない。だから、マリちゃん。……ふつつかものですが、よろしくお願いします」
カズコは一度マリから離れ、砂の上に正座して三つ指突いてそう言った。
「いえいえ、こちらこそ」
マリも同じようにした。そしてふたりはまた笑顔で抱き合った。
「いつか、男だとか女だとか、若いとか若くないとか、どこの国の人だとか、そんなことまったく気にせずに、好きな人に好きと言える世界になればいいね」
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