PM16:52

 留守番電話のメッセージを聞いてからマリは、スーツケースも鳥かごもそのままにして、一心不乱にカズコの家に向かって走った。玄関に立ちカズコの家のインターホンを連打すると、カズコの母がマリを出迎えた。

「マリちゃん、遅かったわね。よかったら、お線香あげてやってください」憔悴し切った顔をしてカズコの母は言って、六畳の和室にマリを案内した。

 カズコはすでに荼毘に伏されていた。遺影の写真は学生手帳に添付していたものが使われていた。制服をきっちりと着込んで、分厚い眼鏡を正面に向けてこちらを見ている。

「ウソ……でしょ。冗談やめてよ」

 線香くさい部屋でカズコの母が、両手で顔を覆って声を出さずに泣いている。

「こんなの、ウソに決まってる。夢よ。私、今夢見てるだけよね」

 後飾りの祭壇には、小さなお茶碗に盛られて表面が透明に固くなってる白飯や、カズコが好きだった菓子、果物と、見慣れない漢字の並んだ真新しい位牌が飾られていた。

「なんで、こんなことするの。いたずらにしては、度が過ぎるわ」

 それまで記憶の隅に追いやられていた、カズコとの思い出が走馬灯のように蘇る。

 小学生のころ、二年一組の教室。運動会が終わった翌々日の10月2日、午後の授業の開始前に、新しい転校生として富田先生が見たことのない女の子を教室に招き入れたこと。

 その日の放課後、先生に呼ばれて転校生と家が近いから一緒に帰りなさいと言われたこと。

 自己紹介したカズコに、「変な名前」と言ったこと。

 放課後、こっちの学校で数学のほうの単元が進んでいたため、一緒に残って勉強を教えたこと。

 家の近くの駄菓子屋兼文房具屋に行って、別々の消しゴムをふたりで買って、カッターナイフでふたつに分けて半分こしたこと。それを親に見つかって、モノは大事にしなさいと怒られたこと。

 小学四年生のとき、別々のクラスになって、休み時間になるたびに廊下で会ったこと。

 ランドセルの内側に、おそろいのシールをこっそり貼ったこと。

 小学五年生の秋に、カズコのほうが身長が高くなったこと。

 体操服をしょっちゅう忘れて、カズコに借りに行ったこと。

 小学六年の夏に、カズコが新しい自転車を買ったこと。それに二人乗りしていたところを学校の先生に見つかった、ひどく怒られたこと。

 中学校に入って、マリはバレーボール部に入り、カズコは最後まで悩んでいたが結局、コーラス部に入部したこと。

 六月、駅前に新しくできたリサイクルショップに二人で行って、お揃いの腕時計を買ったこと。

 中学二年のころ、ふたりきりで見つめ合ううちに1ミリずつゆっくりと距離を縮めて、はじめて一瞬だけ唇が触れたこと。そのとき、無上の幸福と、わずかな背徳が血液に乗って全身を巡って呼吸が荒くなり、卒倒しそうになったこと。

 翌日、二度目のキスをしたとき、なぜかふたりで笑ってしまったこと。

 中学三年、カズコの視力が悪くなって眼鏡をかけ始めたこと。

 運動会の短距離走で一緒に走ることになり、マリは一位でカズコは五位だったこと。私たち平均すれば三位だからまあまあじゃん、とマリが言うと、なんで平均するのよ、とカズコが少しスネるようにして言ったこと。

 一緒の高校に入学したのに、同じクラスになれなくて不貞腐れたマリを、カズコがなだめてくれたこと。

 夏、海水浴場に泳ぎに行って、カズコが持ってきてくれた日焼け止めをめんどくさいという理由で塗らずに泳いだところ、翌日全身が真っ赤になって服もろくに着れないくらい皮膚が痛くなったこと。

 電車に乗って、隣の町まで流行りのデザートを食べに行ったこと。

 九官鳥を飼うことになって、カズコが家まで見に来たこと。名前は暫定的にキュウちゃんとなっていると告げたところ、カズコが早く決めないとそれが定着しちゃうよと言ったこと。

 高校になって初めて、自転車で二人乗りして帰ったこと。

 そして、最後に自分がカズコに言い放ってしまった台詞。

 もう一生ぶん流したと思っていた涙が、とめどなくあふれ出す。気づけば、カズコの白い骨壷を抱きかかえて、号泣していた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝った。

 三時間以上も泣き続けて、ようやくマリは少しだけ落ち着いた。カズコの死因は交通事故で、学校帰りに商店街前でトラックにはねられたということをカズコの母から聞かされた。

「ねえ、マリちゃん。これ、受け取って」

 そう言ってカズコの母が持って来たものは、片方だけの手編みの手袋、そして、腕時計だった。腕時計は、液晶が割れていた。

「時計、同じのをふたりで買ったのよね。これから、これをカズコだと思って、大事にしてあげてください。手袋はね、少し前にカズコが編み始めたものなんだけど、出来上がったらマリちゃんにあげるんだって言ってたのよ。自転車に乗ると、マリちゃんの手が冷たくなっちゃうからって……」

 それを手に取ると、また涙が溢れてくる。何と言っていいのかわからない。

「これまで本当に、うちの娘と仲良くしてくれて、ありがとうございました」泣き続けるマリに、カズコの母は丁寧に頭を下げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る