PM16:12
放課後、編み棒のはみ出たカバンに教科書を詰めて被服室に行こうとすると、
「部長」という聞き慣れた声が聞こえた。
声の方向に目を向けると、教室の出入り口に瀬戸が立っていた。カズコはカバンを持って瀬戸の前まで歩いて行った。
「あら、どうしたの? ここに来るなんてめずらしい」
「あの、今日は部活は中止にしませんか? 順調に仕上がってますし、一日くらいサボっても問題ないでしょう」
「え? うん、まあそうだけど……。何か用事でもあるの?」
「いえ、別にそういうのじゃないんですが」
瀬戸の様子がいつもと少し違う。控え目だが、ハキハキとしゃべる瀬戸が、今日はへんに遠慮がちだ。
「部長と、その、野球部だった人、……さっそくウワサになってました。美男美女のベストカップルだって」
「そう。みんな耳が早いのね」
カズコの心境は複雑だった。学校でのマリの立場を良くしようと思えば、自分とマサシが一緒にいるところをわざとほかの人に見せつけるように行動しなければならない。昼、運動場でお弁当を食べたのもそのためだった。しかし、もしその姿をマリに見られたらと思うと、心がしぼられるような苦しみで満ちる。
「だから、えっと……、今日くらいは、その、ふたりで帰ってください」瀬戸はそう言うと、逃げるように三年生の教室から退出した。
腕時計を見ると、「16:14 56」だった。マサシとは、六時くらいに裏門で待ち合わせをして商店街の入り口まで一緒に帰るという約束だった。まだ早すぎるが、ほかにどうしようもないので、カズコは自転車置き場に行って自分の自転車を手に取ると、裏門へ向かった。
裏門から出ると、壁際にしゃがみ込んで参考書を読んでる司馬がいた。
「あ、司馬君。もう居たんだね。ごめんなさい」とカズコは言った。
「いや……。部活は? もう終わった?」
「ううん。二年生の子が、今日はちょっと都合が悪いから休ませてって言ってきたから、今日は中止にしちゃった」
「そう。良かった」
司馬は手に持っていた日本史の参考書をカバンにしまった。もしかして、ここで6時まで待つつもりだったのだろうか。
「司馬君の家、学校から近いんだね。商店街までだったら、歩いても十分くらいかな」
まだ付き合うことになってからわずかしか経っていないが、カズコは自分が大事にされていることをしっかりと受け取った。司馬君と一緒になる人はきっと幸せなんだろうな、などと思った。しかし、それが自分だという想像はできない。
「ちょっとだけ、座っていかない。時間があれば」とマサシは裏門すぐそばにある公園のベンチを指差した。
カズコはうなずいて承諾した。
「島田さんは、大学はどこにするの?」
「えっと、市内だよ。松山文科。司馬君は?」
「正直に言うと、まだはっきりとは決めてないんだ。でも、きっと東京の大学に進学することになると思う。一度、都会で挫折して来いっていうのが、うちの親父の口癖だから」
「司馬君なら、どの大学でも選び放題だね」
「それはお互い様だろ」とマサシは言った。「四月から、遠距離恋愛になっちゃうな」
「え……、うん。そうだね」
カズコとマサシはしばらく会話をしていたが、マリとのときのように、うまく会話が続かない。少し気が緩むと、沈黙が続く状態になった。
「あの、司馬君」
「何?」
「司馬君、マリちゃんと……逢沢さんと同じクラスだよね。逢沢さん、今日どんな調子だった?」
「逢沢?」司馬は何かを思い出すように少し上を向いた。「たしか、今日は午前中に早退したはずだけど」
「そう。マリちゃん、体調悪かったのかな?」
「いや、そんな感じじゃなかった。何か、用があったんじゃないかな。でも逢沢、授業中いつも寝てるから、体調が悪いかどうかなんてわからないよ」
今朝、マリが「今日からしばらく留守にする」と言っていたことを思い出す。カズコはマリが永遠に手の届かないどこかに行ってしまうような気がして、たまらない気持ちになった。
またしばらくの沈黙が続いた。どこかから、叫び声のようなヒヨドリの甲高い鳴き声が聞こえてきた。
「ごめん。俺今まで誰とも付き合ったことないから、こういうのどうすればいいかわからなくて」気まずい雰囲気を打ち消すようにマサシが言う。
「いや、気にしないで。私も、どうしたらいいのかよくわからないの」
マサシがカズコの肩に手を回して、軽く抱き寄せてきた。飛び上がってしまいそうなほど驚いたが、カズコはされるがままに受け入れた。カズコの左肩とマサシの右肩が制服を隔てて触れ合う。マリとちがって、ゴツゴツとして痛い肩だった。
空を見上げると、大きいはずの飛行機が遠くに小さく見えて、西に向かって飛んでいた。
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