PM13:21

 マリは大きな黒いスーツケースの取っ手を両手で持ち上げて、玄関に下した。夏物の洋服しか入っていないのだが、スーツケースそのものがかなり重い。

 エヴェレットの鳥かごを少しだけ開けてエサ箱を取り出し、それを山盛りのエサで満たして戻した。エヴェレットはさっそくそれを一口つつくと、山が崩れてわずかに鳥かごの底に落ちた。

「ちょっと留守にするから、これで一週間、耐え忍んでね」とエヴェレットに話しかけると、相変わらず「オカエリ、オカエリ」と台詞が返ってきた。

「いってらっしゃい、でしょ。そろそろ、ほかの言葉を覚えなさいよ」と叱るように言ったが、やはり「オカエリ」と言った。

「マリちゃーん、早くしないと遅れるわよ~」という伯母の声が表から聞こえた。

「はーい。今行きまーす」

 マリは自分の腕に巻いてある腕時計を見た。「13:21 44」。出発には少し早いかもしれないが、遅いよりはいいに決まっている。

 シンガポールと日本に何時間の時差があるのか、調べるのを忘れていた。そもそも、日本より時間が早いのか遅いのかもわからない。しかし時差が何時間であったとしても、時間調整ができないこの時計は、外国では用を足さないだろう。マリは腕時計のベルトを外して、下駄箱の上にある電話機のそばに置いた。

 スーツケースをゴロゴロと引きずって表に出ると、伯母が車のトランクを開けて待っていた。

「パスポート持った? 元栓しめた?」

「うん。オッケー」

「じゃ、荷物は後ろに乗せてね」

 トランクを閉めると、伯母がまるでボヤくように、

「あなたのお母さんもたいがい、いい加減よね。受験生の娘に学校休ませて海外旅行させるなんて、何考えてるのかしら。どうせあの人のことだから、一方的に決めて強引に押し切っちゃったんでしょ」

「そうなんです。ごめんなさい」マリは少し照れくさそうに言った。

「マリちゃんが謝るようなことじゃないわよ。私にもいきなり国際電話かけてきて、『マリがどうしてもお父さんに会いたいって言うから、エコノミーで飛行機取っといて。よろしく』だもんね。子供のころから性格ぜんぜん変わってないわ。っていうかヒサコ、どうして今あっちに行ったのだったかしら」

「お父さんが、ちょっと病気……、というかギックリ腰で」

「ああ、そうだったわね。ずいぶんと長引くギックリ腰ね」伯母は左手を上げて、腕に巻いているアナログの腕時計を見た。「それじゃ、行くわよ。助手席乗って」

「はい。お願いします」

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