PM16:52
正門前の停留所でバスが停まり、空ぶかしの大きなエンジン音を聞いてマリは顔を上げた。すぐに、後部のドアが開いて、中から「西松山学園前、西松山学園前です。お降りの方は前方のドアよりお願いします」という、丁寧だが人間味のないアナウンスが聞こえてくる。
被服室を出てからすでに約30分が経過していることに、マリは驚いた。バスを待っているあいだ、まるで自分が抜け殻のようになっていたらしく、ほとんど意識がない。
バスに乗るとほかの乗客は、なかには杖を両手に持って器用に居眠りをしている老齢の男性がひとりと、小さな子供とその母親の、三人だけだった。この路線のバスはいつもこんなものだ。朝も夕方も、混雑することはない。
マリは後ろから二列目の座席に座った。正面の窓から真っ赤に輝いた夕日が見えて、むしろ視力を失わせるくらいにまぶしかった。マリは自分の薄いカバンを両手で抱えるように持った。
カズコに振られてしまった。結果から見ると、そういうことになってしまうのだろう。
普段は控えめで優柔不断ともいえるカズコが、考えに考え抜いて一度決めてしまったことは絶対に曲げない性格だということは、誰よりもマリが知っている。本心がどうであれ、おそらく今夜にもマサシに「イエス」の返事をするだろう。
マリが産まれてから約十八年で、小学二年生でカズコと知り合ったため、これまでの人生は、カズコがいない時間よりもカズコと過ごしてきた時間のほうが長い。親友と幼なじみと恋人を、同時に失った。
カズコが、マサシからの交際申し込みを受けるから友達に戻ろうと言ったとき、マリは自分のなかで生まれたある汚らしい感情を、やっと自覚した。カズコがマサシと付き合い始めれば、学校でのウワサはそのうち自然消滅するだろう。近所でも安心してこれまで通りに過ごせる。いつバレるのか、ハラハラしながら過ごす日々から少なくとも一時的に解放される。
あのとき、自分はたしかにそう思って、少しだけ安堵した。
「私、卑怯な人間だ」とつぶやいた。
そして、これまで抑えていた怒りと哀しみと自己嫌悪が胸のなかに渦巻いて、耐え切れなくなった。
最初はつぶになって両頬をこぼれていた涙は、すぐに絶えぬ流れとなった。声を出さないように我慢していたが、やがて口の端から漏れるようになった。まもなく、まるで小さな子供のように号泣し始めた。
バスに乗っていた子供がマリを指差して、「ねえ、ママあのおねえちゃん泣いてるよ」と言った。杖をついた老人は、ちらりとマリを一瞥したが、すぐにまた眠り始めた。
次の停留所で停まったときに、帽子をかぶった運転手がマリの近くに駆け寄ってきて、
「どうしたんですか? 体調、悪い? 救急車呼ぼうか」と言ってきた。
息もできないくらい嗚咽を続けるマリは、両手を振ってそれを拒否する意志を示すのがせいいっぱいだった。
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