PM16:10

 文化祭は毎年十一月の第二週の土曜と決まっている。

 今年は十二日がその日だった。手芸部は文化祭では、被服室でささやかな部活動の成果物を展示することになっているが、毎年訪れる人は少ない。しかし、部員にとっては最大のイベントで、十月末から十一月の初旬は、もっとも力を入れる時期だった。

 放課後、マリは被服室を訪れた。ウワサが流れ始めてから、学校内でふたりで合うことは避けていた。マリにとってカズコと会えない時間がこれほど長いと感じたことはなかった。

「こんちは。おじゃまします」と夕方の被服室に声を掛けて入室した。

 なかにはカズコがひとりで、そろそろテディベアの形を呈してきた布地に針を通していた。

「あ、マリちゃん。いらっしゃい」カズコは力ない笑顔でマリを迎えた。「少し会ってないだけなのに、なんか、ひさしぶりな気がするね」

「うん……。あのさ」マリの声にもいつもの歯切れはなかった。被服室を端から端まで見回して、瀬戸がまだ来ていないことを確認した。「ちょっと話があって……」

「うん。私も」

 黄金の夕日がカズコの顔を照らしていた。眼鏡に光が当たって、瞳が見えない。グランドから、「いっち、に、いっち、に」というランニングの掛け声が聞こえてくる。

「あのね、私、推薦入試ダメになっちゃったんだ」

「知ってる。私もね、今日うちの担任の先生に呼びだされて、いろいろ言われたの」

「何、言われたの?」

「女子高生らしくしろとか何とか言ってたけど、真面目に聞いてなかったからもう忘れちゃった」

 マリはそれがウソだとすぐに見抜いた。カズコはすべて覚えてるはずだ。

「それでさ、あの、今さらだけど、私これからちゃんと勉強して、一般入試でカズコちゃんと同じ大学に行こうと思うんだ。難しいのはわかってるけど、一生懸命、がんばるから」

「そう。やっとその気になったのね。えらい、えらい」

 カズコとマリのあいだは、先日までのふたりでいるときよりも、物理的に距離があった。近づくことが、なぜかとても怖ろしいことのように思えた。

「それで、ちょっとだけでいんだけど、カズコちゃんに勉強教えてもらおうと思って。私、ほら、ぜんぜんダメだから」

「うん。いいよ。文化祭終わったら、マリちゃんの家で、少しずつ勉強しよう。きっと、間に合うよ。マリちゃん、頭いいんだから」

「ありがとう」

 マリもカズコも、しばらく下を向いていた。なぜ、こんなに遠慮がちにしゃべらなければならないのだろうと思う。でも、前のように気兼ねなくしゃべることができなくなっていた。

「あの、で、そっちの話って?」とマリが言った。

「あ、うん。えっとね……。私、今日、実は男子に告白されちゃったんだ。マリちゃんのクラスの、司馬君っているでしょ」

「え、ウソ!」

 アイツ本当に告白したんだ、と言いそうになった。タイムリープする前の世界でそうだったことはマリは知ってるが、こっちの世界でも司馬はその決意を変えてはいなかった。

 偽りでもいいから「カズコには彼氏がいる」とでも言っておけば良かったと今さらながら後悔した。怒りというか嫉妬というか、そういう気持ちがマリの身体に湧き起こってきて、緊張が身体の芯を貫く。

「まだ、お返事してないんだけど……。電話で教えてくれって、電話番号渡された」

「司馬って……、司馬マサシでしょ。気にすることないよ。ガツンと言ってやりな。アイツ、頭いいくせに変に鈍いところがあるからさ、ハッキリ言わないと効かないよ」

 カズコは顔を上げた。

「あのね、お受けしようと思ってるの」

「え?」一瞬聞きまちがいではないかとでも思った。聞きまちがいでなければ、そんなことをカズコが言うはずはない。「それって……どういうこと!?」

「私、司馬君とお付き合いしようと思ってる」

 マリは今まで生きてきたなかで、最大の衝撃を受けた。

「な、なんでよ! それじゃ、私はどうなるのよ」とマリは叫ぶ。

「ごめんなさい」

 眼鏡に光が当たっているので、カズコがどんな表情をしてるのかマリには見えなかった。

「ごめんじゃないわ。ちゃんと説明して」さらに声が大きくなった。

「怒らずに聞いてね……。昨日、今日と、ずっと考えてたんだけど、もう私たち、これまでの関係を終わらせたほうがいいと思うの。学校でもウワサになってるし、ご近所でも疑ってる人がいて、お母さんもマリちゃんとの付き合い方を考えなさいって言われて。マリちゃんも推薦取り消されるし、今のままじゃ、誰も救われないよ」

「それって……、それじゃ、私たちのウワサを消すために、司馬を利用するってことじゃない。そんなの、ダメよ」

「そんなことない。司馬君って、誠実で素敵だと思う。私きっと、司馬君のこと好きになれると思うから、だから……」

 カズコの声がふるえ始めた。布を持った手を、強く握りしめている。

「マリちゃん。お友達に、戻りましょう。昔みたいに、一緒に遊んで、買い物に行って、また明日ねって言って手を振って……そういう関係に、戻ろうよ。今のまま続けても、きっと私たち、いつか別れなきゃいけない日が来るの。だから、私もマリちゃんも普通の人みたいに、男の人と恋をして、結婚して……」

 マリは被服室の分厚い机を手のひらで叩いた。床までが振動するような、「バンッ!」という大きな音がした。

「バカにしないで! 私、そんな中途半端な気持ちであなたのこと好きになったんじゃない」

「ごめんね」

 それを言ったっきり、カズコは黙ってしまった。

「あんた、サイテーだよ」そう言ってマリは被服室から走って出た。

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